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(自己評価★★★★★)+泣ける物語
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2017-12-31 | 吉田修一


吉田修一
『最後に手にしたいもの』★★

もう一冊対になっている赤vr.
ANA『翼の王国』
こちらの装丁もステキ

大掃除も半分済み、昨夜眠る前のひととき電話待ちにさらっと読んでしまった。
白いカーテンを半分だけ洗って、洗っていない方と比べてみた(ただ忘れただけだけど・・)
一年間の汚れをキレイに落とす。
断捨離は思ったより少なく、今年は物をそんなに増やさなかったことを実感
(又は収納がかなり充実している とも言う?)

こちらはほぼ旅行記となっていたけど、伊勢神宮をゆっくり巡ってみたくなった。
内宮と外宮
前回は確か奈良の帰りに立ち寄った記憶
メインで伊勢はどうかしら?



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自分の好きなものを、「好きだ!好きだ!好きだ!」と堂々と言えることの、なんと気分のいいことか、自分にとって大切なものを、「大切だ!」と叫ぶことの、なんと晴れ晴れすることか。
騙されたと思って、ぜひ読者のみなさんも一度どこかでやってみてほしい。別にエッセイなんか書く必要はない。もちろん誰かのことを犠牲にしないという大前提な話だが、ぜひ自分の好きなものを「好きだ!」と堂々と口にしてみてほしい。大切なものを、「大切だ!」と叫んでみてほしい。



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よいね「好きだ!」「大切だ!」
(笑)



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望みを手にするために、誰かの承認を求める必要なんてない。
誰かを羨んだりせず、今の自分自身に満足する。
ユニークで、レアで、大胆な自分自身に。



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今朝は初雪*
さておせちも取りに行ってきたし(豪華三段重ね♪)
レアな日本酒も既に届いている。
クリスマスに飲めなかったヴーヴは冷やしてね+GODIVA

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M

2017-12-31 | 山と渓谷社、関連本




丸山直樹
『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』★★★



http://blog.goo.ne.jp/bookook/c/08e0f63c9043721d69c51607b790c75b
あれから気になっていたアルパインクライマー山野井さん
その行動と思想を追ったドキュメンタリー




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「痛がったり寒がったりしても、何の解決にもならないじゃないですか」とさらりと言ってのける。
まだ十七、八歳の年齢にして、この強靭なものの考え方はどこから来るのか。

「普通の人生は歩みたくない」「将来は自分の好きなことをしたい」「周囲に何か与えられるのではなく、自分の力で何かをしたい」と考える、まだ淡い自意識があった。

いわば山野井は“何物にも束縛されない奔放なまでの自由”を、子供ながらに請い望んでいた。たとえその願望が、世 間の常識や既成の価値観とは、相入れないものだと知ってはいても……。




「乖離」




根は素直で我慢強く、自分の不幸を他人のせいにしない。しまも強い目的意識をもって生きている。

成功か、死か。
言うなれば「見えざる生と死の境界」は、常人には決して超えられない。

クライマーならだれしも、最高度のエクスタシーを求めて極限の登攀に挑戦する。
この意味でソロこそは、最も危険かつ困難であるだけに、エクスタシーの極致を得られることになる。だが甘美なエクスタシーに正比例して、死の恐怖も皮膚感覚で迫ってくる。だから一流のクライマーは、必ずやある段階で「エクスタシーか、死か」という絶対矛盾に襲われることにな る。そしてこの段階で、死の恐怖を乗り越えられる精神力をもつかもしくは、すっぱり山をやめない限り、クライマーは壁以外に打ち込む対象がないだけに、袋小路の閉塞感にとらわれて行く。
『完結された青春』から伝わってくる、息苦しいまでの閉塞感は、おそらくこうした状況の反映にほかならない。
ソロはこうした状況に加え、絶対にミスを犯さない完璧な自己コントロール、何が起こってもパニックに陥らない自制心、さらには決して諦めない闘争心など、いわば経験や訓練でいかんともしがたい「驚異的な個の強さ」が求められる。むしろ極限のストレスを「快感」とまで感じるくらいの強靭さが必要になる。そしてこれは言うまでもなく、だれにでも決して身につくものでは ない。なぜなら強
固な自己が、経験や訓練で培われるのなら、クライマーのだれもがソロを志向するだろうし、しかしあれほど多くの人間は死なないはずである。だから私は思うのだ。「ソロは、だれにでもできるものではない」と。そして真のソロ・クライマーとは、本人の意欲や努力とは別に「特別な何かが備わっていなければならない」と。

資質かな、とも私は思う。



無酸素登山のリスクを、山野井はこう指摘する。
「(無酸素の場合)ヒマラヤ経験者の六割が経験すると思うんだけど、よく『横になるのが怖い』って言うよね。あれは体を横にすると、酸素が肺に入って来なくなるからで、だから夜、寝るのが怖いんだ。酸素が体に入りやすい順番は、歩く、立つ、座る、寝るの順番だから、寝ているときが一番呼吸が苦しいんだ。」

酸欠状態が度を越すと、思考が鈍り、ときには目が見えなくなり、やがては高山病を併発して死にいたる。たとえ高山病にかからなくても、注意力が散漫になってミスを犯しやすくなり、滑落などで命を落とすことになる。

「(酸欠で頭がぼけると)恐怖心がなくなるんだ。これがヒマラヤでは一番怖い。ヒマラヤの滑落例をよく見ると、叫び声をあげて落ちていくのは意外に少ないよね。みんな、スゥ~ッと消えていく。おそらく落ちる瞬間は、本人は意識がもうなくなっている状態だと思うんだ。これに対して、ヨーロッパ・アルプスなどの事故例は、ものすごい声をあげて落ちていく。なかには落ちながら、必死にザイルをつかもうともがく奴もいる。それだけ意識がまだあるんだよね。でもヒマラヤは、スゥ~ッと消えていく……。これは怖いよね」

「山に登るのに、なぜ安全を求めるのか」
山野井のこの問いかけは根源的な意味をもつ。
言うまでもなくこの対極に、山野井がいる。



山に溶ける



「登りはじめて数時間後のことだったろうか。とりわけ傾斜の立った壁を登っているときに、こんなイメージが想像できたんだ。『今、2200メートルの巨大な壁のなかに自分がいる』と。何もかもが冷えきっていて、それに夜だったせいかもしれないけれど、背後に広がる闇の空間と、足元に広がる高度感が、とてつもないスケールに感じられたんだ。『そこを今、小さな自分が登っている』と」

想像してみるがいい。何もかも凍りついた厳寒の深夜、小さなヘッドライトの明かりが、巨塊を登りつめていく様を。音はない。青黒い闇は動かない。ただ中天に、月光が無言でたゆたっている……。
そんな緊迫と静謐のなかで、演者は自分がたったひとり。観客もまた、自分ただひとり。神々しくも温もりもない、ざわめきも気配も感じられない天空の舞台を、山野井は淡々と攀じていった。

山野井は壁に「溶け込んでいった」


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https://matome.naver.jp/odai/2136559108981901601


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