ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『悲恋』を観て

2017年09月12日 | 戦前・戦中映画(外国)
前回の連想で、ストーリー、脚本がジャン・コクトー(1889-1963)の『悲恋』(ジャン・ドラノワ監督、1943年)を観た。

フランスはブルターニュ。
妻に先立たれている地方領主のマルクは、領地内の城に身内の4人と一緒に暮らしている。
一人が、亡き妻の姉妹の子で、両親のいない青年パトリス。
その他に、やはり妻の妹であるゲルトルートとその夫、そして夫婦の子アシール。

マルクは、パトリスには愛情を注いでいるが、ゲルトルート一家のことは厄介者に思っている。
しかしマルクにとって、ゲルトルートは義妹なので追い出すこともできない。

ある日、パトリスは、叔父マルクに結婚したらどうかと提案し、
マルクから了承を得た彼は、領地内の島へ花嫁探しに出かける。

船に乗って島に来たパトリスは、とある酒場で荒くれ者とケンカになり、ナイフで傷を負って気を失う。
その場にいた女性、ナタリーは周囲の人に頼み、パトリスを自分の家に運んでもらい・・・

傷が回復したパトリスはナタリーに、叔父との結婚を申し出る。
ナタリーは、彼女の婚約者気取りでいる荒くれ者から逃れられるし、
希望もない寂しい島から離れられると、その夢にのる。

このようにして物語はどんどん進んで行き、この成りゆきが観ていて最後まで飽きない。
それもそのはずで、内容は「トリスタンとイゾルデ」の伝説を基にしている。
だから、パトリスとナタリーには“媚薬”が重要な役割を果たすことになるし、
後半には、もう一人の“ナタリー”が現れる。

勿論、筋ばかりでなく映画的にも興味が尽きない。
特に、悪だくみをする小人症アシールの、パトリスを見る眼の表情などはサスペンスを帯びていたりする。
そして、パトリス役のジャン・コクトーの作品には欠かせない“ジャン・マレー”がナイーブで、全体の雰囲気にマッチしている。

この作品が多少は時代掛かっていると感じたとしても、私にとっては決して飽きることのない、非常に優れた「悲恋物語」であった。
コメント (2)
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