2009年の10月の東京モーターショーで、マツダはエンジン、トランスミッション、プラットフォームにいたる一連の「スカイアクティブ」技術群を発表した。当時は、リーマンショックの後遺症で、どの会社も経営的に苦しんでおり、外国メーカーはこぞって東京モーターショーをスキップした。世界の自動車メーカーのトップには、2009年に経営破綻したGMに変わりトヨタが躍り出て、アウディや高級車ベントレーなどのマルチブランドを要するフォルクスワーゲンが、ダウンサイジングエンジンなど技術面でも躍進し、その後の1000万台を巡る争いに突入しようとしていた。そうした中で、年産140万台程度の中規模なマツダがどう生き残りをかけるのか、その答えが、まさに「社運を賭けた」スカイアクティブ技術群だった。そして、2015年末の現在、マツダは国内のおけるクリーンディーゼル車のパイオニアであり、「Kodo」から始まった躍動感あふれるデザインも支持されて、4年間で3回も日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど圧倒的な存在感を示している。
本書は、21世紀に入ってのマツダの開発史をドキュメントする内容といってよい。今のマツダ躍進の端緒は、2002年に発売されヒット商品となった初代アテンザにあったようだ。アテンザは、フォード製エンジンのくびきから解放されて、マツダ独自開発のMZR4気筒エンジンを搭載。乗り心地とハンドリングを高いレベルで両立させて一躍人気モデルとなった。中国では今も生産されているそのセダン、ワゴンのデザインが、日本車のレベルを一頭抜けて洗練されていたことも人気の理由だった。
アテンザの成功で、自分たちのエンジンでクルマを開発する喜びを再認識した主査の金井(現会長)は、2005年頃に「世界一のクルマ」をつくることを社内に呼びかける。そこから、内燃エンジンの原理原則に立ち返ったスカイG(ガソリン), スカイD(ディーゼル)の開発も始まる。トヨタが圧倒的に先行するハイブリッドシステムをやっても所詮はフォロアー。フォルクスワーゲン流の直噴ダウンサイジングターボは、コストがかかりすぎる。自由な発想で作ろうと社内では「のびのびエンジン」と呼ばれていたスカイエンジンは、実は厳しい競争環境の中でマツダの取りえる限られた選択肢であったことを思わせる。それがガソリンエンジンの高圧縮比を実現し、熱効率と燃費を飛躍的に高めることだった。
マツダは、その歴史の中でも、ロータリーエンジンを唯一量産化したり、ユーノスロードスターで、ライトウェイトスポーツカーを復活させたり、時に世界の自動車史に残る業績を上げてきた。しかし、70年代のオイルショック後の経営危機とその後の銀行とフォードの経営への関与。バブル時代のプレミアム戦略と国内5チャンネル化の挫折など、80年代以降の経済のグローバル化と競争環境の変化に翻弄される時代が続いたと言える。
本書を読んで感じるのは、今回は単発の成功ではなく、マツダが自動車メーカーとして本物のアイデンティティーを掴んだ(育んだ)のではないかと思わせる点だ。そこには、バブル時の失敗、1996年以降のフォード傘下の時代、そうした過去30年以上にわたる経験から学んだ「人」と「組織」が見えてくるように思える。マツダのアイデンティティーとは、「際立つデザイン」、「抜群の機能性」、「反応の優れたハンドリングと性能(responsive handling and performance)」と定義されているというが、今のマツダはまさにeureka”(I found it)という心境ではないだろうか。
本書は、マツダがいかにしてスカイアクティブシリーズで飛躍的に商品力を高め、ブランドそのものを別の次元に引き上げる改革を行ってきたかを知ることができる点で、自動車や経営に興味のある人には、大変興味深い読み物になっている。