図166、左側の膜性迷路 / 臨床応用局所図譜(Atlas der topographischen und angewandten Anatomie des Menschen) 第一巻 頭部と頚部, Eduard Pernkopf著, p160, 医学書院, 1975
内耳は側頭骨内に位置する聴覚及び平衡覚の末梢器官であり、内耳を囲む骨(骨迷路)の中は空洞で、冒頭写真の膜構造から成る膜迷路が存在する。前方より内耳は、聴覚を司る感覚器官である蝸牛(かぎゅう、cochlea)、平衡覚に関する器官である前庭(vestibule、卵形嚢と球形嚢)と半規管(semicircular canal、前・外側・後半規管)に分けられる。蝸牛は名称の通り、管状構造が螺旋形に渦巻いたカタツムリの形をしていて、内部は上層より鼓室階、中央階、前庭階の三つのコンパートメント(区画)に区切られている。鼓室階と前庭階を満たす外リンパ液は通常の細胞外液とほぼ同じ電位とイオン組成を有するが、中央階(膜迷路の蝸牛管)を満たす内リンパ液は細胞内液に類似した高いカリウムイオン濃度とともに高電位を示す特殊な体液である。これらのイオン組成、電位や容量の恒常性を維持するシステムが破綻すると、聴覚や平衡覚の障害が惹起される。
このように細胞内小器官から蝸牛構造に至るまで、人体のあらゆる部位は異なった独自のローカル環境を有する区画から形作られていて、これらの有機的な総合体が人体である。異質な世界が背中合わせに共棲みして機能するのが人の身体なのである。
さて蝸牛の中には内耳の働きを維持する機構が詰め込まれているのだが、夭折した童話作家、新美南吉の『デンデンムシノ カナシミ』には、自分の背中の殻の中に「カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」と気付いて哀しみ、どうしたらよいのだろうと友達を訪ね歩くデンデンムシが主人公である。結局、カナシミは皆誰の背中にもあることを知り、デンデンムシは「コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」と嘆くのをやめる。
そして和漢朗詠集下巻、無常には、「蝸牛の角の上に何事をか争ふ 石火の光の中にこの身を寄せたり」という、白居易の五首から成る《對酒》から選ばれた詩句がある。一般にカタツムリは触角の先に小さな目を持つ。我等が性懲りもなく繰り返す人間同士のバトルを、カナシミを背中から降ろさず前に進み行くことを選んだ彼(彼女)等はどのような思いで眺めているのだろう。
對酒五首 其ニ 白居易
蝸牛角上争何事 蝸牛角上何事か争はん
石火光中寄此身 石火光中此の身を寄す
随富随貧且歓楽 富に随ひ貧に随ひ且つ歓楽す
不開口笑是癡人 口を開いて笑はずんば是れ癡人
かたつむりの角の上みたいなしょうびんなとこで、あれやこれやと何を争うておいでです。石をこちんとやったらぱっと出る火花のような人生に、ただ身いを置いてるだけですのに。
ええしやったらええしなりに、そうでないのやったらそれもそれなりに、今をせいだい楽しみましょうや。口を開けて呵呵大笑、そんなんあほらしゅうてやれるかって?その出来へんというのこそが、ほんまのあほうとちゃいますか。(拙訳)
ええしやったらええしなりに、そうでないのやったらそれもそれなりに、今をせいだい楽しみましょうや。口を開けて呵呵大笑、そんなんあほらしゅうてやれるかって?その出来へんというのこそが、ほんまのあほうとちゃいますか。(拙訳)
参考資料:
日本古典文学大系73『和漢朗詠集 梁塵秘抄』, 川口久雄、志田延義校註, 岩波書店, 1946
新釈漢文大系105「白氏文集九』, 岡村繁著, 明治書院, 2005