夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

サニーサイドの頃

2015年03月11日 | ウクレレ・レッスン


若いってことは素晴らしい。
目標に向かってまっしぐら、神様は疾風怒濤と強力な感受性の年代、青春を与えてくださった。

ジャズの中でも「On the sunny side of the street」は、弾いて楽しい曲だ。
よく使われるパターン「C」から「E7」というコード進行が、この曲の高揚感を見事に表現している。

「街を歩いていてウキウキしてくる」っていう感じも若い頃ならではの現象かもしれない。
目の前に特別な運命の人が現れる保証は何にもないにもかかわらず、樹々にさえずる小鳥までもが祝福してくれているかのような感傷が飛び交う。

音楽は心で弾いて楽しむもの。
それが伝えられて、伝わった時、幸せを感じる。

昨秋よりウクレレレッスンに通っているF君、驚くべきスピードで上達への道を歩いている。
学校帰りのわずかな時間、エッセンスくらいしか伝えられないが、それがいいのかもしれない。

ヒントを与えて、チャンスを与える。
あとは本人がやるのであって周囲がやることではない。

ハワイの達人たちが歩いたように、楽しんで極める、これが理想だ。

嬉しくておじいちゃんに電話して、電話口で弾いて見せたというこの一曲。

F君の促成プログラムの成果をお楽しみあれ。

嗚呼、「青春ってなんだ」



On the sunny side of the street by Fumito


ふきのとう

2015年03月10日 | グルメ




雪の間から顔を出す「ふきのとう」
春の訪れと大地の息吹を感じて嬉しい。

冬眠から目覚めたクマが最初に食べるのが「ふきのとう」だとか。
強い蕗の香りと苦味が長い冬を過ごしてきた体の目覚めにきっと良いのだろう。

レシピを探して「蕗味噌」を作ってみたらこれが実に美味だった。

味噌に砂糖、みりんを合わせた調味料を用意しておく。
ふきのとうを水洗いしてあく抜きのためしばし水に浸けておく。
熱したフライパンにザクザクと切ったふきのとうを入れてサラダ油で炒める。
しんなりしたら調味料を入れてごま油を少々かける。

これが私のレシピで、湯がいたりしない「苦味優先」方式だ。
甘い味噌とふきのとうの苦味のコントラストが温かいご飯に実に合う。

市販されているような丸い「ふきのとう」はほんの一時しか採集できない。
あっと言う間に「つくしんぼう」状になってしまうのでザクザクと切ってもれなく使う。
プロが披露しているホールスタイルのレシピも良さそうだ。

「わさびの茎」や「わさびの花」も三杯酢に漬けると珍味だ。
やってみてわかったのは「辛味」を出すことがポイントだということ。
科学的な根拠はわからないが、「いじめること」だそうな。

漫然と作ると辛くない「わさびの茎漬」になってしまう。
下処理をした後で袋か容器に入れてひたすら「振る」
振ってわさびを痛めつけると辛味が増すのだそうな。

こうした手作り珍味の面白さは、出来不出来があること。
目分量で作る味付けが成功するときもあれば、偏ってしまうこともある。
それでいいのだ、素人のいたずらは。

レシピを見ないで作れるようになった時、本物に近づくのだろう。
食の道も、音楽も同じだ。

まだスーパーに「ふきのとう」が出ている。
飲んべえ諸君よ、一度お試しあれ。




ふきのとう味噌作り

山菜「ハワサビ」

第79回 多摩探検隊 「奥多摩のわさび職人」

スイカの空中栽培

YOUTUBEの威力

2015年03月10日 | デジタル・インターネット


数日前のことYOUTUBEからチャンネル登録の案内が来た。
米国の方だろうか、お品のいい白人系女性の写真とエキゾチックなお名前で私のチャンネルを登録してくださったという。
音楽中心のチャンネルを登録されたことが、私の志向する音楽性に共感されたということなら嬉しい。

インターネットの普及でYOUTUBEにUPされた映像に、世界中からアクセスが可能になった。
そのアクセス数が視聴のバロメーターであり、何百万件、何十万件というアクセスを集めるサイトがある。

