ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『夜明けのすべて』を観て

2024年02月21日 | 日本映画
『夜明けのすべて』(三宅唱監督、2024年)を観てきた。

PMS(月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さんは、会社の同僚・山添くんのある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。
転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添くんだったが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。
職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。
やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになり・・・
(映画.comより)

PMSのためにイライラし怒りを爆発させる藤沢さんは前の職場でも居づらくなり、今では顕微鏡や天体望遠鏡を製造販売している家内工業的な会社に勤めている。
そこに後輩として勤めだした山添くんはパニック障害の持ち主。
二人は最初、馴染めない同士の相手だったが、時が経つに連れそれぞれの病気を理解するようになり、互いに思いやるようになる。

登場する人物みんながいい人で、藤沢さんも山添くんも苦しい症状を抱きかかえているけれども、映画そのものは穏やか。
そして、観ている側としてはPMSやパニック障害について、少しでもより多く理解が深まっていく、そんな風な勉強にもなる作品でした。
それと、出てくる人たちがみんな自然体の演技で、特に萌音ちゃんがとっても素晴らしくって、ついつい引き込まれてしまった。
これは監督三宅唱のなせる技だなと、つくづく感心させられもしました。



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『カラオケ行こ!』を観て

2024年02月19日 | 日本映画
『カラオケ行こ!』(山下敦弘監督、2024年)を観てきた。

中学校で合唱部の部長を務める岡聡実は、ある日突然、見知らぬヤクザの成田狂児からカラオケに誘われる。
戸惑う聡実に、狂児は歌のレッスンをしてほしいと依頼。
組長が主催するカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける恐怖の罰ゲームを免れるため、どうしても歌がうまくならなければならないのだという。
狂児の勝負曲は、X JAPANの「紅」。
嫌々ながらも歌唱指導を引き受ける羽目になった聡実は、カラオケを通じて少しずつ狂児と親しくなっていくが・・・
(映画.comより)

中3の合唱部の男の子とヤクザの組み合わせ。
それも、歌がうまくなりたいためにヤクザの方が、男の子に下手に出て先生として丁寧に扱う。
一般的に言えば、現実的にマァあり得ない交流の仕方なので、突飛過ぎてくだらないとなりそうなのに、観る者をグイグイと引っ張り込んでいく。

正直に言って、無茶苦茶面白かった。
何がいいって言って、理屈をこねて観なくって良くって、単純にこの身を流れに任せぱなしにしてクスクス笑っていられるところ。

山下敦弘の作品は、あの、高校生活最後の文化祭で「ザ・ブルーハーツ」のコピーバンドをする少女たちの、『リンダ リンダ リンダ』(2005年)が大好きだからこの作品も観て正解だった。


こういう作品を観ると、もっともっと映画を観たくなって明日も劇場に足を運ぼうと決心した。
コメント (2)
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『ビヨンド・ユートピア 脱北』を観て

2024年02月04日 | 2020年代映画(外国)
『ビヨンド・ユートピア 脱北』(マドレーヌ・ギャヴィン監督、2023年)を観てきた。

韓国で脱北者を支援するキム・ソンウン牧師の携帯電話には、日々何件もの連絡が入る。
これまでに1000人以上の脱北者を手助けしてきた彼が直面する緊急のミッションは、北朝鮮から中国へ渡り、山間部で路頭に迷うロ一家の脱北だ。
幼い子ども2人と80代の老婆を含めた5人もの人たちを一度に脱北させることはとてつもない危険と困難を伴う。
キム牧師の指揮の下、各地に身を潜める50人ものブローカーが連携し、中国、ベトナム、ラオス、タイを経由して亡命先の韓国を目指す決死の脱出作戦が行われる・・・
(公式サイトより)

凄い作品を、時間を忘れ一気に観させられたと言うのが率直な感想である。
ドキュメンタリーとして映し出される緊迫した同時間的な流れ。
観ている方も必然的に、それを同体験させられ画面から一時も目を離せられない。

