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苦手なもの




子どもの頃から姑根性が出来上がっていたわたしには、世の中に苦手なものがたくさんある。
読者の方はもうお気づきであろう、わたしのブログが鬱陶しいそのわけを。


テレビ、カラオケ、テーマパーク、遊園地、グループで行動する人々、キャラクターグッズ、占い、ファミリー向けの「全部込み」ホテル(クラブ・メ○ドとか)、バイキング形式の食事...

参加者がみな同じ方向を向いていて、それでも同じことをしているという自覚は薄く、ざっくばらん(最近はぶっちゃけ、と言うのか)で、何でもありで、それで居心地良く感じている、という状態が嫌なのだと思う。

大量生産と大音量とどぎつい色。「ぶっちゃけ」ること、我慢しないことが、個性の発露であるという勘違い。脇の甘さ。最も楽な服装。
彼らはフォークを握る時も、侮蔑を受ける時も、喜びを表す時も、とにかく騒がしい(と言ったのは誰だったか...失念)。


それでも、わたしが見ている世界と、カラオケや占いやテーマパークが好きな人が見ている世界は違っていて、そういう世界があって当然いいと思うし、わたしの方が正しいと主張するつもりも全くない。わたしがそういう場所を避ければいいだけのハナシである。

が、許せないものがある。

バイキング形式の食事である。

思えばあの食事スタイルに「バイキング」などと名付けられて、由緒正しきバイキングの人々は迷惑に感じているのかもしれない。

バイキング形式の食事は人間社会における悪徳の一つだ。


先日、あるそれなりのホテルで朝食をとったことを激しく後悔した。

一つの皿にオードブルからデザートまでを山のように盛って山のように残す客も客なら、大量のゴミを出すことを前提としている経営側も経営側である。そのホテルが花の都の格式を誇っていようが、内装が本物のロココで生け花がふんだんに飾ってあろうが、ウエイター氏が恭しかろうが、代金がバカバカしいほど高価だろうが、そんなものもかすんで薄汚く見える。
100円ビニール傘の販売と同じく、即やめるべきだと思う。

本当は悪いのはバイキング形式でも惨めなビニール傘でもなく、それを使う人間のあり方なのだが。



...とは言え、わたしは高速道路の渋滞に巻き込まれたとき、「みんな土曜日の朝からどこ行くねん。他にすることないんかい。」と毒づくタイプの人間だ。大衆を嫌う大衆。最低なのはわたし自身である。わたしが一番苦手なのはわたし自身なのだ。「自分だけが正しいことを知っている」「気に食わないものは全部なくしてしまえ」という人間が一番苦手なので...


いつ、いかなるときも、どんな人間に対しても「どうぞお先に」と、相手の都合や、価値観を優先して差し上げられるようになってから死ぬ、というのがわたしのテーマだ、と書いておこう。忘れないように。


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