高アクセスはさらにアクセスを呼ぶことになり、それはビジネスの場として機能する。

音楽提供側としては著作権問題があり、作品を無償で提供したり、されることには抵抗があった。
一方で見る側からすれば、コレクターの手に収まっている貴重な映像、音源を自由に視聴できることはありがたい。

レコード会社や著作権者たちによる違法UP映像の削除など取り締まり圧力も強いが、お構い無しに投稿される映像も後を絶たない。
そして放送番組のエアチェック映像やライブでのスケッチ映像などから、最近では公開を前提として撮影、収録された高品質ものをUPするケースが増えてきた。

画像が荒い、音質が期待できないといった問題を解消するかのように、スタジオでの収録映像をきちんと提供する。
若干ライブ感を犠牲にしたとしても、高画質、高音質で提供される音源は嬉しい。
さらにUPされた映像を介したコメントのやり取りも、ファン同士、またミュージシャンとファンとが触れ合う良い機会となる。

問題は映像、音源と、ビジネス商品との連携がとれているか、だろう。
ライブを観に行って気に入ったらCDを買って帰るという図式がネット上で実現できればいい。
自身の経験では映像を見て気に入ったら、結局音源を買い求めることになる。

今ネット配信によって音源は簡単に購入、入手できる。
ジャケットや歌詞、ライナーノーツなども見たい要求もあるが、安価であれば音楽配信は時代の要求であり、主流になっていくと思う。

著作権侵害だから映像を削除するという紋切り型のやり方はファンを減らすことになりかねない。
人気があるのならむしろ公開PR版を積極的に公開し、買いやすくした方がいいと思う。

インターネットを介して限りなくワントゥワンに近づいてゆく音楽ビジネスは、その昔、ドサ回りの旅芸人たちが田舎の村に逗留しておひねりを頂戴する、あの臨場感あふれるやり取りの再現のようだ。

残念なのは、ハンドルネームを使わざるを得ない世の中の実態と、言葉の不自由さ。
音楽を通じて触れ合う心を通わせたい思いは充分あるのだが、数行の英文から様々な要求や駆け引きが行われているのも実態だ。

ビートルズが来日した際、加山雄三氏が訪問した。
彼らが缶詰になっていたホテルで銀座月光荘の絵の具が提供されて四人が絵を描いたそうな。
花瓶の置かれていたセンターの空白にサインが寄せられたその記念すべき絵画は、2億4千万円だとか。

彼らにすき焼きの食べ方を教えたという加山さんもまた我々少年時代の憧れだった。

インターネット、技術の進化と変わらない人間の営みとの双方を思いやる。











Paul McCartney-AND I LOVE HER (Acoustic)-HQ

Paul McCartney - Blackbird (Abbey Road studio LIVE)

All My Loving- Paul McCartney

(HD) Paul McCartney & Ringo Starr - With a Little Help From My Friends (Live)

Paul & Ringo 50 years later. Feb 09, 2014

ギタレレ

2015年03月07日 | ギター・レッスン


小ぶりのギターは昔から愛されてきた。
キングストントリオの持っていた4弦のマーチンはギターの小型版だったようだし、ウクレレのバリトンサイズはギターに近い。

ウクレレ風にストロークで弾くにはテナーが限界で、バリトンになるとリズムストロークはあまりしっくりこない。
結局じゃかじゃか弾くか、しっとりと弾くかでウクレレとギターの棲み分けが自ずからできていたように思う。

ヤマハの開発した「ギタレレ」はこの両者をドッキングさせた発想、つまりテナーウクレレサイズのボディを持つ6弦のギター、いや6コースのテナーウクレレ。
ギターで言えば5フレットより上の6コースを使ってウクレレ風に弾くことを前提としたようだ。

どちらが先か知らないが、ハワイのミュージシャンが好んで使ったのもミニサイズのギターだ。
このサイズでジャラジャラとコードを弾いてもいいのだが、5フレットにカポをしたつもりでフィンガーピッキングする方が似合う。

フルサイズのギターとは異なる音色と弾きやすさを楽しみながらポロポロとやる。
ウクレレ感覚で持ち運べるので、車に積んで気軽に出かけられる。
そうした「手軽さ」という市民権は得たようだ。

