北海道警察による「ヤジ排除問題」の判決が3月25日札幌地裁でありました。
男性が「アベやめろ」、女性が「増税反対」と演説会で言っていたのを北海道の警察官が排除した問題は、香港やミャンマーでの警察や軍による集会参加者への強制排除や取り締まりを想起させるイヤな問題だった。
危険な騒動でもないのに、取り締まるというのは明治憲法下で、政府批判の演説会を警察官が「弁士中止」と言って、表現の自由を侵していたのと似たような感覚で警察は警備にあたっているという事なのだろうか。
政権の批判を許さない政治感覚と、それに追随して市民の取り締まりにあたる警察が、憲法の表現の自由についての感覚があまりにも時代錯誤のものだったことが判決によって確認されたようです。その後の裁判では、証拠のねつ造とも思えるような警察の対応にも批判があがっていました。
集会には警備が必要なことはわかりますが、一般市民の発言さえも取り締まるという発想では、警備の目的を逸脱していますし、独裁国家とあまり変わりがないと思います。
今回の判決は、「表現の自由」にまでふれて「おかしいことはおかしい」と自由に言える雰囲気の醸成にとっても大きな意義があったと思います。「民主主義」が壊され始めていることを感じていた中で、画期的な判決でした。声を上げない限り、権利は侵されるという事も教えてくれました。
憲法にも、12条で『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。』あります。
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