風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

風立ちぬ、いざ生きめやも

2018年08月07日 | 「新エッセイ集2018」

 

その木造の小さな教会は、つねに開放されている。
訪れる人々は黙って入り、しばし木製の長いすに座り、薄暗い室内に目を凝らす。
壁も窓も、屋根を支える梁も、素朴な祭壇も、すべて木でできている。木から木へと森を抜けてきた風が、そのまま教会の建物を吹き抜けても不思議ではない。
風も人も、そして神ですら、自由に行き来する。
老成した神は、あえて手を差し伸べることはしない。ただ黙って受け入れるだけだ。そこでは、人は知らないまに神とすれ違っているかもしれない。

今から100年以上も昔、ひとりのカナダ人宣教師が軽井沢をはじめて訪れた。彼の名前は、アレキサンダー・クロフト・ショー。
彼はこの地の風土に魅せられ、軽井沢で最初の別荘を建て、最初の教会を建てた。
彼は、その数々の功績により「軽井沢の恩父」と呼ばれている。
その古い教会を源流とするかのように、そこから街の賑わいは南へと流れるように延びている。

神とはすれ違ったまま、ぼくは幸せな気分で教会を出た。
薄暗い林のそばの、人がほとんど通らない裏道を抜けると、室生犀星の旧宅がある。以前にも訪ねたことがあるが、今回もなんとなく立ち寄ってしまった。
親戚のおじさんのように、角ばった無愛想な犀星の顔が浮かんだ。おじさんがいつも庭を眺めていたという、板張りの縁側に座って犀星の気分になってみた。
彼が愛した庭苔は、今もきれいに庭を覆っている。
かつて、その庭の一角に雨ざらしの木の椅子があった。眠っているのか瞑目しているのか、じっと目を閉じて座っているのは、若い詩人の立原道造だった。「彼はいつも眠そうだった」と犀星の目には写っていた。

自転車に乗ってやってきた若い女性が、ためらうように木戸から入ってきた。
ショートパンツから伸びた白い脚が、やわらかい絨毯のような苔のあいだを軽やかに縫った。
その白い脚を追って、犀星ならその屈折した文体で、ひとりの女性を艶っぽく生き生きと記録しただろう。
道造なら、過ぎた日のいつかの夢のような風景にして、美しい詩を書いたかもしれない。
ぼくはといえば、長い髪を追って、ただ自転車の風になりたかった。

自転車の風にもなれなかったぼくは、とぼとぼと通りの人ごみに混じって歩いた。
とつぜん「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句が頭に浮かんだ。ポール・ヴァレリーのそれではなく、堀辰雄の『風立ちぬ』の中の言葉としてだった。
白い脚の残像に、小説のあるシーンが誘発されたのかもしれない。
次第に結核が悪化していく若くて美しい恋人。
とつぜん風が立ち、彼女が描きかけの画架を倒してしまう。まだ乾ききっていない絵の具にくっついた枯葉を、彼女は細い指でていねいに取り除いていく。必死で生きたいと願う若い命の残像でもあった。

風の流れのように、川の流れのように、夏のあいだだけ訪れる人たちで、街の通りは賑わっていた。
蕎麦を食べるために、店先で30分並び、注文してから15分待った。食べるのは1分で充分だった。
木の神の恩寵は、必ずしも合理的ではないのだ。生きるため、空腹を満たすためには、ときには現代の神と妥協しなければならないのだった。
蕎麦食いぬ、いざ生きめやも!

 


神はどこにいるのか

2018年08月04日 | 「新エッセイ集2018」

 

神はどこにいるのか。
神を捨て、神に見捨てられたときから、ぼくたちは神を探し始めるのかもしれない。
何かを捨てたとき、その存在に気付くように。
かつて、神は風のなかにいた。風は鳥が運んできた。鳥は神の使いだと信じられた。
風は目に見えるものではなかった。ひとは神をただ感じた。
神は山にも川にも、木にも草にも、いた。森羅万象、あらゆるものの中に、ひとは神を感じることができた。