この作品の優れていると思うのは、ロ一家の5人の脱北だけを映し出すだけでなく、並行して、今は韓国にいる脱北者リ・ソヨンの息子チョンの脱北の試みも同時に組み入れていること。
その対比によって一層の緊迫感が醸し出されている。
そのチョンは、折角中国まで脱北したが、ブローカーが裏切って当局に通報したために北朝鮮へ強制送還されたという。
と言うことは、チョンにはこの先どんな運命が待っているのか。
離ればなれとなって、ずっとチョンと会っていないその母親リ・ソヨンの心情を思うと胸が締め付けられる。

その二つの脱北をメインに捉えながら作品は、脱北者で脱北の体験の著作もある活動家イ・ヒョンや他の支援者のこと、
そして日本による戦前の朝鮮統治から戦後の金日成による朝鮮民主主義人民共和国の建国、その後の金正日、金正恩による3代世襲の独裁体制、
そこからくる最高指導者への個人崇拝と絶対服従が分かりやすく組み込まれ、それによって内容がより立体的となっている。

それにしてもこの作品の中心人物である支援者キム・ソンウン牧師の精力的な活動には本当に頭が下がる思いがする。
そしてその裏返しとして、現在の金正恩の独裁体制はどうにかならないのかと憤りを感じる。
そのような感想と感銘を受けながら、この作品を日本国中と言わず世界中の人々にも観てもらいたいと強く思った。
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『コット、はじまりの夏』を観て

2024年02月02日 | 2020年代映画(外国)
『コット、はじまりの夏』(コルム・バレード監督、2022年)を観てきた。

1981年、アイルランドの田舎町。
大家族の中でひとり静かに暮らす9歳の少女コットは、赤ちゃんが生まれるまでの夏休みを遠い親戚夫婦のキンセラ家のもとで過ごすことに。

寡黙なコットを優しく迎え入れるアイリンに髪を梳かしてもらったり、口下手で不器用ながら妻アイリンを気遣うショーンと子牛の世話を手伝ったり、
2人の温かな愛情をたっぷりと受け、一つひとつの生活を丁寧に過ごしていくうち、はじめは戸惑っていたコットの心境にも変化が訪れる。

緑豊かな農場での暮らしに、今まで経験したことのなかった生きる喜びに包まれ、自分の居場所を見出すコット。
いつしか本当の家族のようにかけがえのない時間を3人で重ねていく・・・
(公式サイトより)

大家族とは言わないまでも、姉弟が多くいる中で、父親からは特に疎んじられているコット。
学校でも物静かなためか、同級生たちからは仲間外れの存在。
そんなコットが妊娠している母親の負担を軽くするために、田舎にある親戚の家へ夏休みの間行かされる。

アイリンはコットが来たのをとっても喜んでくれいろいろと世話を焼いてくれるが、夫のショーンは無愛想な対応しかしない。
そのような状況の中で、無口なコットがショーンがしている牛小屋の掃除などを手伝って日々を過ごす。

ただ、公式サイトのあらすじにある“2人の温かな愛情をたっぷりと受け”と言うような甘ったるいような意味合いではなく、
アイリンはいつも慈しんでくれ、ショーンも一歩引いて影でコット見守ってくれるという感じである。

一夏を過ごす生活の内容的には、これと言って日々の変化があるわけではないが、それでも1か月も経ってみればお互いにかけがえのない存在となっていたりする。
見終わって、久し振りに清純な作品を観たと感じ、心が洗われる思いがした。



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アキ・カウリスマキ・6~『マッチ工場の少女』

2024年01月27日 | 1990年代映画(外国)
『マッチ工場の少女』(アキ・カウリスマキ監督、1990年)を再度観た。

ヘルシンキの場末。
イリスは、母と義父の三人で暮らす冴えない年頃の女性。
マッチ工場に勤めているが、親は彼女の収入をあてにして働かず、家事までさせる始末。
たまに化粧をしディスコに行ってみたりもするが、誰からも声をかけて貰えない。

