16日の朝日新聞のトップ記事では「18歳選挙権で愛媛県立全高校―政治活動届け出 校則化」とありました。12月に毎日新聞などでもいくつかの県立高校などでの届け出制について「まるで監視 高校生の政治活動」との記事で言論の自由から問題が多いということを指摘していました。
まったく自由な県がある一方、このような右ならえとばかりにそろえてしまう感覚を恐ろしいと思います。
愛媛の例は一律に59校がすべて義務化する特異な県ということです。記事は昨年末、県教委は全高校に校則の変更例を配布したが、「指示はしていないあくまで参考資料」と説明していると言います。
問題点は、
①今回から18歳の高校生に主権者としての選挙権は許すが、もう一つの政治活動の集会活動には届け出が必要という権利 侵害です。
・集会に参加するときに届け出るというのは大変な勇気がいります。著しい制限を加えるということと同等です。憲法の 思想信条の自由、集会活動の自由にも違反します。
②県や学校に18歳で選挙権をもつ主権者に制限を加える権限は憲法上ないはずです。
・県教委は当初「届けさせて許可制」にする方針だったのが批判を受け「届け出制」にしたというのですから、その人権 感覚ぶりには驚きます。
③県教委がこのように「例示」したことが、全59校にそのまま命令になってしまっている事の恐ろしさです。
・県教委もこう決まることを知っていて出したのでしょうし、現場にも自主的に判断するという意識がなくなっているの でしょう。生徒の人権等よりも上意下達とばかりに右ならえをする現場の意識が戦前的な発想と似ていませんか。
*子規が泣く!「坊ちゃん」があきれる!「愛媛の生徒の監視」
さて、愛媛県の松山と言えば、正岡子規の誕生の地、漱石の「坊ちゃん」の舞台ですね。調べると、政治と学生の問題はその頃にもありました。
子規が松山中学時代に政治に関心を持っていて自由民権運動家たちの演説会や県議会にたびたび出かけていって聞くのはもちろん、自分でも演説をしたことが記録に残っています。
自由についての演説や、国民の期待に反する憲法ではいけないということを演説で述べたりしたことがあり、臨席していた教官に演説を止められたり注意されたりしたとのことです。国会のことを「黒塊」と揶揄したりする批判精神を持っていたことがわかります。
いつの時代にも、青年の批判精神は当然なことで、それを禁止したり制限したりすることが人権問題であるうえに、生徒の自主的な判断力や批判精神をつむことになることに気が付かないのでしょうか。
子規を生んだ松山を抱える愛媛県での「右向け右」と「長いものには巻かれろ」の教育界にあきれます。
これは、漱石が「坊ちゃん」に登場している校長「狸」のような事なかれ主義で優柔不断な人物が各校のトップに多いということでしょうか。
そして、教頭「赤シャツ」のごとくに学歴ばかりを鼻にかけて権力的な教育者が多いということなのでしょうか。一般教師の多くが反対したであろうことを想像するものですが、県教委の言う通りにとらえて、今からでも各校ごとに再度見直しはできないのでしょうか。
県下の思想信条、表現の自由などの人権を大切に思う人々の奮起を!
教科書の次が教育現場での締め付けと考えるのが妥当。選挙権をもちながら、その一方で選挙活動が自由にならないとは,矛盾している。
夏の参議院選挙では,安倍政権に一矢報いべく頑張る。