中さん

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日記(1.9)記事

2016-01-09 18:03:07 | 日常
1月 9日  (土曜日)   晴れ

良い日だ!北からの風は流石に冷たい!
公民館の作品展示会に誘われて
その後
出かけたところの稲荷様に立ち寄って・・

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その足で行田方面に用事を済ませに・・
孫がスクラッチのクジをやりたくってお付合い。

1000円で5枚買って、早速運試し、500円が当たったがさらに買って0になる。

クジは当たらないんだ!と言うことである。
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少し前の記事に・・・サウジアラビアが同シーア派のイランと断交のことが

 1618年から30年間だから
 日本では島原の乱やポルトガル人の来航禁止などで鎖国が完成した時代 である。

  欧州では新旧両教徒間の最後の宗教戦争である30年戦争   がほとんどの大国を巻き込んだ。

  戦場となったドイツでは各領邦の人口の30〜90%が失われる惨状を示した。  
  戦場での虐殺や略奪は画家カロによって「戦争の惨禍    」という版画集に描かれ、
  欧州の人々に衝撃を与えた。

世俗(せぞく)的な近代主権国家からなる国際秩序はこの戦争の講和から生まれたとされる
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こんな世界史の教科書のような話をふりかえったのも、

先ごろイスラム教スンニ派のサウジアラビアが同シーア派のイランと断交したと聞いたからだ
小さな領邦の宗派抗争が大国間の覇権争いを招き、
長期にわたる戦乱と荒廃を招いた故事がどうしても頭をよぎる。


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サウジがその国内のシーア派指導者をテロリストとして処刑したのにイランが反発、
イランのサウジ大使館が群衆に放火された中での断交である。

背景には宗派対立がからんだイエメンやシリアの内戦を代理戦争のようにしてきた
両地域大国のパワーゲームがあった
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スンニ派の諸国も相次いでイランとの断交に踏み切る一方、
米露が仲介を名乗り出るなど国際的波紋が広がったのも成り行きである。

サウジとイランの指導者の思惑はどうあれ、
そこここであおり立てられた宗派対立は誰も制御できぬ衝突の連鎖をもたらしかねない

宗派的狂信に巣くう「イスラム国」(IS)などの過激派には
願ってもない憎悪と暴力の混沌だろう。
中東の安定と成長をそれこそ何十年も先まで左右しかねない両国指導者の思慮の深浅である。
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☆中東の記事やニュースは理解しがたい!なあ~!


コメント
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