ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『シーヴァス』を観て

2015年11月19日 | 2010年代映画(外国)
トルコの新鋭監督の初長編ということで興味が湧き、『シーヴァス』(カアン・ミュジデジ監督、2014年)を観て来た。

トルコ東部のアナトリア地方の村に住む11歳の少年アスランは、舞台「白雪姫」の王子役を希望していた。
だが、王子役は村長の息子オスマンに決まり、彼が恋心を抱くアイシェが白雪姫役に。
ある日、村で闘犬が行われ、アスランは勝負に破れたボロボロの闘犬シーヴァスを助ける・・・・
(YAHOO!映画より)

少年と闘犬の関係を軸に描く壮絶なヒューマンドラマという謳い文句である。
しかし、冒頭の「白雪姫」の話はその後出て来ず、助けた闘犬の話が中心でヒューマンドラマらしいドラマもなかった。
要は内容に深みがないのである。

そもそも映像が良くない。
この映画のオフィシャルサイトを読むと、
「アナトリア地方の広大なロケーションをバックグラウンドに、これまでに見たことも感じたこともないような、研ぎ澄まされた映像美」と出ている。

果たして、本当にそうなのか。
手持ちカメラによる画面のブレはしょうがないだろうと思う。
『奇跡の海』(1996年)や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)のラース・フォン・トリアー 監督がそうだから。
しかし、カメラの視点が少年を主体にしているから、他の大人はやたらと背中ばかりで、一向に表情がわからない。
最たる場面は、クライマックスのはずの闘犬シーンは、犬同士はほとんど映らずカメラが少年を追っているから迫力がない。
それと、全体を通してカメラが被写体に近づき過ぎて、人の頭が画面から切れたりして、スクリーンに対して上からの抑圧感を感じて重苦しい。
画像も決してきれいではないし。

これを「研ぎ澄まされた映像美」と宣伝するのである。
本当にそう思って書いているのだろうか。
だったら、映像美についてもっと勉強してもらわないといけない。
そう思っていないとしたら、映画に対する犯罪である。
宣伝文句がオーバーなのは昔からであるが、その宣伝を読んで期待しながら観ると、がっかりする場合がよくある。
それが繰り返されると、映画なんてつまらないと観客が離れて行き、映画人口そのもが衰退していく。
映画愛好家の一人として、そのことをもっと真剣に考えてほしいと思う。
コメント
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