給料日、イリスはショーウィンドーで見かけた派手なドレスを衝動買いする。
親に咎められ返品を命じられるが、かまわずドレスを着てディスコに行くと、アールネという男に声をかけられる。
一流企業に勤める彼の豪華なアパートで一夜を共にする二人。

アールネに惚れ、さらなるデートを取り付けようとするイリス。
自宅へ招き両親にまで会わせるが、あの夜のことは遊びだったとアールネは告げる。

後日、妊娠していたことを知ったイリスは、一緒に子供を育てるようアールネに手紙を書く。
しかし返事は、小切手と中絶を求める短い言葉だけだった。
放心して町へさまよい出たイリスは、クルマにはねられ流産してしまう。
さらに追い打ちをかけるように、義父からは母に心労をかけたと勘当される。

兄のアパートに転がり込み、途方に暮れるイリス。
やがて意を決した彼女は、薬局で殺鼠剤を購入し・・・
(Wikipediaを一部修正)

アキ・カウリスマキ作品を初めてこの『マッチ工場の少女』で知って、あれからもう30年以上になる。
記憶も朧気になっているので、もう一度DVDで観ることにしてみた。

固定されたカメラワークの中での変化の少ない人物の動き。
それに伴う最小限の会話。
要は、対象となる画面の中の人物を見ながら、今何を思い考えているのかを観客に想像させること。
そのことを30数年前に観たとき、それまでに見たことがない手法に驚きと戸惑いを覚えた。
だがそれ以降慣れ親しんでしまった今観ると、成る程と違和感を全く感じない。

それにしてもこの作品、あのカウリスマキのとぼけた感じのユーモアが一切なくって、へぇと思った。
ただ、背景のテレビ画面から中国の天安門事件の映像が映し出されていたりすると、それに対してのメッセージはないのだけれど言わんとする主張が読み取れる。
声高には言わないけれど、常に社会の出来事を意識すること、そのことが作品の中にない交ぜとなって表われる。

ラスト、マッチ工場でいつも通り働くイリスの元に、二人の刑事がやって来てイリスを連れていく。
この場面に関連して、なぜかフゥッと自然に思い出されるのが、『太陽はいっぱい』(ルネ・クルマン監督、1960年)のラストだった。





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アキ・カウリスマキ監督作品

2024年01月25日 | 目次・アキ・カウリスマキ作品
1.『希望のかなた』を観て
2.アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観て
3.アキ・カウリスマキ・1~『コントラクト・キラー』
4.アキ・カウリスマキ・2~『白い花びら』
5.アキ・カウリスマキ・3~『ハムレット・ゴーズ・ビジネス』
6.アキ・カウリスマキ・4~『真夜中の虹』
7.アキ・カウリスマキ・5~『パラダイスの夕暮れ』
8.アキ・カウリスマキ・6~『マッチ工場の少女』
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アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観て

2024年01月24日 | 2020年代映画(外国)
『希望のかなた』(2017年)を最後に映画監督の引退宣言したアキ・カウリスマキだったので、次の作品はもうないと思っていたら、
『枯れ葉』(アキ・カウリスマキ監督、2023年)が今、上映中と知り慌てて観てきた。

北欧の街ヘルシンキ。
アンサは理不尽な理由で仕事を失い、ホラッパは酒に溺れながらも、どうにか工事現場で働いている。
ある夜、カラオケバーで出会った2人は、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。
だが、不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける。
果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか・・・
(MOVIE WALKER PRESSより)

アンサはひとり住むアパートで、働いているスーパーマーケットからこっそり持ち帰った消費期限切れの惣菜で食事をする生活を送っている。
片や、金属工場で働くホラッパは、人付き合いが苦手で勤務中には隠れて飲酒したりする。
ある夜、ホラッパは年上の同僚のフオタリに誘われてカラオケ・バーに行きアンサに出会う。
ふたりは惹かれ合うところがあっても、ホラッパは声をかけることができない。

