昨日は幼馴染を含んだ郷里の友人(小・中学校の9年間を一緒に学んだ同年齢の仲間たち)との会食を楽しんだ。話題は必然的に今回欠席した仲間の現況報告や、既に亡くなった友人たちの思いで話から始まる。その会に出る度に郷里山形の幼かった時の思い出が鮮明に蘇る。
当初、関東地区に居住の友人たちをまとめて会を創ってくれたE・T君は6年前に亡くなっている。彼は実に強引な面もあり年1回の会の開催日が近づくと必ず会に出て来いよと電話を呉れた。この友人は小生の家の近くだったこともあり子どもの時からの一番の仲良しだった。野球の好きなこの友人は高校野球から郷里の社会人野球チームに進み、その後は神奈川県警に勤務した。
彼の結婚式が川崎であった時に大阪勤務だった小生が呼ばれて何と披露宴の司会を仰せつかって仰天したことを覚えている。逆に小生が大阪で結婚式を上げた時には駆け付けてくれて、披露宴で「大漁節」を歌って祝ってくれた。最後は肺がんからくる肺気胸から呼吸困難を長く患い苦しんで亡くなった。
もう一人はやはり6年前に亡くなった幼馴染のY・H君だ。小学校4年生の時に我が家の近所に引っ越してきて以来の友人だった。彼は県内一の進学校から、一浪して仙台のT大に進み、6年ががりで卒業し大手のA新聞の支局に入社し、最後は本社の編集センターに勤務した後に、小さな関連会社の社長を務めていたらしい。風邪をこじらせてあっと言う間の最後だったと遺族の方に聞いた。
ふたりに共通したのは凄いヘビースモカーで大酒飲みである。とにかく宴会などではトコトンまで飲まないと気が済まないタチであったが、何故か仲間たちの面倒見も好かったことから一目おかれた存在でもあった。
今回のこの会は始まってから31回目の開催になるそうで随分長く続いてきた事になる。この会の常連だったT・K君は有名私大のK大の教授まで努めたが退職後の数年前に郷里に夫婦で帰っている。またご主人と死別した女性のS・Hさんは郷里の姉がひとり住まいになったので急遽昨年の末に帰郷したらしい。
こんな遠慮のない他愛のない話に花が咲き、今年の会を終わったのでした。来年からは寒い時期を外して4月の第2木曜日に開催することを決めて散会しました。