『素晴らしき放浪者』(ジャン・ルノワール監督、1932年)を観た。
ひとりの浮浪者がセーヌ河に身を投げた。
それを偶然見ていたブルジョワの書店主エドワール・レスタンゴワは彼を救い、さらに衣食住も提供してやる。
ところが助けられた浮浪者ブーデュのあまりの尊大さに、レスタンゴワの妻エンマと、メイドのアンヌ=マリーのイライラは募るばかり。
温厚なレスタンゴワも、家宝の本をブーデュに汚されてとうとう業を煮やし・・・
(DVDパッケージのあらすじより一部修正)
なんとも不思議な感じが漂い、面白くて味わいのある作品、か。
まず、浮浪者ブーデュが徹底した自由人であること。
その自由人を描くために、この映画作りそのものが自由であるところがにくい。
だって、ブーデュの犬が公園で行方不明になって、一応探すけど後は知らんぷり。
そして、なぜかブーデュはセーヌに飛び込んでしまう。
その理由の説明は、最後までなし。
観ている方は、多少でも理由ぐらい知りたいのに、おかまいなしなのが人を食っている。
そして、どこまでもおおらかの一点張り。
ブーデュは助けてもらいながら、命の恩人に悪態をつく。
振る舞いも無作法の限りを尽くし、とうとう居候までしてしまう。
元々、亭主エドワールはメイドのアンヌ=マリーといい仲だけど、
ブーデュは、亭主の奥さんエンマを寝取って、ついでにアンヌ=マリーともねんごろになる。
もう、やることなすことが無茶苦茶のやりたい放題で、常識もなし。
そして、悪ふざけも手伝って、エドワールの生活は引っ掻き回されっぱなし。
それでも嫌味がないのは、ここに登場している人たちがお人よしで楽天的なためか。
結婚を決めたブーデュとアンヌ=マリーは、他の人たちも一緒に、式のお披露目を舟でゆく。
そして、河の舟は転覆。
流されたブーデュは、畑の案山子の服に着替え、どこかへ歩み去って行く。
なんともあっけからんとした浮浪者ブーデュの自由さが、観終わっても心地よい。
この作品、以前に観ていたが、再度観るまでどんな内容なのか思い出せなかった。
しかし、ブーデュがセーヌ河に身投げし、対岸の家から望遠鏡でたまたま見ていたエドワールが、河に飛び込んで助けるシーンにきて、
そのドキュメンタリータッチの映像を見て、ああこの映画だったのかと、納得した。
なにしろ、あの場面の橋の上にズラリといる人や周囲の人たち、その群衆の数をみると、当人たちはどうやら本物の救出劇を見ているつもりでいるとしか思えない。
だからこのシーンは、一度観ただけでも、しっかりと記憶に焼き付いて離れない。
そんな場面もジャン・ルノワールの独自さとなって、この作品を優れたものとしていると思う。
蛇足だが、このジャン・ルノワールは、あの印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男である。