内政を振り返れば、安倍政権が誕生してもうすぐ一月半になる。この間、中韓を訪問し、一応首脳外交は復活し、神奈川と大阪の衆院補選は勝利したが、国会や毎日のニュースで安倍氏が注目を浴びる場面は意外と少ない。 田中真紀子が、国会質問で「お父さんの大きな靴を履いた子供が外へ出たら、右へ右へと振れていくので危なくてしょうがない」と冷やかしたが、それを小泉のごとく面白く応酬できる安倍氏でもない。 巷の声も、物足りないわね、というところのようだ。
今の安倍政権は、北朝鮮の核実験や拉致問題を梃子に、パトリオットの国内配備や日米軍事協力体制の強化、防衛庁の省への昇格問題、共謀罪の法案化など、軍事的アジェンダを推し進める好機とみているだろう。 また、教育の改革の内容も、アナクロ的なシステムへ回帰しようとしている印象があることは、前にも書いた。 過去5年にわたり、小泉―竹中ラインで推し進めた不良債権処理、郵政民営化、道路公団民営化など、規制緩和と市場原理の適用で、経済は回復したように見えるから、今後は安全保障や増税、改憲などがアジェンダとして上がっているのだ。 しかし、そこには相変わらずこの国をどうしたいのか、哲学やヴィジョンが欠如している。 「しっかりと」とか「頑張りたい」とか、やたらと抽象的な安倍氏の答弁は空虚だし、だんだんと政治が事務処理のようになっているような感覚がある。以前「真空総理」といわれたのは、小渕さんだっただろうか、しかし、この言葉は安倍氏の方により当てはまるかもしれない。 A級戦犯は国内法上は最早存在しないとか、アジアへの侵略戦争を認めた村山談話に対する態度のブレなど、一国の総理として、自らの思想や信念を一貫して維持できないような人が、国民から、いわんや国際社会から信頼されるだろうか。
戦後60年にわたって築き上げてきた、平和国家主義、経済成長優先、一億層中流階級、文化立国といったフォーミュラは、冷戦の終焉とバブルの崩壊した20世紀最後の10年間とそれに続く21世紀の数年間で、グローバル資本主義の席巻、情報通信の飛躍的進歩によって壊れていった。 しかし、その新しい体制に適応しようと取った諸政策の後に残ったのは、少子高齢化の社会の急速な到来、企業や家庭の倫理の変化、格差の拡大などだ。 アメリカはクリントン政権時代の8年に6割にも及んだ軍事費の削減に耐えかねて、新たなテロ戦争を捏造し、イラクやアフガニスタンで戦争を始めた。 次にもイランや北朝鮮が控えている。 日本は、トラの威を借る狐、もしくは長いものには巻かれろ的な対応で、アメリカ盲従、日米同盟の強化に疑問もなく進んでいる。
そして今や中川政調会長が核保有論をぶちあげ、外相もそれを支持、総理は「個人の意見はいろいろ」とでも言うのか黙殺する始末だ。 一体、日本が先の敗戦の中で、苦しみ生み出してきた知恵や国家の存立の基盤をなんと考えるのか。 民主党は、衆院が過去11回も他国の核実験を非難する決議を出し、そのたびに日本が唯一の被爆国として非核三原則の堅持を謳いながら、今回のような核武装論を政府の首脳が開陳するのはとんでもない、と野党四党合同で抗議書を河野衆院議長に送っている。 しかし、今や改憲を支持する国民は過半数との調査があり、かつては大臣の首が飛んだはずの核保有論をぶちあげても対した波風もたたない。 何かが変わってきている。
加藤紘一が、今週の週刊朝日の対談で、国民の政治意識の低下を嘆いている。「今の国民は、大都市の地上から5mくらいに大量に漂っている糸の切れた風船のようなものだ。 会社や家庭から解放されて、個人としての「自由」は得たが、どうしていいかわからない。 何か大声で扇動されるとすぐに揺れ動く。 本当に自分の限られた経験や勉強から、独自の意見や主張をできる人は5%もいないのではないか。」
