:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ カトリック新聞4月2日号の「意見」欄 

2023-04-01 00:08:50 | ★ LGBTQ+

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カトリック新聞4月2日号の「意見」欄

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 カトリック新聞の4月2日号には、「意見」欄に山下暁子という名の人の記事が載っていました。

 その記事には、私が神父であることを熟知したうえで、私を「谷口幸紀氏」と呼び、私の書いた書評を、編集者の市川真紀さん、小宇佐敬二神父様と全く同じ言葉を使って性懲りもなく「無知と偏見、差別や侮蔑、憎悪に満ちたヘイト記事」だという決まり文句のレッテル貼りをしています。

 しかし、そのようなレッテルが全く事実に反したでたらめの真っ赤な嘘であることは、「書評」(上)(中)(下)の全文を私のブログで読んだ数千人(あるいはそれ以上)の読者の皆様がすでに知っておられる紛れもない事実です。もし、まだ読んでいない人がいたら、ぜひご自分で原文を読んで確認してください。(2月22日にアップした 9、10、11編前のブログです)

 それが見え透いた嘘であるのを承知の上で、まだ性懲りもなく敢えてそのような投稿に大きな紙面を割いて掲載したカトリック新聞は、日本のカトリック教会の広報誌としての品位信用を自分で地に落としめていることに気が付かないのでしょうか。恥ずかしい限りです。

 私がレッキとしたカトリック司祭であることは、2019年11月の教皇フランシスコが司式した東京ドームでの教皇ミサで共同司式を認められたことでも明らかです。それを知りながらカトリック新聞の編集部が山下氏の投稿の「氏」を「神父」に直す当然の校正上のイロハを敢えて適用しないままに放置しているのも、ずいぶんおかしな話です。

 教皇フランシスコは2023年3月10日夜、ナショナルカトリックレジスター(National Catholic REGISTER)誌のインタビューに答えて、「今日ではジェンダーイデオロギーは最も危険なイデオロギー的植民地化である(ideological colonization)」と述べられました。なぜ最も危険だと言うのかとの問いに対して、教皇は、「なぜなら、それは男であることと女であることの差異とその価値を曖昧にするものだからだ」と答えられました。教皇はこうも言われました。「すべての人類は差異の間に存在する緊張関係の中にあるべきものであり、人類は差異を通して成長すべきものだ。ジェンダーの問題はその差異を薄め、世界を同質化し、全てを退屈な似通ったものにしてしまうが、これは人類の召命に相反するものである」と断定されました。

 教皇フランシスコは、彼の10年の在位期間を通して、「植民地化のイデオロギー」という言葉を頻繁に用いてこられました。特に開発途上国への援助資金が「避妊」、「堕胎」、「不妊化」、そして「ジェンダーイデオロギー」と結びつけられる場合について語る場合に、この言葉を用いておられます。

 また、2016年にポーランドの司教たちと対話したときには、「今日、子供たち―子供たちですよ!―が学校で誰でも男のまたは女の性を選ぶことが出来ると教えられている。なぜそのようなことを教えるのですか?なぜならそのような教科書が彼らにお金を渡している人々や機関から提供されているからです。これらの『イデオロギー的植民地化』の形態は影響力の強い国々からの支援もうけているのです。そして、これは酷いことです。」さらに、「なぜなら、往々にして人々は少し思慮が足りなすぎて、それがまるで進歩への道であるかのように信じている」からだとも語っておられます。

 教皇様に言わせれば「彼らは『性差の尊重がなんであるか』ということと、すでにジェンダーの人間論である『性嗜好がなんであるか』の区別が出来ていない」のです。

 そして、この「往々にして少し思慮が足りなすぎて、それがまるで進歩への道であるかのように信じている」人々の中に責任の重い司牧や教育の現場を担う何人かの聖職者や修道女方が含まれているのは誠に残念なことです。彼らは、教皇様がご指摘の通り、「性差の尊重が何であるか」またジェンダーイデオロギーが言う「性嗜好が何であるか」の識別さえもできていないのです。

 私は、教皇様に言わせれば「少し思慮の足りなすぎる」人々が牛耳っている「カトリックの広報誌」によって悪し様に書き立てられることをむしろ名誉なこと、光栄なことだと思っています。私たちの唯一の主、イエス・キリストも、同時代のユダヤ教の指導者たちに同じようにあしらわれたのですから。

