南大河原のカンセンギョは4、5年前に中断していたが、北大河原では今も実施しているのではないか、そう、思っていた。
今年の大寒は1月20日。
している、していない関係なしに一度、訪ねてみたくなった南山城村大河原のカンセンギョ調査。
先に訪れたのは南大河原である。
昨年の平成28年12月10日に伺ったヤマモリ行事の場には御供の痕跡があっただけだ。
その日にお会いする村人はどなたも見当たらない。
諦めて北大河原に向かったのであるが、どなたか状況を知る人が見つかれば、聞いておきたいヤマモリ行事である。
湯矢畷垣内天満宮付近に民家が連なる。
お家は多いが在室しているかどうか、一軒、一軒を訪ねて呼び鈴を押しても時間がかかるだけだと思って明かりのある家を探し出す。
そのお家は玄関も開いていた。
これなら住民は在室されていると思って、声を揚げた。
すると屋内から女性の声がする。
「すみませーん、教えてもらいたいことがあるのですが・・」と伝えたら、出てこられた。
声をかけた主旨をお伝えすればお話ししてくださるD婦人。
ヤマモリ行事は昨年に今までと違って大きな変革があった。
ある方が平成24年に実施したとされる行事をブログにアップされていた。
当時の山の神は4カ所。
今では1カ所に集約・統合された。
子どももいたが、現在は氏子総代独りでしている。
本来は12月10日であったが、氏子総代の都合のつく10前後の日にするようになった。
状況は一変したわけであるから、ブログに公開された記事は貴重な史料になったと思う。
南大河原のカンセンギョは大寒の日にしていた。
いつしか1月末の土曜か日曜にするように日を替えた。
土曜、日曜も含めて主宰する稲荷講のトーヤの都合の良い日であった。
カンセンギョが出発する時刻は午後7時。
懐中電灯で照らして巡拝していた。
かつては15軒もあった稲荷講は12軒に。
それが10軒に・・・。
さらに何軒かが脱会された稲荷講は高齢化。
行事をするにも高齢者ばかりではカンセンギョするには負担がある。
そうして、4、5年前に一旦は休止とし、現在は中断中になっているという。
4、5年前というのは平成24年ころのようであるが、当時、されていたカンセンギョの様相も話してくださった。
近くの山とか河原である。
キツネが居ると思われる3カ所に出かける。
着いたらトーヤ家が作った御供を供える。
御供は3品。
一つはモッソと呼ぶ三角型のアズキゴハンのオニギリ(オアゲゴハンとも)。
もう一つは焼いた開きのサイラ(サンマ)で、細かく切って供えた。
もう一つはキツネさんが喜ぶアゲサンだ。
アゲサンは細かく切って、半紙を広げた場に御供を供える。
1カ所に5セットの御供を供えるというからカンセンギョに向かう際の運ぶ道具が要る。
それはコウジブタ。
量も多かったと思える御供を盛って施行するというから高齢者にとっては負担になったことであろう。
奈良県内のカンセンギョ事例はそれほど多くはないが、高齢者だけという地域はなかった。
壮年の人たちもおられるが、後継者もおられるから継承することができた。
そう、思うのである。
それはともかく、南大河原のカンセンギョはすべての施行を終えたら、ヤド(宿)と呼ぶトーヤ家に集まって、アゲサンを入れて炊いたショウユゴハン(醤油で味付けしたアジゴハン)とオツユ(汁椀)で会食していたそうだ。
ちなみに平成15年3月16日に開催された「近畿民俗学会例会」に前野雅彦氏が発表された報告に「南大河原の寒施行」があるらしい。
論文あるいは報告書を拝見していないが、報告タイトルが「南大河原の寒施行」である。
前野雅彦氏は南山城村教育委員会編さん室(※平成14年~17年)ならびに学芸員として京都府の城陽歴史民俗資料館(平成10年~15年)に勤めておられただけに当時の現況を調査されたことと思う。
勤めていたころの記事をブログ「やぶにらみ民俗学」で伝えていた。
かつてされていた南大河原のカンセンギョを話してくださったDさんに甘えて北大河原のカンセンギョの状況も教えを乞う。
具体的なことは存知していないが、知り合いの男性を知っているから訪ねてみるがいいとMさんを紹介してくださった。
時間帯は午後5時ころ。
辺りはすっかり暗くなりつつある時間帯にようやく見つかったM家にMさんが在室しておられた。
取材の主旨を伝えたら、今年はもうすでに終わっているという。
今月の1月14日は土曜日。
その日にしたという。
Mさんの話しによれば、北大河原では稲荷講でなく、講中でもないから稲荷会と称しているそうだ。
当日は午後1時、おなごし(稲荷会の婦人たち)が御供作りをする。
