東日本大震災から11年たちました。当日は2時46分多くの犠牲者に黙とうを捧げました。TVの扱いはウクライナへのロシアの侵攻で少なめでした。
地震の被害地では、1万6千人の死者と、3千人ほどの方の行方不明者を出しました。私の友人や知人、恩師も逝っています。11年たちましたが、当時子どもだった青年たちが津波の語り部として成長している姿が紹介され始めました。
一方、海岸には巨大な防波堤が築かれて海が見えないような形での復興を紹介されていますが、これも不思議なことです。これが自然と共に暮らす人間の生活なのかとおもいます。このことも工事の始まりから問題になっていたことでした。人々の犠牲と復興の在り方が、多くの過疎をうみだしています。これからも課題として残っています。
この大震災は福島原発の爆発事故の災害も加わり二重の被害を人々に与えたのでした。
避難している人はいまだに3万8千人にもなるそうです。特に原発被害の人々が多く、いまだ、帰還が許されない所が7市町村もあるなど、11年たってもまだまだ復興は先です。廃棄作業が進まないことや、汚染水の蓄積が限界を超え始めているうえ、山林の汚染はいまだ手つかずと言われます。汚染水は漁業者の反対の中、海への放水が検討されています。こんな中で、補償が縮小されたり、政府の慰霊行事をやめるなど、福島を事故後も再び処分するがごとき政策です。
こんな時にウクライナへのロシアの侵攻と、原発への攻撃と占領です。原発事故による危険が問題になるだけではなく、戦争などによる安全保障上においても危険なものであることが明らかになりました。54基もの原発を抱えている日本の新たに見えた課題です。
この東日本大震災はこのブログの立ち上げのもとになったのでした。
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