この記事を書いた後で、下駄スケートのイラストがないかと探していたら、なんと、下駄スケートに関する記事(ウイキペディア)にぶつかってびっくり。
参考までにそれを要約してのせます。
1906年(明治39)に下諏訪町の飾り職人河西準乃助が外国のスケートを模して発明したそうです。その後は全国に広まり、1908年には諏訪湖でスピードスケート「諏訪湖一周スケート大会」を開催するまでになったといいます。
諏訪湖畔には「下駄スケート発祥の地」の石碑と、それを履いて滑る子ども像が建てられているとのことです。写真等は「下駄スケート・諏訪湖畔」で検索可能です。下駄スケート復活のプロジエクトも動いているようです。
知らなかった!全国版だったのでした!
この下駄スケートは昭和30年代中ごろには現在のようなスケートが普及するまで使われていたそうです。ちょうど私が小学生の頃は過渡期のようです。
竹スキーについても調べてみたら、現在でも、さまざまな竹スキーづくりのブログがあり、その作り方が紹介されていました。また子どもたちと遊ぶ催しもあるようです。
でも、ここで紹介されているのは、スキーの前につけたひもを持って立ってソリのように滑るものでしたから、私たちが作って遊んだ靴に結わえて本物のスキーのように滑ったのとは違います。まだ使われているようでびっくりですが、こちらのつくり方の方が簡単でいいかもしれません。
中には、片足のみの竹スキーを片足で漕ぐようにして遊ぶことも紹介されていました。遊び方は今の子どもが路上で遊ぶラングスクーター(車輪がありますが)とかに似ているようです。
写真は私が使ったような型の下駄スケートです。「会津 桐の博物館」所蔵。諏訪湖の資料館ではいろいろな種類の下駄スケートや歴史も見られるようです。

参考までにそれを要約してのせます。
1906年(明治39)に下諏訪町の飾り職人河西準乃助が外国のスケートを模して発明したそうです。その後は全国に広まり、1908年には諏訪湖でスピードスケート「諏訪湖一周スケート大会」を開催するまでになったといいます。
諏訪湖畔には「下駄スケート発祥の地」の石碑と、それを履いて滑る子ども像が建てられているとのことです。写真等は「下駄スケート・諏訪湖畔」で検索可能です。下駄スケート復活のプロジエクトも動いているようです。
知らなかった!全国版だったのでした!
この下駄スケートは昭和30年代中ごろには現在のようなスケートが普及するまで使われていたそうです。ちょうど私が小学生の頃は過渡期のようです。
竹スキーについても調べてみたら、現在でも、さまざまな竹スキーづくりのブログがあり、その作り方が紹介されていました。また子どもたちと遊ぶ催しもあるようです。
でも、ここで紹介されているのは、スキーの前につけたひもを持って立ってソリのように滑るものでしたから、私たちが作って遊んだ靴に結わえて本物のスキーのように滑ったのとは違います。まだ使われているようでびっくりですが、こちらのつくり方の方が簡単でいいかもしれません。
中には、片足のみの竹スキーを片足で漕ぐようにして遊ぶことも紹介されていました。遊び方は今の子どもが路上で遊ぶラングスクーター(車輪がありますが)とかに似ているようです。
写真は私が使ったような型の下駄スケートです。「会津 桐の博物館」所蔵。諏訪湖の資料館ではいろいろな種類の下駄スケートや歴史も見られるようです。


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