5月1日、水俣病患者連合会の方が水俣病の認定を受けないまま苦しんで亡くなった妻の話をしている最中に、マイクを環境省の役人に切られるという暴挙がありました。患者の意見もよく聞かないで何が環境省でしょうか。
そもそも環境省の前身である環境庁が1971年発足したのは、大気汚染や水汚染などの環境悪化に対処するためです。環境省の中心的な役割が汚染問題なはずです。私も若い頃に、環境庁の大石初代長官の姿勢に期待していたのでした。
熊本県水俣市のチッソ水俣工場が1932年いらい36年間水俣湾に有毒なメチル水銀を流し続け、汚染された海で捕れた魚介類を食べた大勢の人が神経疾患にかかり感覚障害や運動障害を引き起こしたのでした。
当時の新聞では、神経をやられて、ぐるぐる回り続ける猫の写真や、うつろな子どもの写真などが載りショックでした。永年政府も企業も御用学者を動員して隠ぺいし続け、1956年になってようやく水俣病と認定され始めたのでした。
この間、遺伝の類いなどと会社も政府も取り合わずに、患者や家族は病気の苦しみだけではなく、差別や迫害と戦い続けなければなりませんでした。まだまだ調査も不十分で認定されないまま亡くなった人もいます。こんな中での事件でした。
大臣もようやく謝りましたが、役所の存在意義がとわれるひどい話で、ここでも政府の人命や人の苦しみを理解しない政策を垣間見た思いでした。
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