ピラミッドで印象的な写真といえば、スフィンクスの前で撮られた集合写真、幕末の遣欧使節のサムライたちの姿だ。
開国を迫られた幕末の特使が欧州へ向かった道中で、彼らは一体何を感じたのであろうか。
早稲田大学の吉村作治先生の書を読んで改めて4千5百年も前にピラミッドが作られたことに驚く。
それにしても知らないことがたくさんある。
積まれた石の大きさはまちまちだということ、同じ大きさではないという。
本来は四角い石の積み重ねの間を埋める化粧石が存在して鏡面のような仕上がりだったこと。
底辺と高さの比率が結果的に円周率になること、それくらい数学が発達していたこと。
ピラミッド建設は、ナイル川の氾濫による農民への救済手段としての公共事業だったこと、などなど。
ピラミッドと似たような遺跡は世界中にある。
ハワイのマラエと言われる祭壇にしても沖縄の海に眠る石積み遺跡も南米の遺跡も、姿形は異なれど古代人の信仰を感じさせる。
ピラミッドが太陽を目指して上空を目指したように太古の遺跡は自然への脅威に敬虔な祈りを捧げている。
吉村先生の話によればピラミッドに関する文化的貢献はナポレオンによるところが大きいという。
今で言えば侵略戦争であったナポレオンのエジプト遠征には150人もの考古学スタッフを同行したという。
そして持ち帰ったエジプトの文化財がルーブルに保管されたことは彼の功績だというわけだ。
国によってピラミッドをはじめエジプトの文化財へのアプローチの仕方が違うという点も興味深い。
当然のようにピラミッドには財宝が隠されていると解釈する仏国等々、お国事情がある。
ピラミッドは王の墓だとするこれまでの定説が覆される諸説も興味深い。
吉村先生隊は、以前現地で実際に小さなピラミッドを作ってみて、どのように建設したかを検証しようとした。
奈良の大仏製作同様、石材牽引のための「スロープを利用したこと」は間違いない。
が、60トンもある石材を人力で引き上げるにはスロープの角度と牽引するための工夫、なめらかに牽引することと後退させないための工夫など叡智が必要だ。
またピラミッド内部は、思いの外「空間部分が多い」という。
一説によれば40%とも言われる空間の設定は、強度を出すためと石材の節約のほか、映像の「牽引用トンネル」説も有力に思えてくる。
しかし5千年前の太古、民を救うために公共事業を企画した王と、製作を指揮したナンバー2には頭が下がる。
5千年も経った今も公共事業という同じ手法が採用されているのだから。
ただ民を救うためでなく票を集めるためだとしたらクフ王は笑っているだろう。
「クフッ」
【吉村 作治】 ピラミッドの謎の「ウソ」と「ホント」
エジプト発掘 ピラミッドはこうして造られた