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ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

2008-05-24 | 読書(芸術、文学、歴史)
その中国が、1949年の中共の成立後間もなく、軍隊を派遣して侵略し、自治区という名のもとで、自由と独立を奪い大量の虐殺を行ったのがチベットだ。今春、チベットのラサで暴動が起こり、軍隊による鎮圧と報道の統制があったが、これは89年の天安門事件の前触れとして、ラサの暴動があったことを思い起こさせ、北京五輪を控えた中国の前途に暗雲を投げかけた。 聖火リレーの妨害、ハリウッドスターや欧州諸国の政府による、五輪行事のボイコット宣言など、チベット問題に関する中国への批判が突如再燃した。そうした中で、チベットの独立と自由奪還の非暴力運動のシンボルである、ダライ・ラマ14世へ衆目が集まるのは自然だ。出版社もそれを見越したのか、元々1991年に出版され、2001年に文庫版が出た「ダライ・ラマ自伝」の新刷が書店に並んでいたので手にとった。。

ダライ・ラマとチベット問題について知りたい人にとって、この書は多くを教えてくれる。ダライ・ラマ14世は、とても著名だから誰でもTVなどで一度は見たことがあるだろうが、キリスト教世界のローマ教皇に対して、仏教世界の指導者としても著名だ。非暴力を貫いて、平和的な主権回復を唱える姿は、かつてのガンジーにも比される。

この本には、今は中国の一部になっている旧北部チベット(アムド)のタクツェルに生まれた3歳の少年が、いかにしてダライ・ラマ13世の生まれ変わりとして見出され、ラサの宮殿で高級官僚や僧に囲まれて育ち、1950年の中国軍隊のラサ進駐と前後して、15歳で政治的全権を任され、1959年、24歳の時に、中国の圧政にラサ市民が蜂起するなかを、真夜中にインドに亡命することなどが、思い出も含めながら、歴史を追って詳しく書かれている。また、共産主義中国が、宗教の迷妄からチベットを開放し、社会主義革命を支援するという名目で、チベット古来の領土を占領し、寺院を破壊し、僧侶や市民を虐待したかが知らされる。 40年間で、チベット国民600万のうち100万人以上の犠牲者が出たともいわれているという。 また、高地で生まれ育った10万以上のチベット人亡命者が、亜熱帯の南インドに与えられた居住地で、辛く厳しい生活を強いられた。

59年の亡命以来、ネール首相によって亡命政権の地としてあてがわれた北インドのダラムサラで、ダライ・ラマ14世が、チベット難民の居住区の確保に奔走し、チベットの自由と自治の復権を世界各国に訴えてきて、チベットの悲劇は、今日のように知られるようになった。日本人は、同じ仏教国に住む身でありながら、アメリカや欧州の市民よりも、チベット問題について関心が薄いのではないだろうか。(映画などもあったようだが、少なくとも私はこの本を読むまであまり知らなかった。)

ダライ・ラマがチベット仏教の最高指導者として、どういう思想を奉じているのかは、この書では体系的には語られていないが、随所にそれは散見される。「仏教の根本的教理は、物事の相互依存と因果の法則(縁起論)である。人が経験する一切のものは、カルマ(業、行為)に起因する。ゆえに意識は持続的であり、経験や印象を次々に集積して流れていく。意識はすべて過去の経験、印象、それに先行する行為の痕跡をとどめている。これが“カルマ”といわれるものであり、それを伴った意識が、新しい肉体、動物か人間か聖なるものにかに生まれ変わる(37ページ)」 

また、ダライ・ラマ14世は、若い頃、マルクス主義にも可能性を感じ、「人民に奉仕する」というその思想に親近感を覚えさえした。若い頃、毛沢東や周恩来、小平にも会っている。 しかし、結局、中国がチベットに強いたこと、ソ連や東欧の社会主義の崩壊を見れば、そこでいう「人民」は、すべての人間を意味するのではなく、一部の人間の規定する「人民という思想」に過ぎなかった。 「彼ら(共産主義者)は、すべてのことを、すべての人間を疑い、その猜疑心は怖ろしい不幸を生み出した。なぜならそれは、基本的人間の特性、他人を信じたいという人間の願望に反するからである(P.413)」

「仏教僧としての私の関心は、すべての人間家族、そして苦しんでいるあらゆる生きとし生けるものの上に広がっている。この(人間の)苦しみは無知によって引き起こされており、人は己の幸せと満足を得んがために他者に苦痛を与えているのだと固く信じている。しかし真の幸せは心の平安と充足感から生まれるものであり、それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして怒り、自己本位、貪欲といったものを次々と根絶してゆくことによって獲得できるものなのだ。(P416)」

仏教は自己救済の宗教であり、キリスト教のように、万能の神の存在や慈悲を約束したりはしない。本書の最後には、ダライ・ラマが、自分に素晴らしい霊感と決意を与えてくれるという短いお祈りを紹介している。

世界が苦しみに耐え
生類が苦しみ続けているかぎり
この世の苦痛を取り除くために
願わくはわたしもまたそれまで
共にとどまらんことを

現在のチベットには、チベット人より多くの中国人が住んでいるという。チベットの文化や伝統は、すでに失われてしまいつつあるようだが、今だにチベット人は苦しんでいるのであろうか。その本来の宗主のあまりにも長き不在は、今どう思われているのだろう。


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