普及品の欠点はチューニングの精度が落ちることと低音が出ないことか。
そこでオーダーメイドや高級な作りのものが必要になる。

そこまでして小さなものが必要かといえば、楽器メーカーはこぞってこの類の楽器を作っている。
パーラーギターとか、トラベルギターとか、名称は様々だが、要は小さなギターのこと。

薄いボディの「ウスレレ」とか、エレクトリック仕様のソリッドボディのウクレレなど新商品は次々と出てくる。

景気の低迷と楽器業界の販売頭打ちも影響している。
台湾、韓国、中国あたりがギター類の生産国だったが、今やベトナムやインドネシアあたりに生産拠点が移っている。
物作りは精神文化が重要なバックグラウンドになると思われ、コスト追求だけの粗製乱造は客離れを呼ぶ。

量的拡大から質的な変革を遂げない限り生産拠点の移転は続くだろう。

日本人ならよくないものやおいしくないものは売れなくなることを身をもって知っている。
国家が挫折を経験することも重要だと思う。


Corey Fujimoto Original On New Pepe Romero Guilele

Kanile'a GL6P Guitarlele - Sound Sample by Corey Fujimoto

Corey Fujimoto - "Somewhere over the Rainbow" on Kanilea Guitalele

ケネディ家のひな人形

2015年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム


連日川崎の少年刺殺事件の報道でうんざりする。
何かおかしい。

物心つく頃、不良がかった兄貴分に憧れたり徒党を組んでみたりは、昔からあった。
しかし地域の住民の眼は、どこどこの息子がどうだという監視をしっかりしていたし、田舎の連絡網はマスコミ以上だった。

今回親や学校、ソーシャルワーカーといった教育システムの話ばかりが取り上げられている。
一方で殴った方の親が抗議されて警察に通報するなどのアクションについては何も言及されていない。
子供の喧嘩とはいえ、警察に通報するくらいの事件性について調査するフォローの仕組みがないのだろうか。
死んでから、事件が起きてからでないと動かない警察のあり方に疑問を抱く。

もうひとつこうした行き過ぎた少年たちを注意する大人がいなくなったこと。
昔は強面のおじさんがこうした少年たちを良い意味で威嚇、牽制したものだし、暴力団ややくざではないけれどOBかシンパのような方が街に一人以上いたものだ。

彼らがどういう生活をしていたかわからないが、おそらく人や芸術に憧れたり感動したりする経験がなかったのだろうと想像される。



そうした報道の中で、ケネディ家に日本人から送られた雛人形の里帰りの報道は新鮮だった。

キャロライン・ケネディさんの発案で日本に里帰りした雛人形の送り主を探し、お礼の手紙が手渡された。
送り主の松本さんは93歳で北海道北見の老人ホーム暮らし、たどたどしい喋り口ながら記憶はしっかりしていた。

ケネディ大統領が就任した当時、アメリカはもちろん日本までもが新しい時代の幕開けを予感してエールを送った。松本さんも感動を手紙にしたためてホワイトハウスに送ったところ丁重な返事が返ってきて驚いたという。
そこでキャロラインちゃんがいるということを知って雛人形を送ることにしたという。

93歳といえば戦争を体験した世代、ケネディ元大統領も日本軍との戦いに参加した。
ペリーの来航以来、日本とアメリカとのおつきあいは大戦での不幸を含めて、特別なものがある。

93歳の松本さんに贈られたキャロライン大使と雛人形の写真を見て流した涙は万感の思いだったにちがいない。
思いついたことを実践して、お返事をいただいた
また思いを雛人形に託してアメリカにお送りした。

世界中から届いた人形の中でも子供心に特別の思いを持っていたキャロライン大使が里帰りを思いつく。
「お国のお役に立ててよかった」という松本さんの一言には、心の触れ合いという人間の大事なアクションが込められている。

そう、乾裕樹さんが作曲された「私の人形」という佳曲を探したが、YOUTUBEにはUPされていなかった。
そこで彼のピアノが聴ける映像を紹介した。




ケネディ家のひな人形 - Hina Dolls Return to Japan

大貫妙子「突然の贈りもの」

大貫妙子 イン アコースティックサウンド3-1.wmv

大貫妙子CM集 with makotosuzuki