特に昔からジブリファンだったわけではない。 ナウシカやトトロも映画館では見ていないし、主題歌が有名になった90年代の「もののけ姫」、アカデミー賞も取った「千と千尋の神隠し」あたりで映画として観るようになったくらいだ。 大体少女が主人公で、寓意的なストーリーが、当時の自分には、リアルな世界とはかけ離れていて実感がなかった。 ただ、「未来少年コナン」や「ルパン三世 カリオストロの城」などは子供の頃に親しんでいたから、そのアニメの新しさ、躍動感はまぎれもなく心を捉えていたのだが。
「風たちぬ」の試写を観て、宮崎監督は初めて自分の映画で涙したというが、自分もこの映画の底に流れるいたたまれないような「悲しみ」に共振した。 零戦の設計者の堀越次郎が、人を殺める戦闘機の設計と、美しい飛行機への夢の折り合いをどうつけたのか、本当の所はわからない。 結核で余命わずかな娘と婚約した堀辰雄が、八ヶ岳山麓の高原でどのような日々を送ったのか、原作を読んでいないのでよく知らない。 人の命がはかなく消え、自分が長く生きることもかなわぬと悟っていた当時の若者へのやるせない共感と悲しみが全編を覆っている。 それは宮崎駿自身が、過去の回顧が未来への意欲よりも、より多く心の領域を占めるような老境に入ったためかもしれぬと感じた。
この映画は、子供連れの家族には不評だったようだ。子供も喜ぶエンターテイメントを期待した向きには、確かによく訳のわからない映画だったろう。「この世は生きるに値する」ということを子供たちに伝えるためにアニメを作ってきたと、長編からの引退会見で宮崎駿は語っているが、この「風立ちぬ」から子供たちがそれをくみ取るのは難しかったかもしれぬ。 もっと反戦のメッセージ性を強めるなら、零戦の戦闘機乗りを配役に加え、戦闘の場面などを組み込む方法もあったのではという気もするが、それではこの映画のトーンが変わってしまったかもしれない。
関東大震災の場面は、半年以上かけて原画を精密に描いたという。そして、そのシーンを入れることは3.11以前に決まっていたそうだ。「経済は豊かになったが、心はどうなのか」と80年代のバブル期から思い続けて映画を作ってきたという宮崎監督。 その引退会見には、中国、韓国、台湾、イタリアやフランスなど多くの海外メディアから質問が投げかけられた。http://digital.asahi.com/articles/TKY201309060693.html?ref=reca
宮崎アニメは、日本の自然と日本人のココロを世界に発信し、それが評価されてきたことは間違いない。「私は『文化人』には決してなりたくない、町工場のオヤジで居続けたい」といい、自分を映画監督と思ったことは一度もなく、常にアニメーターとしてやってきたという率直な姿勢があればこそ、自身の制作の「自由」を守り続けることができた。 同時に、自らが知らぬ間に次の世代の成長への障害になることに懸念を持っての今回の長編引退だったようだ。
予想に反して、経済効果を強調して2020年に東京五輪招致が決まった。しかし、フクシマの汚染水は完全にコントロールされているなどと首相が大見得を切るなど、自国民だけでなく世界に向けて嘘をついてまで五輪誘致にひた走った日本の政治家やメディア産業は、目先の経済効果や自己の利益しか考えていない。そもそも五輪が国民精神を統合し、高揚させるのは成長期にある国においてであり、ロンドンでもそのような効果はなく、財政赤字だけが大きく残っているそうだ。 また政府は、景気回復と所得増が国民に感じられることがないままに、消費税増税は予定どおりのスケジュールで進める腹づもりらしい。 誰かが書いていたが、国民はそっちのけで、無謀な戦争にひた走った70年前と状況は酷似しているように見える。 (了)
初期の紙媒体どころか、実は映画の「ナウシカ」もちゃんと観てはおりません。いつかもうすこしじっくり辿ってみたいと思います。