加藤氏の発言には異論もあろうし、エリート臭がするかもしれない。 しかし、今の日本人は、自らの生存に必死で、情報の洪水の毎日の中で、いかに効率よく生きるかにあくせくしているように思える。 情報は、瞬時に処理されなければならず、「yes」か「No」か、「好き」か「嫌い」かで、その場で判断される。 容易に判断できない複雑なテーマや、考える時間を要するような議題は流行らない、もしくは無視される傾向にある。 小泉のワンフレーズ政治は、時代の特徴を捉え、その風潮を加速したといえるだろう。
先日、乗り合わせた40年戦士のタクシーの運転手の人が、昔は会社の社長が盆暮れには運転手の家庭を訪問して、奥さんに感謝し石鹸や洗剤を送っていた、といっていた。今は、競争が激しい、急ぐから事故も多い、世知辛い世の中になった、と。
国会議員も二世、三世が過半数を大幅に上回っていると記憶している。 これだけ豊かになり、文化的にも世界から親しまれる国である日本は、自分の未来の設計を自分達で描いていけばいいものを、いつまでもアメリカを軸にしたヴィジョンしか描こうとしない。 アメリカは、独立以来、表向きは理念、理想を掲げてきた国家であるが、実際は、政治、外交など極めて功利主義的である。 60年代後半以降のベトナム敗戦、ドルの凋落、社会格差の増大をとおして、求心力を失って久しい。 アメリカ学者の猿谷要が、「アメリカよ美しく年をとれ」(岩波新書)と自らの愛情を込めて警鐘を鳴らしているが、
そうなれるかどうか。 30%程度に低迷するブッシュ政権の支持率は、まもなくの中間選挙でどれだけ民主党が躍進するかによっては、早期にレイムダック化することも考えられる。 2008年には、ヒラリークリントンなどの民主大統領が登場すれば、また大きく振り子は戻る可能性がある。 アメリカの社会が本当に再生する底力を見せるのか、このままテロ戦争を続け、財政赤字を拡大させて益々弱体化するのか、その分かれ目を迎えることは確かであろう。
日本では、2日に沖縄の知事選が告示された。 基地問題は、自民、民主両陣営とも直接の争点にはしたくないようだし、今からキャンプシュワブ沖への普天間基地の移転を撤回するような議論は両陣営ともやりにくいのだろうが、選挙戦の争点をメディアもしっかりと伝えて欲しいものだ。
今の安倍政権は、北朝鮮の核実験や拉致問題を梃子に、パトリオットの国内配備や日米軍事協力体制の強化、防衛庁の省への昇格問題、共謀罪の法案化など、軍事的アジェンダを推し進める好機とみているだろう。 また、教育の改革の内容も、アナクロ的なシステムへ回帰しようとしている印象があることは、前にも書いた。 過去5年にわたり、小泉―竹中ラインで推し進めた不良債権処理、郵政民営化、道路公団民営化など、規制緩和と市場原理の適用で、経済は回復したように見えるから、今後は安全保障や増税、改憲などがアジェンダとして上がっているのだ。 しかし、そこには相変わらずこの国をどうしたいのか、哲学やヴィジョンが欠如している。 「しっかりと」とか「頑張りたい」とか、やたらと抽象的な安倍氏の答弁は空虚だし、だんだんと政治が事務処理のようになっているような感覚がある。以前「真空総理」といわれたのは、小渕さんだっただろうか、しかし、この言葉は安倍氏の方により当てはまるかもしれない。 A級戦犯は国内法上は最早存在しないとか、アジアへの侵略戦争を認めた村山談話に対する態度のブレなど、一国の総理として、自らの思想や信念を一貫して維持できないような人が、国民から、いわんや国際社会から信頼されるだろうか。
戦後60年にわたって築き上げてきた、平和国家主義、経済成長優先、一億層中流階級、文化立国といったフォーミュラは、冷戦の終焉とバブルの崩壊した20世紀最後の10年間とそれに続く21世紀の数年間で、グローバル資本主義の席巻、情報通信の飛躍的進歩によって壊れていった。 しかし、その新しい体制に適応しようと取った諸政策の後に残ったのは、少子高齢化の社会の急速な到来、企業や家庭の倫理の変化、格差の拡大などだ。 アメリカはクリントン政権時代の8年に6割にも及んだ軍事費の削減に耐えかねて、新たなテロ戦争を捏造し、イラクやアフガニスタンで戦争を始めた。 次にもイランや北朝鮮が控えている。 日本は、トラの威を借る狐、もしくは長いものには巻かれろ的な対応で、アメリカ盲従、日米同盟の強化に疑問もなく進んでいる。
