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八月に読む=「素晴らしきラジオ体操」 高橋秀実著 小学館=その① 

2020年08月24日 | 本・文芸
「素晴らしきラジオ体操」 高橋秀実著 小学館=その①  2
 
 あなたはラジオ体操をしていますか?
今していなくても誰でも学校などでしたことがあるでしょうね。
通して全部できますか?
今、多くの学校や、職場、地域で毎日のようにやられているのではないでしょうか。わたしも、毎日のようにしている一人です。仕事柄もあるでしょうが、体に染みついていると言っていいかも知れません。

 そのNHKラジオ体操の一体何がよくて、あるいは何が面白くて続いているのでしょうか。
そしてNHKラジオ体操が、いつどのようにして始まったのでしょうか。またどのような役割を果たしてきたのでしょうか。こんなことを皆さんは考えたことがありますか。
 
 この本は、古本屋でたまたま見つけ、よくやっていたラジオ体操にかかわるタイトルに引かれて手にしました。
帯にも、「日本人の体に刻み込まれたラジオ体操の動きとリズム・・・・。6分26秒のドラマに秘められた謎を追う!」とあります。 私はラジオ体操について考察するなんて発想はなかなかありませんでした。この本のラジオ体操についての歴史的な考察、日本人についての考察など、読んでびっくりでした。りっぱな「日本人論」でした。
 この本を手にして、日本人に対して今も言われる「群れる」とか「お上に従ってしまう」という源流?らしき一端が浮かび上がりました。

簡単に章ごとに大要や気づいたことを拾ってみます。
第1章 ラジオ体操人
 毎日雨の日も風の日もラジオ体操を集まってやっているグループが全国的にいることの紹介。ラジオの音楽、先生の声、仲間の生み出す波動の共振してしまうラジオ体操人。著者を含めに日本人全員に刷り込まれた集団暗示のようだと。読んでいるあなたも、つい「新しい朝が来た、・・・」に合わせて体も動いていませんか。

第2章 死なせない広告
 そもそもの始まりは、1925年(大正14)アメリカのメトロポリタン生命保険会社が始めた、寿命を延ばすためのラジオ体操。ラジオが始まり、大衆的な生命保険の普及のために広げ、教会でも健康のためと推奨しブームになった。
それを在米中の逓信省(郵政省)の簡易保険局企画課長の進藤氏が共鳴し日本に広げた。

第3章 満足なり、皆に宜しく
 ラジオ体操は生命保険会社協会とNHKが共同で昭和3年に制定、普及したものですが、知っていましたか?
あの夏休みの出席カードは簡易保険局から全国の小学校へ配布したもの。日本のラジオ体操は、当時始まったばかりの日本放送協会によって行われる。
 最初のラジオ放送は大正天皇の病状を伝えるものであったので、ラジオ体操も天皇の声を伝えるという目的に沿わない保険会社の広告は禁止され、「集団的精神の培養」という目的に変えられた。そもそもの保険思想などは隠れてしまった。事実、昭和3年の昭和天皇即位御大典で天皇陛下に奉納されたのがラジオ体操であり、そのための体形や内容がアレンジされた。上記の折に天皇から言葉を賜ったということから修養団などを通してますます普及に熱が入った。

第4章 ふるえる魂
 ラジオ体操の前にその普及を促進する下地があった。それが国民運動であり、「海行かば、水漬く屍、山行かば 草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、・・・・」と歌いながらの全身運動であった。いわば死ぬための体操である。各地に集団で体操をやるという習慣が作られていたといいます。(続く)


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1 コメント

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ラジオ体操 (ニガウリ)
2020-08-25 10:30:12
ラジオの全国放送体制は、天皇制と結びついて誕生。「昭和天皇即位の大礼」を実施する1928年11月10日を目標にその5日前に完成。6日から27日まで22日間にわたり奉祝番組を全国に中継放送。ラジオ体操の放送は大礼を記念し28年11月1日から開始。はじめは東京だけ、29年から全国。目的は政府による音楽と号令による学童の集団行動・集団統一の馴致政策。敗戦後、占領軍が禁止。復活は朝鮮戦争開始後の51年5月。占領政策の転換(逆コース)とラジオ体操は大きな関係あり。
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