JM3AVI 山と無線大好き

山に登ってアマチュア無線やってます  山ラン(山岳移動ランキング)とSOTAの活動記録

新生「ヤマラン」と関西ヤマラン新年会

2024-01-29 | 日記
2024年1月29日(月)
 私が参加しているヤマランは、日本全国の対象となる山の山頂からアマチュア無線で交信し、その報告をまとめて様々なランキングを付けて会報にしている趣味の会だ。


 会報のタイトルは「山岳移動ランキング通信」で、サブタイトルには「無線登山家と登山無線家のランキング報告誌」と書かれている。今では年4回発行されている会報も昨年9月号でVol.173号を数えている。会の主宰は日本山名事典の編集委員でもあるJA1JCA局が発足以来務められ、後に続く会員を温かく導いてこられた。この度高齢等で勇退されることとなり、関東地方の皆さんが中心となって新生「ヤマラン」連絡会を発足された。
 対象となる山は、地理院地図(電子国土Web)に名前が書かれている山のほか、日本山名事典に掲載されている山など全部で2万以上ある。山に登って電波を出すと驚くほど遠くと繋がることがあり、これもヤマランの楽しみの一つだ。ヤマランは山と無線が好きな誰にでも広く門戸が開かれている。新しくヤマラン専用WEBサイトができたので、興味のある方はアクセスしてほしいものだ。

 28日は関西地方のヤマランメンバーによる新年会が開かれた。関西ヤマランでは毎年忘年会を行って交流と情報交換を行ってきたが、コロナ禍で中止となり2019年11月以来に集まることとなった。大阪ミナミで楽しい時間を過ごし、水掛不動尊前で恒例の記念写真を撮った。
会場のお店
今回は9人が参加した
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洛北の箕ノ裏ヶ岳と瓢箪崩山に登りました

2024-01-27 | 日記
2024年1月27日(土)
 二週間ぶりの山行きは近場の洛北の山へ。SOTA対象の山から左京区の箕ノ裏ヶ岳と瓢箪崩山を周回する計画だ。登山口に選んだ左京区静市に向かうため叡山電車に乗る。日頃叡電に乗る機会はなく、たぶん10年以上ぶりに鞍馬行きの電車に乗って市原駅で下車。
叡山電車の踏切を渡って登山口に向かう
 市原で降りて繁見坂に向けて静原川に沿って付けられた用水路の際を歩く。繁見坂の手前に箕ノ裏ヶ岳への取り付きがあり、この後も随所に見られる標識があった。箕ノ裏ヶ岳(432m)山頂は展望なし。というか、今日歩いたルートはこの後もほとんど展望はなかった。ちょっと奥まったところに何とか7Mhzの低いDPアンテナを張ることが出来た。CWでCQを出すと珍しくちょっとしたパイル状態に。昨日SOTAのアラートで登山予定をアップしておいたのだが、後で確認するとRBNHoleというシステムが私の弱い電波を拾ってネットにアップしてくれたようだ。初めてのことでちょっと感動ものだ。短時間の間に1/4/7/9/0の各エリアから11局と交信することが出来た。まだまだ呼んでもらえそうだったが次の予定もあるのでアンテナを撤収して先に向かう。
この標識から箕ノ裏ヶ岳への道へ
北側にちょっとだけ眺望
箕ノ裏ヶ岳山頂

 瓢箪崩山への周回路は地理院地図に描かれていない所もあり、YAMAPのルートをたどる。途中静原の墓地を通ったがその上部からこの日一番の眺望があった。その後も標識とYAMAPを頼りに、一部道を間違えたりしながら寒谷峠を経て瓢箪崩山(532m)に到着した。ここでこの日初めての登山者グループに出会う。瓢箪崩山では430Mhz・FMでCQを出すが今度は余り呼ばれない。新しく導入したAPRSでスポットを投稿したが効果はなさそうだ。
静原の墓地を通らせてもらう