そして今や中川政調会長が核保有論をぶちあげ、外相もそれを支持、総理は「個人の意見はいろいろ」とでも言うのか黙殺する始末だ。 一体、日本が先の敗戦の中で、苦しみ生み出してきた知恵や国家の存立の基盤をなんと考えるのか。 民主党は、衆院が過去11回も他国の核実験を非難する決議を出し、そのたびに日本が唯一の被爆国として非核三原則の堅持を謳いながら、今回のような核武装論を政府の首脳が開陳するのはとんでもない、と野党四党合同で抗議書を河野衆院議長に送っている。 しかし、今や改憲を支持する国民は過半数との調査があり、かつては大臣の首が飛んだはずの核保有論をぶちあげても対した波風もたたない。 何かが変わってきている。
加藤紘一が、今週の週刊朝日の対談で、国民の政治意識の低下を嘆いている。「今の国民は、大都市の地上から5mくらいに大量に漂っている糸の切れた風船のようなものだ。 会社や家庭から解放されて、個人としての「自由」は得たが、どうしていいかわからない。 何か大声で扇動されるとすぐに揺れ動く。 本当に自分の限られた経験や勉強から、独自の意見や主張をできる人は5%もいないのではないか。」
加藤氏の発言には異論もあろうし、エリート臭がするかもしれない。 しかし、今の日本人は、自らの生存に必死で、情報の洪水の毎日の中で、いかに効率よく生きるかにあくせくしているように思える。 情報は、瞬時に処理されなければならず、「yes」か「No」か、「好き」か「嫌い」かで、その場で判断される。 容易に判断できない複雑なテーマや、考える時間を要するような議題は流行らない、もしくは無視される傾向にある。 小泉のワンフレーズ政治は、時代の特徴を捉え、その風潮を加速したといえるだろう。
先日、乗り合わせた40年戦士のタクシーの運転手の人が、昔は会社の社長が盆暮れには運転手の家庭を訪問して、奥さんに感謝し石鹸や洗剤を送っていた、といっていた。今は、競争が激しい、急ぐから事故も多い、世知辛い世の中になった、と。
国会議員も二世、三世が過半数を大幅に上回っていると記憶している。 これだけ豊かになり、文化的にも世界から親しまれる国である日本は、自分の未来の設計を自分達で描いていけばいいものを、いつまでもアメリカを軸にしたヴィジョンしか描こうとしない。 アメリカは、独立以来、表向きは理念、理想を掲げてきた国家であるが、実際は、政治、外交など極めて功利主義的である。 60年代後半以降のベトナム敗戦、ドルの凋落、社会格差の増大をとおして、求心力を失って久しい。 アメリカ学者の猿谷要が、「アメリカよ美しく年をとれ」(岩波新書)と自らの愛情を込めて警鐘を鳴らしているが、
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日本では、2日に沖縄の知事選が告示された。 基地問題は、自民、民主両陣営とも直接の争点にはしたくないようだし、今からキャンプシュワブ沖への普天間基地の移転を撤回するような議論は両陣営ともやりにくいのだろうが、選挙戦の争点をメディアもしっかりと伝えて欲しいものだ。
この国でこれから長く生きていく若い人達には申し訳ないのですが、少子高齢化が進むこの国の未来は明るくなさそうだし、私自身がこの国を変えていくために何か少しでも行動を起こそうという気も起きません。
ただ、ごく個人的な夢ができました。実現するかどうかはまだ分かりませんが、人生の進路を大きく切り替えるなら、そろそろラストチャンスかなと思います。2~3年後にはこれまでと全く違った生き方をしているかもしれません。。。