「天然の中に神の意思がある」
と説いた思想家・内村鑑三は、「神の霊がときに教会の形をして現われても不思議ではない」とも言った。
その理念を受けて造られたのが、軽井沢・星野の地に建てられた“石の教会”だった。
建築家ケンドリック・ケロッグ氏が、自然と対話しながら創りあげた、きわめて独創的な教会である。

  その天井は蒼穹であります。
  その板に星がちりばめてあります。
  その床は青い野であります。

それが、内村鑑三の「神の造られた宇宙」の姿だった。
建築家は、石の壁とガラスの天井で、その宇宙を構築した。
陽光が降りそそぎ、星のように輝く石の壁には水が伝い流れ、まわりは緑の草木が茂る。天然の教会が完成した。

この教会には、十字架はない。
建築家ケロッグが追求したのは、舶来ではない日本人の教会だった。日本という国は、ひとつの宗教にとらわれず、他国の宗教も受け入れる鷹揚さをもっていると、彼は考えた。
自然界のあらゆるものの中に神を認めることができる、それが古来からの日本人の特質だと知っていた。

石の回廊をくぐり、ガラスの天井からそそぐ明るい陽光を浴びながら、大きな石の裂け目に深海のような青空を望む。そこは地上でもない空中でもない、むしろ透明な水中に近い、不思議な空間にいるようだった。
五感が快く包まれ、やがて解放される。その瞬間は、風に似た神の気配に触れているようでもあった。
それは予感のようなものかもしれない。いつか神と再会するかもしれないという、淡い歓びのような感覚だった。

 


地球の匂いがする

2018年08月01日 | 「新エッセイ集2018」

 

このところ南東の空に、いちだんと明るく輝いている星があった。その星が気になっていたが、それが今地球にいちばん近づいている火星だと知った。その輝きの強さは距離が近くなったことの証しだったのだ。星のことや宇宙のことは不思議だが、それ以上のことをぼくはあまり知らない。知らないから神秘でもある。
だいぶ前に、地球の外から138日ぶりに帰還した宇宙飛行士の、地球は草の香りがした、という言葉を聞いたことがある。
草の香り、木の匂い、これは地球の匂いだったのだと改めて驚いた。
ぼくは地球の匂いを嗅ぐことを覚えた。

その夏の軽井沢は、いちだんと木の匂いが強かった。
木が多いこともあるし、高地のわりに湿潤な気候のせいもあるかもしれない。つねに木の匂いに包まれていた。
夕方になると、重たく下りてくる湿気とともに、木の匂いはますます強くなった。
木々の影が深くなった森の入口に、軽井沢高原文庫はあった。それは丘の上に降り立った宇宙船のように見えた。
薄暗い前庭に、「夢はいつもかへって行った」という立原道造の詩碑があった。平板な石の板に文字がならんでいた。失われていく光の下で、陰影だけの文字が白く浮き立って道造の魂が息づいているようだった。

あたりは人影もなく閑散としていた。そこから照明だけが見える本館は、すでに閉まろうとしていた。
30分ほどならいいですよ、と受付の人に猶予をもらったが、そんな短時間で慌しくまわる場所でもない、と思ったので出直すことにした。
再びその機会があるかどうかはわからなかった。でも、いつかまた来れるかもしれないという期待を残しておくのも、誰かと約束ができたような嬉しさでもあった。
見ることができなかった、そこにあるであろう軽井沢の豊穣な文学世界を想像した。
堀辰雄の、有島武郎の、中村真一郎の、野上弥生子の、そして室生犀星や立原道造の、彼らの名前と足跡が、湖畔の森に包まれたまま静かに眠っているような気がした。
それは長い長い眠りかもしれなかった。
現代人のどれほどが、今もなお彼らの文学に接しているだろうか。立ち止まればきっと、芳醇な土の香りや木の匂いがするにちがいないものが、大きな影のままで、ぼくの背後に残されているようだった。

火星には水があるかもしれないという。火星の水や砂はどんな匂いがするのだろうか。
草の香りや木の匂いもするだろうか。
地球の匂いはするだろうか。
軽井沢で地球の匂いを嗅いで歩いたぼくの足は、あれからずっと地球から数ミリ浮遊したままだ。