アンサはギリギリの生活の中で、職場のスーパーの期限切れのパンを1個ポケットに入れていたことが見つかりクビになる。
次にやっと見つけたパブの皿洗いの仕事も、初の給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまいダメになる。
そこへホラッパが店に飲みに来て、ふたりは再会する。
ホラッパは勇気を出してアンサをお茶に誘い、その後でゾンビ映画を観る。
そして別れ際、アンサから電話番号を書いたメモをもらったホラッパだったが、生憎メモをうっかり落としてしまう。

そのあとホラッパも勤務中の飲酒がばれてクビになりと、ご都合主義的にストーリーは流れるが、淡々とした寡黙な映像の中に現われる人物の心の動きがよくわかり飽きない。
それに加えて、一見、陰気臭い内容を、随所に散りばめられた音楽が和ませる。
特に「竹田の子守唄」や「マンボ・イタリアーノ」の曲、おまけにチャイコフスキーの「悲愴」なんかもこれはと言う場面に流れて盛り上げてくれる。
そればかりか、例のアキ・カウリスマキ独特のとぼけた感じが随所にあって、クスクス笑いしてしまう。

労働者3部作『パラダイスの夕暮れ』(1986年)『真夜中の虹』(1988年)『マッチ工場の少女』(1990年)に連なる『枯れ葉』だと言うことだが、特に『パラダイスの夕暮れ』によく似た感じだなと思う。
しかし典型的に違うのは、世相を反映し、アンサが部屋で付けるラジオから流れるロシアによるウクライナ侵攻のニュース。
そのような背景の世の中で、貧しい生活を送りながらも生きる希望を捉えていて、とっても愛おしい気持ちを抱かせるいい作品だった。
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『PERFECT DAYS』を観て

2024年01月21日 | 2020年代映画(外国)
『PERFECT DAYS』(ヴィム・ヴェンダース監督、2023年)を観てきた。

東京スカイツリーが近い古びたアパートで独り暮らしをする、中年の寡黙な清掃作業員・平山は、一見、判で押したような日々を送っている。
毎朝薄暗いうちに起き、台所で顔を洗い、ワゴン車を運転して仕事場へ向かう。
行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。
それらを次々と回り、隅々まで手際よく磨き上げてゆく。

一緒に働く若い清掃員・タカシはどうせすぐ汚れるのだからと作業は適当にこなし、通っているガールズ・バーのアヤと深い仲になりたいが金がないとぼやいてばかりいる。
平山は意に介さず、ただ一心に自分の持ち場を磨き上げる。
作業をつづけていても、誰からも見て見ぬふりをされるような仕事。
しかし平山はそれも気にせず、仕事をつづける・・・
(Wikipediaより一部抜粋)

清掃作業の仕事をしながらの平穏な暮らし。
その日常の中に、部屋の中に置いてある小さな植木に水を吹きかけることや、移動中に聴くカセットテープからの古い曲、木々をフイルム式の小型カメラで撮ることが混じる。
そして、銭湯での一番湯と、その後での地下商店街での飲みながらでの軽い食事や読書の楽しみ。
そんな単調そうな毎日の繰り返しの中にも、微妙な変化はあって生活は流れていく。
他人から見たら一見詰まらなそうにみえる人生を、平山は十分に充実させて生きている。

木が好きな平山に“木漏れ日”のイメージが被さる。
光と影のモノトーンは静かに揺れ動き、平山の人生もそれに同調する。
一風変わった人たちと混じり合う都会の風景の中で平山は幸せを感じる。

見終わって、起伏は無くってもこんな人生もいいなと感じる。
それと同時になぜか、役所広司よりか出番の少ない三浦友和の方に強烈な印象を受ける。
それは平山の過去の掘り下げが浅く、もっと深ければスナックのママの元夫である三浦友和との対比がより鮮明になったのでは、と思うからかも知れない。
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『フィリピンパブ嬢の社会学』を観て

2023年12月15日 | 日本映画
来年2月から封切られる『フィリピンパブ嬢の社会学』(白羽弥仁監督、2023年)が、ご当地作品のために先行封切りされている。
舞台が隣町ということもあって、興味津々の思いも絡んで観てきた。