墓地の最上部からこの日一番の眺望、遠くに大阪の高層ビルも見える
寒谷峠を目指す
瓢箪崩山の山頂
正面に比叡山
北側には大原の里と比良の山並
 木の枝から容赦なく落ちてくる雪に打たれながら何とか大阪市や枚方市の4局と交信。144Mhz・SSBも予定していたが無線機を出すのが億劫になり止めた。そのまま岩倉花園町への道を下り、京都バスと市バスを乗り継いで帰宅。久しぶりに公共交通を利用した山歩きだったがたまにはこれもいいな。
下山中の眺望もこの程度
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京都市右京区の地蔵山と三頭山でSOTA運用

2024-01-18 | 日記
2024年1月14日(日)
 お天気良さそうな日曜は近場の地蔵山にSOTA運用で再登山することにした。前回登った記録を見ると2010年4月なので13年ぶりになる。この時は林道を車で登りサカサマ峠から愛宕山と地蔵山、竜ヶ岳のピークを踏んだ。今回は右京区越畑から芦見峠を経て地蔵山に登るルートを選んだ。
 越畑集落外れの路肩スペースに車をおいて登山開始。民家の前を歩き防獣ゲートを抜けて林道を歩く。途中からは山道となり程なく芦見峠に着く。ここから尾根筋の道を歩いて地蔵山に向かうことになるが、うっすらと積もった雪の上には団体と思われる先行者の靴跡がびっしり付いている。初めての道なので足跡を追って登っていく。途中、関電の巡視路標識がある所で団体さんは右へ。左にも足跡は見えたが大勢になびくように足跡を追ったのが間違い。そのうち本来ルートに合流するかとも思ったがどんどん離れていくようなので引き返す。
府道の路肩に駐車
ちょっと戻って集落へ、標識があるが読めない
常夜灯と地蔵山への標識
芦見峠
関電標識、左が正解
 関電の標識まで戻って左のルートへ。その先は間違うような所もなく地蔵山(947m)の山頂に着いた。430MHz・FMでCQを出し、兵庫県三木市、大阪府泉佐野市や堺市、京都府南丹市の4局と交信してSOTA運用もクリアすることが出来た。そうこうしていると賑やかな高齢者のグループが到着。中には「倍ほど歩いた」という声も聞こえる。聞かなかったがたぶん間違えた先行の団体さんなのだろう。賑やかなので昼食も食べずに山頂を離れる。おにぎりは途中の開けたところで立ったまま食べた。
山頂の北にあったお地蔵様
地蔵山山頂は展望なし
山頂北側の開けたところ、遠くに雪を被った山が見えた(たぶん鈴鹿)
 芦見峠まで下って次の三頭山(みつづこやま)に向かう。この山は2011年4月以来でその時は西の星峠から登った。三頭山の山頂はP728の三角点峰となっているが最高標高点はその西にある730m地点となる。前回山ランもここから運用した。430MHzでCQを出すがなかなか応答がない。今日はHFの無線機やアンテナを車においてきたのでVUで粘るしかない。430MHzで六甲山、堺市、滋賀県竜王町の3局と交信できたが4局目がつながらない。諦めて下山することも頭を過ぎったが、144MHz・FMで南丹市美山町の移動局とつながりSOTAのポイントを獲得することができた。
関電標識の下に三頭山への→
道中も展望はほとんど効かない
三頭山の730m峰
こちらは隣の三角点峰

下山中高圧線沿いに空が開けた
樹間に南丹市神吉
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笠置山でお手軽山ラン

2024-01-13 | 日記
2024年1月8日(月)
 見行山を下山後、東に見えていた笠置山(1128m)に向かう。この山は恵那市と中津川市の境界にあり、山頂直下まで車道があって1090m地点まで車で行くことが出来る。1100m超の山頂に楽に登れるのが今回移動した一番の理由だ。
 舗装林道は途中から雪が積もっているので慎重に登って行く。林道終点には物見岩があり手前の駐車場に車をおいた。その前の登山口から尾根筋に付けられた道を登って行くと5分程で山頂に到着した。笠置神社が鎮座する山頂は展望はなし。430MHz・FMでCQを出して5局と交信し、こちらも山ランとSOTAを達成することができた。
林道終点の駐車場
尾根筋の道に入る
山頂の笠置神社奥社
三角点もあった
 そうこうしていると神社の裏手の方から人の声が聞こえる。行ってみると二人の登山者がいたので挨拶し展望台の様子を聞いてみた。余り良くはないらしいがとりあえず行ってみることにした。展望台は上部が壊れていたが何とかよじ登り、御嶽山や木曽駒ヶ岳方面の眺望を楽しむことが出来た。

