夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ウィンディ

2015年01月27日 | 音楽



「Windy」も「Never My Love」も上品なコーラスと特別な世界を表現する楽曲として記憶に残っている。
が、「The Association」というバンドのヒット曲だということは認識していなかった。

1962年、ハワイで米海軍に勤務していたジュールス・アレキサンダーと訪れたテリー・カークマンが西海岸で結成したバンドらしい。
そんなわけでメンバーには「MFQ」のジェリー・イェスターの弟がいたり、ジェリーが制作に参加したりと、ここでもハワイつながりが見えてきて嬉しい。

郷里の同窓T君からのお手紙が興味深いので紹介しよう。

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母校でのエレキバンド「強制アンプラグド事件」の話、私も鮮烈に覚えています。
高校時代の1,2を争う強烈なインパクトのある思い出になっていまして、今でもあのシーンをまざまざと覚えています。
とりわけK教頭の一言「なんだその拡声器は?」という怒声・・・
まさに「カクセイの感」があります。

「カクセイ」といえば今朝、いつものように6時前には目が覚めてしまい。
いつものようにラジオを布団の中で聞いてましたら、一瞬、何を言っているのか耳を疑ってしまうことがありました。

N放送の第1ですが、音楽をお聞き下さいと曲紹介したのが「ウィンディでアソウシエーション」????
一瞬「なんのこっちゃ」と戸惑いましたが、すぐに「アソウシエーションのウインディ」のことかと理解しました。
実際そうだったんですが、FOされた後、紹介でも堂々と「ウィンディでアソウシエーションでした」と、
何事もなかったように番組は進んでいきました。
男女のアナウンサー、たぶん、中堅からベテランの域に入ろうとしている2人が司会しているのですが、選曲は間違いなく制作者だと思います。

ネットで確認しましたら1967年の全米1位ソングということで50年も前のことなので無理はないことだと思いますが、あ~あと溜息が出てしまうほどの「隔世の感」でした。
グループ名も曲名も「ワンワード」なので気がつきにくかったと思います。

あと50年もすると「ブラックバードでビートルズでした」なんてことがラジオから聞こえてくるかも知れません・・・
歌詞の内容まで踏み込んで聞いていないと起こり得ることだと思います。
まさしく隔世の感、「覚醒の朝」でした。


ついでに、これもここ1年の間にまたしでかしていた、お決まりの間違いですが
テレビのワイドショーかなにか、とにかくバラエティで「赤ちゃんの話題」を取り上げていました。

そのBGMにまたしても使われていたのが中尾ミエの「可愛いベイビー」。
ベイビーが「恋人のこと」だなんて思いもしなかったのでしょうね、制作者は。

60年代初めアメリカンポップスの影響もあってか英語で恋人を「ベイビー」と呼ぶのがイキというか
かっこいいと思われて、日本でも盛んに歌に取り入れられたりしました。
ですから「可愛いベイビー」の日本語タイトルも訳詞も「ベイビー」をそのまま使ったんですね。
訳しようもないということもありますが。

ただ、罪作りなのは、コニーフランシスの元歌は「プリティ リトル ベイビー ヤァヤァ 」でハイハイとは歌ってないんですね。
これは漣健児さんから直接聞いたので確かなのですが、「やぁやぁ」じゃ若い恋人同士のことにはぴったりこないので「ハイハイ」にしたということです。
それが「可愛いベイビー ハイハイ」と歌うと「ハイハイが、這い這い(?)」に結びついてしまうようなところもあって、赤ちゃんの歌だとつながってしまったと思います。
勝手な想像ですが・

ちゃんと歌詞を聞けば「可愛いベイビーハイハイ」の後には、
「可愛いベイビーと呼ぶのは、愛しているからかしら、今すぐ会って・・・・」と恋人だとわかりそうなものだと思います。
が、タイトルからの「先入観の呪縛」は引き継がれてしまうんでしょうねえ・・・・

