読売新聞に10日ほど前から連載として始まった
「朝露通信」という小説に
主人公の母の実家のある場所として山梨が登場しています。
その山梨の地形についてこんなくだりがありました。
「 盆地というのはどこもこうなんだろうか、
まわりを取り囲む山から出る流れが低いところに
最後は全部集中する。堤防がなかった時代は
富士川と笛吹川と釜無川と他にも何本かある川は
大雨のたびに流れを変えて、甲府盆地の全体を
大きな蛇か竜がのた打つように移動したことだろう。
山梨を車で走っているとしょっちゅう橋を渡る。
・・・中略・・・
橋が近づくと道が上がり勾配になるのは
山梨では全部そうだった。
・・・略・・・
鎌倉で上がり勾配になる橋なんて一つもない
・・・略・・・
橋の手前から道が上がり勾配になるのは堤防があるからだった、
堤防はまわりの土地より高い・・・ 」
11・12読売新聞掲載「朝露通信」 保坂 和志より抜粋
「堤防があるから橋の手前が上がり勾配になる」
なんて、すごく当たり前のことだと思っていたけど
あらためてこんな風に捉えらている文章を読んで
思ったこと・・・
今私が住んでいる地域には「信玄堤」という堤防があります。
細かいことはこちらをご覧下さい。 Wikipedia-信玄堤
おそらく
その昔は大雨の降る時期には水害に苦しんだ地域でした。
近年、記録的集中豪雨で
川が氾濫し、町全体が水浸しになっている
映像を目にすることがあります。
もしかしたら、昔はこのあたりもあんな風だったのか
と、思うととても恐ろしいことだなと思いますが
現在は信玄堤のおかげほとんど水害というものはありません。
500年近くも前に治水工事を敢行し、
水害を軽減させたことは、
本当に偉大なことだったのですね。
先の震災をはじめ、日本各地でいや世界各地で
大規模な災害が起きています。
もちろん自然の力に勝つことなど不可能ですが
500年近くも前にこうして、
水害から街を人を守る事業がなされているのです。
現代のほうがより素晴らしい技術も知恵もあるのですから
災害後の街づくりにその力を生かしてほしいと思いました。