神社裏の山頂
展望台があったが上部は壊れていた
御嶽山をズーム
中央アルプスもズーム
 駐車場まで戻り物見岩にも登ってみる。こちらは東側の眺望が良かった。先ほどの登山者に車で来たのかと問われたのでそうだと答えると、「インチキ登山ですね」と失礼なことを言う。せめてお手軽登山と言ってほしいものだ。
物見岩には立派な階段が付けられている
物見岩からの眺望もGOOD

(交信した局の運用地)
 愛知県西尾市、名古屋市守山区、一宮市
 岐阜県岐阜市、中津川市
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見行山

2024-01-10 | 日記
2024年1月8日(月)
 3連休も3日目ともなると家でゴロゴロしているのも疲れてしまう。YAMAPで岐阜の見行山(905m)に登った記録をたまたま見かけ、急遽思い立って行ってみることにした。名神高速は東近江辺りで路面に雪が積もる状況となりちょっと心配したが、彦根の先で少し事故渋滞に巻き込まれただけでほぼ予定した時間に登山口に着くことが出来た。
登山者用駐車場ととても綺麗なトイレ
見行山周辺案内図
 福地いろどり村にある登山者用の駐車場に車をおいて舗装路を歩き登山口を入る。道はよく整備されておりうっすらと雪の積もった道を楽に登って行く。山頂近くになると重機で開いた道となり趣はイマイチだが、山頂からは期待したとおりの絶景が見られた。
舗装路横の登山口

所々に標高や山頂までの距離を示した標識あり
山頂に到着
方位テーブル
御嶽山
肉眼では名古屋の高層ビルも見える
中央アルプスや南アルプスの方向
この後行く予定の笠置山
木の枝に着いた雪が美しい

 ベンチに腰を下ろし430MHz・FMでCQを出す。5局から呼んでもらい山ランとSOTAも無事終了。来た道を戻った。
(交信した局の運用地)
 愛知県知多郡、西尾市、あま市、安城市
 奈良県奈良市
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高砂市の竜山

2024-01-08 | 日記
2024年1月2日(火)
 新年初移動の三座目は高砂市にある竜山(92m)。この山は2013年の正月に播磨の低山移動をした際、登ろうとして登山道が分からずにパスしたことがある。以来忘れていたが、加古川の山からも近く取って付けたようだが干支の山でもあり、何より登山ルートが分かったので再チャレンジとなった。
 川を挟んで北隣にある運動公園の無料駐車場に車をおいて川沿いの道を歩く。登山道は何本かあるようだが、前回諦めた北側からの道は今も採石場などの入口がチェーンで閉じられているのを確認して先に進む。山の南東側にある住宅の間に竜山登山口の目立つ案内があるのでここから入った。登山道は地図には描かれていないが、地元有志が整備されたであろう良い道が山頂まで続いていた。
運動公園駐車場は空いていた
道路沿いに登山口への案内
中に入ると立派な登山道の表示
見立てはジャイアント馬場の顔らしい
途中のベンチから
 山頂にはアンテナが立っており、低山ながら眺望は素晴らしい。430MHz・FMで神戸市西区の局と交信し山ランも終了。おにぎりを食べていると何処から登ったのか東側の道から賑やかな家族連れがやってきた。先行者への挨拶もないので入れ替わりに来た道を戻り、2024年の初移動を終えた。
山頂に着いた
魚崎構居跡の表示
三角点と小さな山名プレート
南側の眺望
北には高御位山