それにしても今朝の番組は訂正されたのでしょうか。
ちなみに7時までN放送第1を聞いていましたが、その形跡はなかったように思います。



The Association - Windy - 1967

Association - Never My Love


(9) 懐かしの昭和メロディー 恋のバカンス 恋のしずく 可愛いベイビ-

ちょっと待って、ゴミ箱

2015年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム



さるTV番組で「困る事」特集をやっていた。
新米タクシー運転手の「道を知らない」憤りから「ゴミ箱がない東京の街中」などなど。

日本に住む外国人たちは「ゴミ箱がない、日本、東京」の不便さを異口同音に語っていた。

さる自治体の御仁は「ゴミ箱は無くす方向にしている。ゴミは持ち帰っていただく。条例でゴミを拾う運動を、、、」とあたかも理路整然としているかのごとく自らの決め事を得意げに語る。

いや待てよ、「地下鉄サリン事件」以来、「テロ行為の温床撲滅」とばかりに都心の公共の場、とりわけ駅から確かに「ゴミ箱」は一斉に無くなった。
少々の不便には文句を言わない我が国民は、未だにこの不便さに我慢を続けている。

しかし「ゴミ箱撤去」は、本当に「テロ対策」なのだろうか?
テロ対策はきっかけとなった名目であって、本当は体良く「コスト削減」に転化されているのではないか。

以前お世話になった方の次男坊が「駅周辺の放置自転車対策」についてこう言ったという。
「看板を『自転車置き場』ではなくて『自転車捨て場』にしたらいい」と。
父親であるその方は「頭がいい、さすが我が息子!」とばかりにこのアイデアを絶賛していた。
しかしこの親子のやり取りを聞いて「心の中が寒々とした気持ちになった」ことも事実だ。
それはもはや人間社会の話ではないからだ。

「ゴミ箱が『あるから』モノを捨てる」「なければ捨てられない」、「だからいいだろう」これは一見合理的のように見える。

しかしポケットにゴミを入れて持ち帰っている外国人旅行客も、心ある日本人も『ゴミ箱がないから』持ち帰っているのだ。

走っている車の中から灰皿をひっくり返して路上に撒き散らしたり、買い食いしながら空き缶や紙くずを路上に捨て歩く輩には、そうした配慮など毛頭ない。

先の自治体の条例は、公共の場にゴミ箱のない不便さを甘んじて受け入れた市民に対して、「自らのゴミは持ち帰りなさい、なお不埒な輩の撒き散らしたゴミをも拾いなさい」という不合理を、ご丁寧に「条例で定めて強制するという愚挙」を強いることになる。

よくよく考えてごらんなさい。
ゴミ箱があろうがなかろうが、おかまいなしにゴミを撒き散らしたり、タバコをポイ投げしたり、テロ行為をしたりする者への取り締まりの方が優先事項であって、良識ある市民へ不便とボランティアを強いる条例は不要だ。

ついでに出てきた「ペット」問題も然り。
犬を放して散歩するような横暴な愛犬家の言動が槍玉にあげられ、これを「条例」でなんとかしようとする、
しかし「ペットを飼う資格のない者に問題がある」のであって、多くのペット愛好家は他人に迷惑をかけないよう良識を持って生活しているのだ。

私の住む近隣に大型犬のフンを持ち帰らない不埒な飼い主がいる。

それが一体誰なのかは大方目星がついているのだが、飼い主の非常識さも哀れとして、飼われている当の犬が可哀想だ。
犬に歩きながらフンを強要するような「エセ」ペット愛好家は、この愛すべき近隣から出て行って欲しい。
大多数のペット愛好家がマナーを守って暮らしているこの地には、あなたが住む、少なくともペットの散歩をして歩く資格はないのだよ。

さてTV番組の「ゴミ箱」問題解決の糸口は、「交番の脇にゴミ箱を置いたらどうだろう」提案だった。
不審なゴミは捨てないだろうし警察官の監視の目があるので捨てにくい、位の「Good Idea」なのだろう。

しかしこれも「自転車捨て場」の延長線上にある論理ではないだろうか?
不審なゴミを捨てたりポイ捨ての常習犯が、わざわざ交番の前のゴミ箱に捨てに行くはずがないからだ。

長々と書いたのは、おわかりの通り「論理のすり替えをやんなさんな」と言いたいからだ。

海外から多くの観光客がやってくる東京オリムピックを控え「ゴミ箱のない東京」はあまりにも寂しい。

ゴミ箱があっても治安が維持できる街、路上にゴミのない街、快適に暮らせる街、
その東京にオリムピックが招致されるはずではないだろうか?

「オ、モ、テ、ナ、シ」








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