マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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奈良県における民俗芸能の保存と伝承in西大寺サンワシティビル5F

2015年10月27日 08時38分27秒 | 民俗を聴く
奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲氏からメールが届いた。

なんでも近鉄西大寺駅近くのビルに出向いてほしいというのだ。

それも著書の『奈良大和路の年中行事』を何冊か持ってきてほしいという願いである。

何のことかさっぱり要領を得ない伝言に電話をかけた。

どうやら鹿谷氏はある会に頼まれて講演をするようになったようだ。

鹿谷氏が発刊した著書『奈良民俗紀行 西大和編』がある。

どうやら会の人からも頼まれたようで、会場販売をするようだ。

販売価格の設定は両者とも一致しておくことで決まった著書販売。

十数冊をバッグに詰め込んで会場に向かう。

場は西大寺サンワシティビル5階だ。

着いた時間帯は少し早くて設営中だった。

その場におられたご仁。

どこかでみたような・・。

思いだした。平成24年3月22日に霊山寺の食事処でお会いしたNPO法人奈良ソムリエの会・保存継承グループ理事の鈴木英一氏だった。

鈴木氏が云われたのか、それとも鹿谷氏が云われたのか、二人の著書を聴講生に是非ともというわけで販売することになったようだ。

事前に案内された参加者募集にあるテーマタイトルは「滅び行く奈良の民俗芸能」だ。

鹿谷氏が講演するテーマはこれだったのだ。

ちなみに当日配布する資料はまだ届いていない。

直に鹿谷氏が持ってこられるとのことだ。

受付・聴講席が整備されたころに到着された。

この講演は無料ではない。

資料代として500円。

ただたんに著書も持ってきただけで帰るわけにもいかない。

むしろ鹿谷氏がどのような話題提供をされるか聞きたくなって聴講することにした。

著書はいつどこで販売するのか。

受付である。

聴講生が目につくように手造りのPOPパネルを持ってこられた鹿谷氏。

両著書を受付テーブルに並べたら早速手にした受付嬢。

頁を広げて食い入るように見られる。

興味が湧いて買いたいといった人は6人。

少ないか、多いかは別にして、買ってくださる人がいることに感謝する。

さて、講演だ。

資料のタイトルは「奈良県における民俗芸能の保存と伝承(1)」とある。

(1)とついているから2回目もある。

始めに「正月ットンどこまで くろくやまのすそまで おっかえりおっかえり おっかえりの道で かんころうにであって ちょっと手水へかくれて びっちんくそですべって かったんくそで鼻ついて あーくさツン ツギ屋のおばんに ツギもろて ツーンとかんだら ようなった」を唄う鹿谷氏。

正月の唄は大和高田市に住む男性が母親から聞いた唄だそうだ。

正月ドンが遠くから家にやってくる様相を子供が歌うわらべ唄だ。

二上方面、香芝町史によれば詞章が若干ことなるものの基本的なキーワードが同じ唄がある。

正月ドンはなぜにうんこまみれになるのか。

便所を綺麗にしたら綺麗な子供が生まれると信じられた。

正月ドンは出産、誕生を意味しているのでは、と投げかける。

この話しを聞いていて昔のことを思いだした。

小学生のころに囃していた唄がある。

「みっちゃん みちみち ばばたれて・・・」だ。これは何を意味するのか。

正月の神さんを正月サン、歳徳サンと呼ぶことが多い。

いわゆる年神サンだ。

神迎えの行事にフクマル迎えがある。

神さんを迎える砂の道がある。

これもまた正月サンを迎える行為である。

逆にトンドは迎えた年神サンを天に戻ってもらう神送りの行為だ。

正月にまつわる食事がある。

一つは一部の地域であるが、奈良県内しか見られないきなこ雑煮である。

山添村、奈良市山間東部、桜井市の座でよばれたことがあるきなこ雑煮は独特な食べ方はマメの文化だと云われる。

話されたことをメモ筆記していたが文字は判読できないが紹介しておこう。

松の内のツチヒキである。

目出度いときに亡くなる人がある場合は、ヨコヅチで叩いた縄をかけてずるずる引っ張る。

春鹿酒造ではカケヤを引っ張ることをツチヒキというらしい。

元興寺町の風習にも似通ったようなものがあり、伊勢音頭を歌いながら引っ張っていたらしい。

ツチヒキは死者の連続を恐れるまじないの一種。

何らかの民俗神と思われるが、地域の神社には登場せず、風習に現れる。

次の項目は大和万歳だ。

正月などに目出度い言葉で唱える「祝福芸」。

元は「千秋万歳」になるようだ。

14世紀、すでに知られた存在だった大和万歳は宮中にも参内した。

江戸時代、京都・大阪を巡って京都御所・所司代、大阪城代へと広がる。

大和万歳は安堵町・窪田と広陵町・箸尾の二系統があった。

宮中参内は大正末期まで続いて昭和30年に奈良県文化財に指定された。が、伝承は続かず昭和52年に指定解除される。

その後、装束、道具など一式が寄贈され奈良県民俗博物館に保存された。

その後の平成24年に有形民俗文化財として新たに指定された。

鹿谷氏が云うには、太夫と歳三の二人一組。

春日おん祭に奉納される細男(せいのう)が着用する白装束だった。

また、丸に橘の紋があったと話す。

三つめの項目は民俗芸能とその特質だ。

プロ集団ではなく、土地に暮らす人々が自ら育てて伝承してきた演劇、舞踊、音楽など、それらの要素を備えた儀礼や行事等は郷土芸能、郷土芸術の呼称であったが、昭和30年代初めに日本全体を考えて民俗的な特色をもつ芸能として「民俗芸能」と呼ばれるようになった。