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加古川市の飯盛山

2024-01-06 | 日記
2024年1月2日(火)
 この日二座目の飯盛山(216m)は城山の南隣にあり、山ランとSOTAに有効となっている。YAMAPの地図を見ていると周辺のピークにも山の名前が付いていていろんなルートで登っているようだ。今回は南にある平荘湖沿いの駐車場から単純にピストンで登ることにした。
平荘湖周辺を散策する人で駐車場は賑わっていた
 駐車場から少し歩いて南側の登山口へ。少し登ると岩場の尾根筋となり一気に眺望が広がる。後は相ノ山のピークを経由して飯盛山の山頂へ。山頂横の岩場に腰を下ろして無線運用をする。430MHz・FMでCQを出し4局と交信できた所で終了し来た道を戻った。下山時に分かったが登山口西側のすぐ横にも広い駐車場があった。
岩場の尾根筋を適当に登っていく
振り返ると正面に平荘湖が広がる
西側の高砂市方向
東側は加古川から明石方向
途中に相ノ山のピーク(山ラン無効)
高御位山方向
この山にも反射板があった
飯盛山山頂
石海峡方向を見ながら明無線をした
(交信した局の運用地)
  神戸市西区、兵庫県姫路市、稲美町
  大阪府阪南市
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加古川市の城山

2024-01-03 | 日記
2024年1月2日(火)
 元日の能登地震は時間が経つにつれて甚大な被害が明らかになり、何時起きるとも知れない自然災害の脅威を改めて思い知らされる。被災された地域の皆様に心からお見舞い申し上げます。

 そんな中ではあったが、恒例となっている新年の初山ランに向かったのは加古川市。一座目は志方町の城山(271m)に登る。志方町岡の登山口にある駐車場に車をおかせておもらい、舗装された林道を登って行く。途中で毘沙門岩と旧道の標識を見付け登りはこちらのルートを選んだ。落ち葉の積もった良い道が続いており、山頂直下で階段状の遊歩道に合流した。室町時代に赤松一族が築き秀吉の播磨攻めで落城するまで170年続いたという城址は、東播磨でも有数のものと説明に描かれていた。確かに大手門や櫓台、二の丸跡や城門など遺構の保存状態は良いようで、山頂の本丸跡もとても広い敷地だった。山頂は特に南側の眺望に優れ加古川市や周辺の街並みと播磨灘が一望できた。
駐車場脇の城山案内
舗装路から旧道に入る
毘沙門岩
毘沙門岩の上から高御位山方向
櫓台跡
城門跡
中道子山城跡の説明
赤松城址の碑と三角点
山頂はとても広い
明石海峡大橋方向の眺望
 ベンチに座って430MHz・FMを聞くと、アマチュア無線連盟のニューイヤーパーティ参加局でとても賑やかだ。呼びに回って5局と交信し2024年の初山ランとSOTA運用をすることが出来た。下山は遊歩道を降りることにしたが、散歩の方やハイカーなど結構な人と出会った。
(交信した局の運用地)
 徳島県徳島市
 大阪府貝塚市、堺市
 兵庫県明石市、姫路市
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2024年は希望の年に

2024-01-01 | 日記
2024年1月1日(月)
 新しい年が始まりました。昨年は長引くウクライナ戦争やイスラエルのガザ侵攻で(それ以外にも各地で争いが絶えませんが)、権力にしがみつく者の醜い姿とそれに翻弄される人々や勇気を持って立ち向かう人々の姿が垣間見える年でした。また、足下にあっては政権党の裏金問題が明らかとなり、有権者が目覚めなければ希望ある未来はないこともはっきりしました。新しい年が希望の年になるように願ってやみません。
 さて、私事では年末に次男夫婦や義母と会って、3ヶ月になった孫ともふれあうことが出来ました。近くに住む長男も含めて健やかに新しい年を迎えられたことが何よりです。私自信も一年間大きな病気をすることもなく、山と無線を楽しむことが出来ました。明日は年始めの移動で兵庫県の低山移動に行こうかと思っています。
飲んでから気がついたが、ワインのラベルは辰年仕様
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