昨晩、ある市民活動の集会にオブザーバーとして出席し、意見を述べる機会がありました。集会そのものは、市民のある一つの要望を県や市に行うもので、市民活動として有意義なものであると感じていましたが、政治家の存在とは何であろうかと改めて感じさせられました。
こうした要望が、いかに県民や市民のためにあるという大義であったとしても、一部の人を利するための利権行動(必ずしも金銭が伴うものとは限らない)につながりかねないという認識を持たないことにあります。つまり全く関係のない第三者には、その要望に対する税金の投入は全く無駄に映る可能性があるということです。
「政治家はあてにならないから、我々自らが行動を起こし、署名活動をはじめ、デモをするぐらいまでの行動を起こすべきだ。」という発言がありました。確かに市民活動からすれば、そのような考え方は当然であるのかもしれませんが、反面、現実を直視していない発言ではないかと思います。政治家としての私自身の力量は別として、今の政治制度を現実としてとらえ、要望が実現する結果に導くような努力が必要ではないでしょうか。
要望する理念(一般的な大義)を明確にし、多くの仲間を組織化し、それに賛同する政治家を利用する(言葉は悪いですが)、こうした現実的な動きをしなければ、思いは実現しないでしょう。少なくとも税金の投入という公的な要望であるならば。
以上