ちなみに民俗芸能はフォークロア。民族芸能はエスノロア。

諸外国の民族音楽や舞踊がある。

日本の民俗芸能も世界レベルのグローバル感でみれば日本の民族芸能になる。

太鼓踊りは村の決定で行われる。

費用も村の持ち出し。プロ集団ではなく村人が演じる踊りは民俗芸能だ。

各地に出向いて商売として行われている太神楽はプロ集団。

吉野町の国栖奏は外にでることはなく、村の氏神さんに奉納する芸能だ。

国栖以外の人がしてはならない地域の伝統芸能である。

次の項目は民俗芸能の種類。

1.神楽に巫女神楽、出雲流神楽、伊勢流神楽、獅子神楽(かつて神楽廻しと呼んでいた)。
2.田楽に予祝の田遊び、御田植神事。
3.風流に念仏踊、盆踊、太鼓踊り、鞨鼓獅子舞、小唄踊り、綾踊り、つくり物風流、仮装風流、練り風流。
4.祝福芸に来訪神、千秋万歳、語り物。
5.外来派に伎楽、獅子舞、舞楽、延年、二十五菩薩来迎会、鬼舞・仏舞、散楽、能・狂言、人形芝居、歌舞伎が挙げられる。

次は太鼓踊りだ。

太鼓踊りは風流。華やかな飾りを付けて嫌なものを追い払う。

イベント等で披露されている創作太鼓は民俗の中に含まれない。

太鼓踊りの名がついているように太鼓はつきもの。

現在、残存している古いものがある。

徳治三年(1308)がある吉野吉水神社、正和五年(1316)・文安元年(1444)・貞和三年(1347)があるは唐招堤寺、慶長十九年(1614)がある奈良市十輪寺。

太鼓は寺の法会に用いられた。

太鼓は呼び出しにも使われる。

ホラ貝も同じでもっと緊急な場合は半鐘になる。これらはいずれも連絡手段である。

太鼓踊りの呼称はさまざま。

神をいさめ・願掛けのイサミ踊り(勇踊・諌踊)、南無阿弥陀仏のナモデ踊り(南無手踊・南無天踊)、雨乞い踊り、願いが叶った願満踊り、ナラシ(セ)踊りなどだ。

確か京都南山城村の田山では花踊りだったような・・・。

歴史的な調査は古文書や奉納絵馬が挙げられる。

在所が判る一例、文明三年(1471)八月の「経覚私要抄」に「・・八島(奈良市八島)ヲトリ在之、雨乞・・」とある。

永禄十年(1567)七月の「多門院日記」に「・・布留宮(石上神宮)祈雨オトリノ用意道具・・」がある。

文禄三年(1594)八月は「布留之社祈雨曜・・・」だ。

鹿谷氏の資料に出展が書かれていなかったが、年代と所在地が判る記事がある。

桜井市大神神社の太鼓踊りは寛文十二年(1672)・貞享四年(1687)・寛保三年(1743)。

「大安寺文書」にある春日大社付近は寛政元年(1787)・同二年(1788)・同五年(1791)・同六年(1792)・同九年(1795)があるそうだ。

付近というのは春日大社ではなく近くの所在地を巡ったという行程だ。

寛政元年の行程は、たちから→うねめ宮→南大門→十三かね→大鳥井→まつの下→御たび→ひゃうし神江戻り橋の下とあるそうだ。

絵馬が残る地域は享保八年(1723)・宝暦二年(1752)・文政四年(1821)の高取町下子島・小島神社、宝暦六年(1756)の安堵町東安堵・飽波神社、天保十三年(1842)の川西町結崎・糸井神社、嘉永六年(1853)の明日香村稲淵・飛鳥坐宇須多岐比売命神社がある。

現在、中断になった現行太鼓踊りもあるが直近までは以下の在所で行われていた太鼓踊りを列挙する。

奈良市大柳生(2007年から三垣内合同→2012年を最後に中断)、奈良市旧都祁吐山、奈良市月ヶ瀬石打、宇陀市室生大野がある。不定期在所は下市町丹生、吉野町国栖、川上村烏川がある。

次は盆踊りであったが、時間不足で詳細解説は見送りの時間切れ。

十津川、旧大塔村阪本、川上村の盆踊りもあるが、サシサバや橿原市東坊城のほうらんや、奈良市八島・安堵町東安堵などの六斎念仏、奈良市田原の祭文音頭も聞きたかったが・・。

続きは2回目に廻されるかも知れない。

盛況に講演が終わって一息つく講師と主催者。

甘いものを食べたいと云って場所を移動する。



近鉄ビル2階にある甘処は「はんなりかふぇ・京の飴工房」こと「憩和井」だ。

私はキナコアイスを注文した。



これが美味しいのである。

男性3人とも頼んだ甘味に満足する。

このような機会を作ってくださった両氏にお礼は言うまでもないが、嬉しさもあって進行役を務めた鈴木英一氏に一冊を献本した。

なにかのお役に立てていただけば幸いだ。

(H27. 1.17 SB932SH撮影)