花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

報恩ということ

2017-01-28 | 日記・エッセイ
『禅文化』243号の特集は《遠諱報恩大摂心からの一歩》である。巻頭の「臨済禅師1150年・白隠禅師250年 大遠諱雲衲報恩大摂心を終えて」(円覚寺管長、円覚僧堂師家、横田南嶺著、敬称略、以下同文)では、昨年三月、全国の道場から京都に集まった約230名の若き雲水が予定の日程を終えて、ふたたび帰りゆく雨降る最終日の光景を以下の様に記しておられた。その御人柄がゆかしく偲ばれる文である。

 「若い彼らが、これから僧侶として生きてゆくのは、この冷たい雨よりももっと厳しい道になることでしょう。寺離れや寺院消滅の危機などと言われる中を旅たたねばならないのです。
 私は山門を出てゆく雲水一人ひとりに合掌しながら、ずっとその雨に濡れた草履を見つめていました。
 そして「どうか、この冷たい雨の中を、草履を履いて歩いたこの日のことを終生忘れないで欲しい。辛い時、苦しい時には、この日のことを思いだして欲しい。大勢の管長や、老師方が、手を合わせて見送ってくれたこの日のことを忘れないで欲しい」と念じるうちに、涙がにじんできました。
 二百三十余名の若い「一無位の真人」達の旅立ちを見送ったのです。」

(季刊『禅文化』第243号, p15, 禅文化研究所, 2017)

本号には上記の大遠諱雲衲報恩大摂心写真展(平成28年3月5日~9日、於東福寺、撮影者:平林克己、田原等弘、西村惠弘)として、雲衲到着から出立までの厳しい修行の一挙一動を捉えた四十一葉の写真が掲載されている。行雲流水と記された頁の最終の写真は、街路に一列に黒い雨合羽姿で連なり遠ざかり行く列において、最後尾の雲水が来た道を振り返り深々と網代笠の頭を下げている写真であった。