 とにかく、谷口幸紀氏の書いた「無知と偏見、差別や侮蔑、憎悪に満ちたヘイト記事」などというものは「福音と社会」には掲載されていません。そこにあるのは谷口幸紀神父の書いた、教会の正統な教えに沿った真っ当な「書評」です。

 そして、山下氏の意見投稿を掲載したということは、カトリック新聞が信仰と道徳の守り手であるカトリック教会の普遍的立場をかなぐり捨てて、教皇様が最も危険なものと言われるLGBTイデオロギイーに偏向し、加担し、毒されていることを明白に示すものであります。同様の傾向は「カトリック正義と平和協議会」にも見られます。彼らがいま叩いているのは、教皇庁のイニシャティブで始まった「正平協」がまだ世界の平和と社会の正義を守るために健全に機能していた頃の活動の猛者(もさ)、大先輩の国内委員長だった人物であるとは、よくも相手を間違えたものだと言いたいですね。

 イデオロギー化したLGBT論とその背後にある確信犯的勢力(悪魔)の問題は、看過できない重要さと深刻さと危険性を孕んでいます。

 カトリック新聞は、私の書評を叩いている暇があったら、どうしてこの教皇様の大切な指摘をこそ紙面で紹介しないのか、全く理解に苦しみます。

 

これが教皇様が最も危険と考えるジェンダーイデオロギーの目に見える姿です

彼らに取り込まれレインボーの旗を持たされて犠牲になるのは人類の未来を担う幼い子供たちです

その背後にあってすべてを操作し働いている存在の名前は、人間よりはるかに賢い霊的実在である悪魔(サタン=お金の神様=資本)です

 

狙われているターゲットは明日の教会の基礎細胞である「家庭」を担う子供たち

彼らの将来は一体どうなるのでしょうか?

 

 

今日は4月1日 

これがエイプリルフールであってくれればよいのですが・・・

 


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14 コメント

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その後 (新米信徒 )
2023-04-01 08:53:20
谷口神父様 

「カトリック中央協議会」からの諸文書の位置づけがよくわかりません。13/02/2023 に出された当該の諸文書は、無知な者が、素直にみると、「日本カトリック正義と平和協議会(委員会)」 からの会長声明を「カトリック中央協議会」が、その site に転載しているように思えます。どうしてこのようなことを、愚かな一信徒が気にするかというと、「信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話 V.メッソーリ 著 𠮷向キエ 訳 ドン・ボスコ社 (1993) :原書 1984」の、第四章 司祭や司教たちのなかで、の、司教協議会の問題、に、(ラッツィンガー枢機卿が新教会法を再確認して)「いかなる司教協議会もそのものとしては教える使命はなく、その発行する文書には特有の価値ではなく、個々の司教がそれに付与した合意の価値があるだけである。」、とあるからです。昨日、偶然、この章を読み、驚かされることが次から次にありました。「幾人かの司教の個人的責任感の薄れと、牧者、教師という譲渡不可能なおのれの権能の地方協議会への委任は、非常に個人的であるはずのものを没個人的なものに貶めることになる。・・・」、ともあります。第四章は、「今日の教会の危機は、何よりも司祭たち、修道会の危機である」、というある神学者のテーゼについてから始まっています。

「福音と社会」の vol. 323 から 325 は購入しました。vol. 325 の神父様の記事のあとの「編集部から」を読みました。この全文は多くの人に知られているのでしょうか? ここにあるとおり、神父様と異なる立場からの「書評」が投稿され、「福音と社会」がその書評を掲載することは、一つの責任ある行動であることのように感じます。まだ、評されているもとの本を購入していないので、その本を購入して読んでみます。先ず、知ることから始まり、人ごとであってはいけない、ということはいつも反省させられることです。
Unknown (G)
2023-04-02 01:19:05
カトリック新聞に投稿した方にとってのカトリック司祭とは、ちっちゃい子が好きで大人の女性が苦手な人のことを言うのでしょう。そういう人でないと「神父」とは呼んでもらえないんです。これ、茶化してるわけでもなんでもないんです。実際私はあるシスターが言うのを聞いたことがあります。「私たちにとっては、女性に興味がない神父の方が安全なのよね」って 。そりゃそうですよね。教会は女性信者とシスターによって成り立っているようなもんです。スチュワーデス殺人事件のなんとか神父のような人ばかりでは困ります。そうなると女性だけど男性を自認する人に司祭になってもらうのが一番いいんでしょうか。なんだかわけがわからないですね。
Gさんへ (谷口 幸紀)
2023-04-02 05:08:03
全くわけがわからない話ですね。
Gさんはたぶん女性ですよね。発言に女性目線が感じられます。
しかし、山下暁子さんの発言には、小宇佐敬二神父さんと同じ男性目線が感じられます。全く同じ言葉を使っていますしね。もしかして女性の名前で実は男性が書いているのかもしれません。
ジェンダーの世界では何でもありみたいなところがありますからね。
フランシスコ教皇が言われたように、性差の二極緊張は神様の望まれるところですのに。
Unknown (M)
2023-04-02 19:51:10
何というか、対話がうまく進まないですね。

