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噺家の扇子




日本の友人から聞いた話だが、彼女の知人が2歳半になるお嬢さんに与えるモノの量に驚愕したそうだ。


建物も家具も素敵な超リッチなそのお宅が、あ○ぱ○マンを中心とする無邪気の牙城と化していて、その量はわたしの友人をして「リビングにいると精神的に不安になる」と言わしめたほどだ。

あなどれぬ奴だ、あ○ぱ○マン。でももうちょっとバ○キ○マンとバランスを取ってくれたまえ。善と悪で世界が均衡することは神話が証明してるんだしさ...そういう意味じゃないか。


で、お嬢ちゃまのママ、「子どもの頃からできるだけ多くのモノにふれていると豊かな人生になるよね~」とおっしゃったそうだ。

われわれは「それはちゃうやろ」と同時に突っ込む。

「多くのモノにふれていると豊かな人生になる」というのは真だと思う。
でも、例は良くないが、ゴミの埋め立て地の真ん中で暮らしていても人生は豊かにはならない...はずである。
量より質の方が大切なはずなのである。


わたしは子どもが多くのモノを持つよりも、「噺家の扇子」のようなモノで遊ぶ方がずっと豊かだと思う。
ほら、文脈によって、お箸になったりお盆になったりする、あれです。



あ○ぱ○マンは今はどうだか知らないけれど、わたしが小さい頃は地味でちょっと不気味ないい話だった。



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