ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ふたりの女』を観て

2022年10月24日 | 1960年代映画(外国)
『ふたりの女』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1960年)を観た。

第二次大戦中、空襲が増すローマ。
女手ひとつで食料品店をやり繰りするチェジラは、ひ弱な13歳の娘ロゼッタのために生まれ故郷に疎開しようと決意する。
留守中の店の管理は、先立たれた夫の友人ジョヴァンニに託す。
ジョヴァンニはチェジラに好意を抱いていて、チェジラは抗いながらもジョヴァンニに身体を許すことになる。

生まれ故郷の村では、まだ食料困難までにはなっておらず、大勢の人が疎開して来ていた。
その中の一人、青年ミケーレは何かとこの母娘に気を配ってくれ、ロゼッタはいつしか彼を慕うようになった。
だが彼女は、ミケーレが母を愛していることに感づいていた。

戦況はムッソリーニ政権が崩壊し、村を支配していたドイツ兵は逃走のための道案内としてミケーレを拉致して行った。
そして程なくして、米軍が戦車を連ねて進駐してきた・・・

米軍も来るようになり、戦争の終わりが近いと判断した疎開していた人達は、村を後にし始める。
チェジラも、ロゼッタを連れてローマに帰ることにする。
ローマへの帰路の途中、廃墟となった教会で休息しようとした二人は、北アフリカ植民地兵であるモロッコ兵士の集団に襲われる。

この作品は、昔から是非とも観たかった映画のひとつで、それを今回やっと観た。
と言うのも、後半の二人の悲惨さについては色々と耳にしていたからである。

確かに酷い。
母親と娘が同じ場所で大勢に強姦される。
兵士たちが立ち去って、母親であるソフィア・ローレンがそばで茫然自失となって倒れている娘を抱きかかえる。
想像以上に残酷である。
そればかりか、二人にとって大事な人であるミケーレはもうこの世にいない。

戦争とは何であるか。
大義名分を持って戦争を指令している人間には、一般市民の個々の惨状には思いを至らないであろう。
どんな理屈も要らないから、まずは、戦争は起こしてはならないと、ロシアの独裁者をみて思う。
この作品は、ソフィア・ローレンの真に迫る演技やジャン=ポール・ベルモンドを見たいという以上に、誰もが観るべき映画であると痛感した。
コメント (2)
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