2010年代の愛知県。
大学院で国際関係学を専攻する翔太は、在日フィリピン人を理解しようとの思いからフィリピンパブでのフィールドワークを思い立つ。
研究計画を読んだ指導教員から好反応を得て、名古屋市の繁華街・栄にあるフィリピンパブへと足を踏み入れるが、
そこは「ゆとり世代」の翔太の想像をはるかに超える「事情」を抱えたパブ嬢たちが待つ場所だった・・・
(パンフレットより)

翔太は修士論文の研究論文のために、見慣れないフィリピンパブへ足を踏み入れる。
そこで接客してくれたのがミカ。
翔太は研究のためにミカに質問責めをするが上手にはずらかされ、挙げ句、翌日からはミカの営業電話が掛かって、指名してまで行くことになる。

学生の翔太にとってパブの料金は大きな出資である。そこへまたミカから電話が入る。
金がない翔太に千円でいいから店に来て、とミカは誘う。
それっぽちの料金のはずはない、騙されたつもりで七夕パーティー行った翔太に、会計料金は本当に千円のみだった。
ホッとした翔太は、お礼にミカをデートに誘う。

このようにして二人に徐々に信頼が芽生え、心が溶け始めて互いに恋心が募り出す。

作品は、二人のほのぼのとした愛に向かっての、その背景にある、外国人がなぜ日本で稼ごうとするのか、
その裏での本人たちに対する制約・掟もヤンワリ提示する。
それと対になって際立つのが、フィリピン人と日本人の物事に対する思考の違いと家族関係の違い。

苦境の中にあっても、何事に対しても明るいミカは言う「大丈夫、何とかなる」。
それを聞いて、「ああ、そうだね、あんまり物事くよくよ考えちゃダメだね」と観ている我々も背中を押される。

ご当地作品という言葉、なぜか軽さを感じるところもあるが馬鹿にしてはいけない、とっても心暖まるいい映画だった。

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『法廷遊戯』を観て

2023年12月12日 | 日本映画
1週間前になるが、『法廷遊戯』(深川栄洋監督、2023年)を観てきた。

弁護士を目指してロースクールに通うセイギこと久我清義(きよよし)と、同じ学校で法律を学ぶ幼なじみの織本美鈴、
2人の同級生でロースクールの学生たちが行う「無辜(むこ)ゲーム」と呼ばれる模擬裁判を司る天才・結城馨は、
共に勉強漬けの毎日を送っていた。

無事に司法試験に合格し、弁護士となった清義のもとに、ある時、馨から無辜ゲームをやろうという誘いがくる。
しかし、呼び出された場所へ行くとそこには血の付いたナイフをもった美鈴と、すでに息絶えた馨の姿があった。
この事件をきっかけに、3人をめぐる過去と真実が浮かびあがっていき、事態は二転三転していく・・・
(映画.comより)

結城馨はすでに司法試験に合格しているのに敢えてロースクールに残り、なぜ模擬裁判「無辜ゲーム」を執り行ったのか。
その目的が、後々で徐々に掘り起こされていく。

久我清義と織本美鈴は、親からの虐待により同じ児童養護施設で育ち、支え合ってきた仲だった。
そんな美鈴が、そこの施設長から性的暴行にあう。
それを目撃した清義は、ある時行動に移す。

高校生の頃、電車の中で痴漢された美鈴は、なかったことにして欲しいと相手から金を掴まされる。
それをキッカケとして清義と美鈴は痴漢のゆすりを働いていく。

ある日、美鈴が痴漢を仕向けた相手は現役の警察官だった。
しかしその警官は、痴漢をしたと社会的に葬られ、挙げ句は精神を病み自殺する。

この警官が他でもない馨の父親だったという事実。
だから馨が何を目的として、「無辜ゲーム」以下を行なったのかが明らかにされていく。

しかし物語は、平坦な単純化にはされない。
もう一癖あって、成るほどそうなのか、と最後になる。

この作品の原作本は読んでいないが、それにしてもよく出来た見応えのある満足できる映画だった。
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