こんばんは。
今日は、夜の仕事の日です。
これまで、3回、辞めた事を書きましたが、今日は、私が『教員』に戻る事を考えなくなった経緯の様な事を書きます。
大阪のコンピュータソフト会社に入社し、東京のメーカーに新人研修にいったのですが、そこで教わった言語が、アセンブラと言う、技術者が使うコンピュータ言語では、一番レベルの低い言語でした。
なので、ある程度、仕組みを理解しないと記述が出来ません。
この言語からのスタートだったことが、私には幸いしました。レベルが低いと言うことは、簡単ではないので、逆にハマりました。
研修を終えて、初めて担当した仕事が、ユーティリティーの開発でした。ファイルをコピーしたり、作成したり、削除したり。
これは、主に技術者が使う機能で、あらかじめマニュアルがあります。そのマニュアルに記述されている通りの事が出来ないといけません。
この仕事で、コンピュータの中で、ファイルがどう管理されているかを知ることができました。
この時の知識で、削除したファイルを復活させた事があります。
この仕事で、もう1つ得た事は、何でもノートに記録する事。マニュアルを読み、調べ、知った事を、次に同じ事があった時に、マニュアルを読み直さなくていいように、ノートにまとめた事です。
最初の仕事から、私は一人で任されまさた。
夜中に仕事する事が多く、トラブルが起きても聞く相手が居ないので、自分で調べるしかありませんでした。
それから、マニュアルを読んで、必要そうな事は、簡潔にノートに記録して、備えるくせもつきました。
次の仕事も、ユーティリティーの1つでした。索引ファイルと言う、キー付きのファイルです。
例えば、社員番号をキーとして。索引(インデックス)を見て、ダイレクトに目的のレコードを読み込めるものです。
メーカーが、新しいコンピュータを開発し、ある病院に納めたところ、以前の機種より、処理スビードが遅くなり、苦情が来て、調べた結果、索引ファイルを処理するプログラムに無駄があり、時間が掛かっていたため、チューニングする事になりました。
これも、私一人で担当。
上司から、チューニングの案を伝えられ、それち合わせて、ブログラムを作り替えした。
目標は、3分の2の処理スビードにする事でしたが、結果は半分以下にする事ができました。削れるところは削りました。
この仕事でも、索引ファイルの仕組みを理解する事ができ、最初の仕事と合わせて、今も役立っています。
転職して入った、熊本の会社で、最初に担当したのが、コンピュータ言語の1つ。コボルと言う言語のライブラリーの開発でした。
技術者が、コボルで描いたプログラムを実行した時に、文法書に記述された通りに動かすためのブログラムをアセンブラで開発しました。
何人かで分担しての開発でしたが、文法書は、隅から隅まで読みました。
今、私は主にコボルのプログラムを扱っています。なので、この時の経験が、ずっと活きています。
この様に、私の出足は、ユーティリティーや言語など、基本に近い部分を担当し、それも、アセンブラで開発できたため、多くの基礎の部分を覚える事ができました。
また、難易度も高かったので、やりがいもあり、それがハマった理由です。
その後は、業務プログラムへと担当が変わっていきましたが、コンピュータの仕組みを理解できた分、応用ができて、楽しめました。
それで、いつの間にか、『教員』に戻る事は考えなくなり、更に、熊本への転職は、コンピュータソフトの仕事についた事で、そのチャンスが増えた結果でした。
でも、熊本で勤めた会社も、辞める事になります。それは、また次回。
では、また。
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今日は、夜の仕事の日です。
これまで、3回、辞めた事を書きましたが、今日は、私が『教員』に戻る事を考えなくなった経緯の様な事を書きます。
大阪のコンピュータソフト会社に入社し、東京のメーカーに新人研修にいったのですが、そこで教わった言語が、アセンブラと言う、技術者が使うコンピュータ言語では、一番レベルの低い言語でした。
なので、ある程度、仕組みを理解しないと記述が出来ません。
この言語からのスタートだったことが、私には幸いしました。レベルが低いと言うことは、簡単ではないので、逆にハマりました。
研修を終えて、初めて担当した仕事が、ユーティリティーの開発でした。ファイルをコピーしたり、作成したり、削除したり。
これは、主に技術者が使う機能で、あらかじめマニュアルがあります。そのマニュアルに記述されている通りの事が出来ないといけません。
この仕事で、コンピュータの中で、ファイルがどう管理されているかを知ることができました。
この時の知識で、削除したファイルを復活させた事があります。
この仕事で、もう1つ得た事は、何でもノートに記録する事。マニュアルを読み、調べ、知った事を、次に同じ事があった時に、マニュアルを読み直さなくていいように、ノートにまとめた事です。
最初の仕事から、私は一人で任されまさた。
夜中に仕事する事が多く、トラブルが起きても聞く相手が居ないので、自分で調べるしかありませんでした。
それから、マニュアルを読んで、必要そうな事は、簡潔にノートに記録して、備えるくせもつきました。
次の仕事も、ユーティリティーの1つでした。索引ファイルと言う、キー付きのファイルです。
例えば、社員番号をキーとして。索引(インデックス)を見て、ダイレクトに目的のレコードを読み込めるものです。
メーカーが、新しいコンピュータを開発し、ある病院に納めたところ、以前の機種より、処理スビードが遅くなり、苦情が来て、調べた結果、索引ファイルを処理するプログラムに無駄があり、時間が掛かっていたため、チューニングする事になりました。
これも、私一人で担当。
上司から、チューニングの案を伝えられ、それち合わせて、ブログラムを作り替えした。
目標は、3分の2の処理スビードにする事でしたが、結果は半分以下にする事ができました。削れるところは削りました。
この仕事でも、索引ファイルの仕組みを理解する事ができ、最初の仕事と合わせて、今も役立っています。
転職して入った、熊本の会社で、最初に担当したのが、コンピュータ言語の1つ。コボルと言う言語のライブラリーの開発でした。
技術者が、コボルで描いたプログラムを実行した時に、文法書に記述された通りに動かすためのブログラムをアセンブラで開発しました。
何人かで分担しての開発でしたが、文法書は、隅から隅まで読みました。
今、私は主にコボルのプログラムを扱っています。なので、この時の経験が、ずっと活きています。
この様に、私の出足は、ユーティリティーや言語など、基本に近い部分を担当し、それも、アセンブラで開発できたため、多くの基礎の部分を覚える事ができました。
また、難易度も高かったので、やりがいもあり、それがハマった理由です。
その後は、業務プログラムへと担当が変わっていきましたが、コンピュータの仕組みを理解できた分、応用ができて、楽しめました。
それで、いつの間にか、『教員』に戻る事は考えなくなり、更に、熊本への転職は、コンピュータソフトの仕事についた事で、そのチャンスが増えた結果でした。
でも、熊本で勤めた会社も、辞める事になります。それは、また次回。
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