はじめのカトリック教会当局‥カトリック中央協議会でしたか、正義と平和協議会でしたか‥の声明には大事な論点が示されていました。日本のカトリック教会がLGBTQの方々をどう捉えるか、どう接するかを公に議論するのはLGBTQの方々を傷つけるから、やりませんと。

その方針は正しいでしょうか? 間違いでしょうか? どうしてでしょうか?

書評を書かれたからには、谷口神父様は公に議論するべきだとお考えですね?
書評や、このブログに、どうして公に議論するべきなのかを書かれておいでですが、私の読み方が悪いのかそれがLGBTQの方々にどのように良い事であるのかが分かりませんでした。 
非難ではなく、公に議論することがLGBTQの方々にどのような利益になるというお考えなのかを知りたいです。
Mさんへ (谷口 幸紀)
2023-04-02 23:36:49
教皇様の態度ははっきりしています。
教皇様は「LGBTを傷つけるから、判断しない」、なんて一度も言われませんでした。
それどころか「最も危険なイデオロギー」と断定しておられます。
MさんがLGBTをひとまとめにして物を言われるとすれば、あなたは足をすくわれます。
私の言うように、LGBTに総称される動きの中に、はっきり区別して別々に対応しないといけないいくつもの別個の実態が混在していることを認識しなければなりません。そのうえで、それぞれに対して正しい態度で臨まなければなりません。
Unknown (M)
2023-04-03 12:57:51
谷口神父様

私が問うたのは、LGBTQの方々について、⭐︎カトリック神父として、自身の考えを公に表すべきか?⭐︎、です。

神父様は、雑誌への書評という形で、お考えを書かれました。
カトリック中央協議会?・正義と平和協議会?は、そのようにLGBTQについての考えを公にするべきでないと表明しました。

どちらが正しいですか? それは何故ですか?
Mさんへ (谷口 幸紀)
2023-04-03 16:17:39
すでに最近のブログでもうハッキリとお答えしているではありませんか。Mさんも理解力が足りないですね。
それでは短く端的に、かつ明白にお答えします。
あまり身も蓋もはない言い方はしたくなかったのですが、仕方ありません。
彼らは教皇様のご指摘の通り「往々にして少し思慮が足りなさ過ぎて、それがまるで進歩への道であるかのように、最も危険なジェンダーイデオロギーにすでに洗脳されている」人々だからです。
彼らこそLGBTの「本当の問題点」を、声を大にして公にするべき立場にいるのです。その声は必ずや教皇様の声と同じトーンとメロディーであるはずです。
Unknown (G)
2023-04-03 22:23:34
Мさんは、おそらくかなり頭の良い方のはずです。でも面倒臭く考え過ぎだと思います。日本のカトリック教会(?)が「LGBTQの方々をどう捉えるか、どう接するかを公に議論するのはLGBTQの方々を傷つけるからやりません」と言っているのは、誰がどう考えたって詭弁です。なので、それが正しいか間違いかを問うこと自体ナンセンスなわけで、だからこそ真に受けてしまったら「足元をすくわれる」と谷口神父様は言いたいのではないでしょうか。

教皇様が最近のインタビューの中で、ドイツの「シノドスの道」が示す改革案(聖職者の独身制廃止など)について触れ、それらが有害な「イデオロギー」になる危険性があると警告しています。さらに、そのシノドスの道が、「エリート」によって先導されていて、「神の民全体」が関与していないとも語っています。そして、「危険なのは、極めてイデオロギー的なものが入ってくることで、イデオロギーが教会のプロセスに関与すると、聖霊は打ち負かされ、家に帰ってしまう」とまで言っています。(バチカンニュースのサイトで読めます)

