マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中畑の勧請縄掛け

2015年10月21日 08時44分09秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
かつては五カ谷村と呼ばれていた奈良市精華地区。

地区大字に中畑、菩提山(ぼだいせん)、北椿尾、南椿尾、高樋(たかひ)、虚空蔵(こくぞう)、興隆寺、米谷(まいたに)がある。

この日は中畑で勧請縄を掛けられる。

太い縄を結う組は作業場。

雌の樫の木で垂れ房を作る組は毘沙門堂外。

それぞれが分かれて作業をしていた。

作業をしていたのは八人の長老。

春日神社の年中行事を勤める上座の4人と下座の4人である。

今では集落を上・下に分けた座であるが、かつては特定家で構成する元座・平座であった。

中畑は42戸からなる旧村。

上出、向(茶屋)、中垣内(中組)、日浦垣内、雀垣内の5垣内からなる。

縄の材は稲藁。

各々一人ずつ二束を持ち寄る。

シビなどを除去する藁打ちをしていたそうだ。

樫の葉をロープ綱で編んで結んでいた長老。

この結び方を「あわび結び」と呼んでいた。



樫の葉は勧請縄の垂れにする。

編んだ縄ができあがればカンジョ場に移す。

かつては担いで運んでいたようだが、負担を避けて今では軽トラに載せて運ぶ。



両端にある杭に括りつけて小幅の前川を跨るように架ける。

疫病が川を遡ってこないように架けるのだ。

編んだ樫の葉の垂れは8本。

長老たちが勧請縄に括り付ける。



この日は雪が舞う寒い日だった。

ときには強い風が吹いていく。

勧請縄の長さはおよそ13mにもなるそうだ。

今では短くなったという勧請縄。

かつては青年たちが集まって架けていたようだ。

中央に幣を挿して拝礼する長老八人衆。



唱えることもなく手を合わせて拝んだ。

昔の川幅はもっと広かった。

余った縄は一方の杭に寄せて蛇の尾のように垂らしていた。



中畑の勧請縄掛けは「神縫縄」の字を充てている。

勧請縄掛けの場に立てていた解説板にそう書いていた。

文末に「御祈祷の表現は、中畑では東に山の神、北にも山の神、南西に勧請縄」も書いてあった。

ちなみに平成6年7月に発刊された『五ケ谷村史』によれば、中畑町の勧請縄はその形状から「ムカデ」の形をしていると書かれていた。

拝礼した長老は春日神社に向かう。



神社には御供を供えていた。

これからの時間は直会。

神社参籠所にあがってしばらく過ごすようだ。

同神社の手水鉢が気になった。

なにかと云えば所々に見られる窪んだ穴である。



これと同じような穴はこの年、初詣に出かけた奈良市石木町に鎮座する登弥(とみ)神社にもあった。

登弥神社の穴は大石灯籠にあった。

穴の様子から「盃状穴(はいじょうけつ)」に違いないと確信した。

盃状穴は硬い石で叩いて擦り合わせる。

一挙に穴状態になるものではない。

長い時間と労力を費やしたのであろう。

点滴岩をも穿つである「盃状穴」は近代ではなく江戸時代に流行ったとされる民間信仰。

信仰といっても何の目的をもって穴を開けたのか未だ解明されていない。

謎をもった信仰、若しくは風習。

ここ中畑においても伝わっていない。

NPO法人「奈良まほろばソムリエ会」の方が山添村神波多神社の石段にあった「盃状穴」を産経新聞で紹介していた。

その方は牛頭天王を祀る神波多神社にあったことから牛頭天王への厄除け祈願の痕だと推定されていた。

推定根拠に挙げたもう一つの神社は和歌山県の熊野古道中辺路に鎮座する須佐神社(祭神スサノオ)だ。

そこでは石段にあったという。

新聞掲載文には二つの神社のほか、御所市櫛羅に鎮座する鴨山口神社や秋篠寺にもあったと伝えていた。

秋篠寺はともかく鴨山口神社の祭神は大山祇神。

また、奈良市石木町登弥神社には牛頭天王は祀っていない。

牛頭天王への厄除け祈願という推論は成り立たないと思うのだが・・・。

(H27. 1. 8 EOS40D撮影)