
ものづくりの地に生まれ育ったせいか、バイクや車の技術開発に関心がある。
2サイクルエンジンを積んだバイクと4サイクルエンジンのそれとの比較をしてみたりと。
マツダがロータリーエンジンの開発を始めた頃、開発の成功を祈ったファンは多かったろう。
確か本家ドイツのメーカーを凌駕するような開発と実用化への歴史が我が日本国、広島で行われてきた。
ピストン運動を回転運動に変えるレシプロエンジンに比べれば、直接ローターの回転を車軸に伝えるロータリー方式に分がある。
一方でピストンという筒の中で吸排気を行う単純な構造とは異なるややこしい回転を行うロータリーエンジンの開発には相当な試練があったに違いない。
だからこそ少年たちの夢をかきたてる。
単気筒エンジンのオートバイが闊歩するような時代にこうした新しい技術開発に目を向けるのは素晴らしいことだ。
戦後の復興期、本田をはじめ全国にオートバイメーカーが2百数十社林立したという。
自転車にエンジンを載せればバイクになるわけだから起業は容易だったかもしれない。
エンジンを作り、フレームを作り、タイヤをセットして、ブレーキと、、、、、確かに車に比べれば部品点数は少ない。
そして登場した「コスモスポーツ」のデザインがユニークだった。
まるでUFOが降りてきたようでもあるし、缶詰のようという評もあった。
しかしここにホンダの「S600」を超えようというエンジニアの気概を感じられた。
回転がスムーズであれば高出力が稼げ、ついにル・マンの耐久レースで優勝した。
一方で高度成長の翳りとともにスポーツカーの需要と燃費の問題が浮上してくる。
ロータリーエンジン開発の栄光の歴史は、甲子園出場、優勝と不出場、休部の歴史を繰り返しているようでもある。
エンジニアたちの「作りたい、やりたい」という熱意が世代を超えて伝わる。
赤穂浪士の四十七士と並べられたエンジニアたちは、主君の無念を晴らそうとするようでもあり、壮絶だ。
与えられた仕事が終わってからロータリーエンジン車の再発に向けた開発に参加する。
日本の企業文化とは、こうした経営数値で表せないところから始まる「起業の精神」で培われてきた。
本田宗一郎がスーパーカブ等の大ヒットで稼いだ収益を巨額の設備投資やレースに注ぎ込んだりする。
「俺は金を稼いでくるから管理は頼むぞ」とばかりに相棒の藤沢氏に委ねる関係。
コスモスポーツには乗ったことはないが、エンジニアたちの心意気に感ずる。
願わくばフェラーリやポルシェを超える日本らしい名車を開発してほしいものだ。
フ?ロシ?ェクトX「ルマンを制覇せよ」~ロータリーエンシ?ン 奇跡の逆転劇~
'91 24 heures du Mans MAZDA 787B Winning Run ル・マン優勝
20110520 雄姿再び マツダ787B
プロジェクトX「技術者魂 永遠(とわ)に」~新ロータリーエンジン・革命車に挑む~