これは、そっくりそのまま今回の件に置き換えられるのではないでしょうか。正平協やカトリック新聞他による「谷口批判、谷口おろし」は、教皇様が最も危険だと言うLGBTイデオロギーに巻き込まれた人たちによる必死のキャンペーンであることは、うちの勉強が苦手でまったくエリートでない高校1年の姪っ子にだってバレてます。

いずれにしましても、「イデオロギー化したLGBT論とその背後にある確信犯的勢力(悪魔)の問題は、看破できない重要さと深刻さと危険性を孕んでいる」という谷口神父様の言葉がすべてを物語っています。賢いMさんをも惑わせてしまう悪魔の力が、どれほど強大かということです。実に大きな問題だと思います。聖週間に入りましたので静かに祈っていたかったのですが、どうしてもコメントせずにはいられませんでした。

なお、教皇様はこうも言ってます。「批判はジンマシンのように厄介だが、悪いものではない。でも直接言ってくれ」と。そして、対話の重要性を訴えながらも、「イデオロギーとの対話は何の役にも立たない」とバッサリ切り捨てています。そりゃそうです。悪魔との対話など成立するわけがありませんよね。
Gさんへ (谷口 幸紀)
2023-04-04 08:25:26
ありがとうございました。
一人で頑張っていると、時々孤立感にさいなまれます。同じように考えているが普段は沈黙しながらも賛同してくださっている方がおられることを知るだけでも、助けられます。今後も、罵詈雑言をあびてもくじけずに頑張ります。
Unknown (M)
2023-04-04 20:48:13
神父様、G様

ご返信を有難うございました。

しかし、意思疎通というのは難しいですね。
もう面倒くさくなってスルーしようかと思いましたが、思い直して投稿します。
ちょっとまとまりのない乱文でスミマセン。

僭越ながら私は神父様の手助けをしようとしたのですが、分かっていただけなかったようです。
私は、神父様がLGBTQの方々についてのお考えを書評という形で公にされたのは正しいやり方だと思っています。

外国については知りませんが、日本のカトリック教会はLGBTQについて(も)毅然とした態度をずっと示してこず、彼らへの差別・偏見も座視してきたと思います。もちろん、彼らを傷つけないためにLGBTQのことに触れないできたのでは全然ないと、私も思っています。

神父様が前の記事で書かれた、「LGBTのマイノリティーの人々はあらゆる差別から護られ、擁護され、偏見を受けることなく、平等に扱われる権利があり、社会生活において不都合をきたさないように手厚く同伴されなければならない」は、日本のカトリック教会のなかで、全体としては、実現されてこなかったのではないでしょうか。

そのなかで神父様は、私は実際に知っている訳ではありませんが、彼らに手厚く同伴されてきたのではないかと私には自然に思えています。
それと同時に、LGBTQについて、彼らのどのような考えが正しいか・間違いか、他の人からはどのように接するべきかは、臭いモノに蓋をして、曖昧な態度に終始してきた日本のカトリック教会のようにでなく、神父様のようにハッキリと意見を投げかけて、誰もが自分の問題として考えることでしか解決策が見つからないと私は思います。
社会のなかで、教会のなかで苦しんできたLGBTQの方は少なくないのだから、彼らとどう付き合っていくべきかを真摯に考えなければいけないのは、キリスト者として当然でしょう。

ただ、例えばこのブログを読む人の全員が、LGBTQについての記事全部を綿密に読んだり、書評を読んだりするとは限らないでしょう。
ブログの一部だけを読むと、神父様はLGBTQに対する差別主義者でないかと誤解されかねない表現も混じっていると私は思います。
何故、LGBTQの方々に関する考えを表明しなければならないかは、彼らを正当に扱うために、良い事は良い・間違っている事は間違っていると言うことが必要だということですよね?
神父様ご自身は彼らにどのように接するのが正当だと思い、実際にそうしていらっしゃるのかを繰り返し、しっかりお書きにならなければ誤解されてしまうと私は思いますが、どうやら記事の流れの中でその点が手薄なように感じました。

差し出がましい事を申して済みませんでした。

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