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約半年ぶりにJR品川駅で降りて構内の書店を覗いたら、新刊書の「売上第3位」の棚に本書があった。著者はエール大学助教授という素敵な肩書きを持ち、最近メディアでも時々名前を見かける若手の論客。パラパラを捲ると刺激的な文字が目に飛び込んでくる。
副題の「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」もそうだが、
「若者が選挙に行って『政治参加』したくらいでは何も変わらない(全投票者に占める30歳以下の有権者の割合は8.6%に過ぎない)」とか、
「人類は世の初めから気づいていた。人の能力や運や資源がおぞましく不平等なこと。技術や知識や事業の革新局面においてこそ不平等が大活躍すること。過激な不平等を否定するなら、それは進歩と繁栄を否定し技術革新を否定するに等しいことを」等々、冒頭から舌鋒鋭い意見が噴出する。
さらに、「資本主義的市場競争は、格差を拡大し、富めるものが複利のペースで富んで格差は拡大する。そのつらさの鎮痛剤として持ち出されたのが、凡人に開かれた民主主義である」
とはまことにシニカルな現実認識ではあるが、それでも著者は、「暴れ馬・資本主義をなだめる民主主義という手綱」をなんとか機能させられないかと、「闘争」、「逃走」、「構想」という3点において、その対応策を本書で展開する。
例えば、選挙をいじって「世代別選挙区を作る」とか、「平均余命に応じて票の重みをつける」など。しかし、今の選挙で選ばれている代議員が、自分に不利な制度を導入するとは到底思えないし、現行制度を内から変えようとする「闘争」は、最初から「オワコン」であるかも知れないという。
では、公海に独立国を作った例のように、徹底的に国家から逃走してはどうか。それは「無知で何も創造しない過半数の人々のルサンチマンに成り下がった」民主主義から逃れられる一部の強者のデモクラシー・ヘイブンに過ぎず、根本的な解決にはならない。確かにそうだろう。
そこで、著者が「構想」として持ち出すのが「無意識データ民主主義」であり、あらゆるデータ収集から明らかになる「一般意思」をアルゴリズムが判定し、その価値判断に従って政治を行えば、(最低限の決定は人間がするとしても)今よりマシな政治システムが出現するはずだ、というわけである。すでに韓国などでもAI代議員のような実験的な取り組みもあるようなので、決して夢物語ではないかも知れない。
しかしである。結局AIで直面するジレンマと同じく、アルゴリズムの価値判断の良し悪しを最終的に決めるのは誰か。それは一部の選ばれた独裁者か、それともこれまたアルゴリズムか、というトートロジーに陥る。
アルゴリズム判断に原則的には従い、暴走したと思ったら人間がストップをかけるという仕組みになるのか。「2001年宇宙の旅」のHAL9000を思い出すな、、。 確かにそういう道筋はあるかも知れない。しかし、一歩間違えたら「1984」のビッグブラザーに支配される暗黒社会になる危うさも感じるのである。