御供はケンサキと呼ぶ三角錐形のアズキメシオニギリと細かく切ったアブラゲに切った魚のイワシになるそうだ。
だいたいが、午後4時くらい。
施行する御供が揃ったところで出発する。
まずは寿稲荷社へ参ってお祓いする。
施行は2カ所。
方角がまったく違うから二手に分かれて施行する山入り。
作ったアズキメシオニギリは44個。
1カ所につきどれほどの個数をお供えするのか聞いていないが、戻ってくる時間は1時間後。
午後5時には施行から戻ってきたら公民館でもある本郷コミュニテイーセンターに参集する。
施行を終えた直会でもある会場はイキガミさん(稲荷会員のことをそう呼ぶ)が飲食を共にする場。
いわば、稲荷会員を慰労する施行飲食会になるらしい。
ちなみに稲荷会は1年に2度は清掃してから伏見の稲荷大社にお参りするそうだ。
いずれにしても北大河原のカンセンギョ(寒施行)は来年の1月。
1月10過ぎであればカンセンギョの日程も決まるころ。
そのころに日程確認の電話をさせていただくことも了解をとって、出発地の寿稲荷がある地を確認する。
グランド近くにあると教えてもらった寿稲荷社の鳥居は朱塗り。
平成35年4月吉日に大河原稲荷会が寄進、奉納の上、建之したようだ。
Mさんの話しによれば、「寿稲荷社」の社名は拝み屋さんのイナリさんに名付けてもらったという。
(H29. 1.20 SB932SH撮影)
今年の大寒は1月20日。
している、していない関係なしに一度、訪ねてみたくなった南山城村大河原のカンセンギョ調査。
先に訪れたのは南大河原である。
昨年の平成28年12月10日に伺ったヤマモリ行事の場には御供の痕跡があっただけだ。
その日にお会いする村人はどなたも見当たらない。
諦めて北大河原に向かったのであるが、どなたか状況を知る人が見つかれば、聞いておきたいヤマモリ行事である。
湯矢畷垣内天満宮付近に民家が連なる。
お家は多いが在室しているかどうか、一軒、一軒を訪ねて呼び鈴を押しても時間がかかるだけだと思って明かりのある家を探し出す。
そのお家は玄関も開いていた。
これなら住民は在室されていると思って、声を揚げた。
すると屋内から女性の声がする。
「すみませーん、教えてもらいたいことがあるのですが・・」と伝えたら、出てこられた。
声をかけた主旨をお伝えすればお話ししてくださるD婦人。
ヤマモリ行事は昨年に今までと違って大きな変革があった。
ある方が平成24年に実施したとされる行事をブログにアップされていた。
当時の山の神は4カ所。
今では1カ所に集約・統合された。
子どももいたが、現在は氏子総代独りでしている。
本来は12月10日であったが、氏子総代の都合のつく10前後の日にするようになった。
状況は一変したわけであるから、ブログに公開された記事は貴重な史料になったと思う。
南大河原のカンセンギョは大寒の日にしていた。
いつしか1月末の土曜か日曜にするように日を替えた。
土曜、日曜も含めて主宰する稲荷講のトーヤの都合の良い日であった。
カンセンギョが出発する時刻は午後7時。
懐中電灯で照らして巡拝していた。
かつては15軒もあった稲荷講は12軒に。
それが10軒に・・・。
さらに何軒かが脱会された稲荷講は高齢化。
行事をするにも高齢者ばかりではカンセンギョするには負担がある。
そうして、4、5年前に一旦は休止とし、現在は中断中になっているという。
4、5年前というのは平成24年ころのようであるが、当時、されていたカンセンギョの様相も話してくださった。
近くの山とか河原である。
キツネが居ると思われる3カ所に出かける。
着いたらトーヤ家が作った御供を供える。
御供は3品。
一つはモッソと呼ぶ三角型のアズキゴハンのオニギリ(オアゲゴハンとも)。
もう一つは焼いた開きのサイラ(サンマ)で、細かく切って供えた。
もう一つはキツネさんが喜ぶアゲサンだ。
アゲサンは細かく切って、半紙を広げた場に御供を供える。
1カ所に5セットの御供を供えるというからカンセンギョに向かう際の運ぶ道具が要る。
それはコウジブタ。
量も多かったと思える御供を盛って施行するというから高齢者にとっては負担になったことであろう。
奈良県内のカンセンギョ事例はそれほど多くはないが、高齢者だけという地域はなかった。
壮年の人たちもおられるが、後継者もおられるから継承することができた。
そう、思うのである。
それはともかく、南大河原のカンセンギョはすべての施行を終えたら、ヤド(宿)と呼ぶトーヤ家に集まって、アゲサンを入れて炊いたショウユゴハン(醤油で味付けしたアジゴハン)とオツユ(汁椀)で会食していたそうだ。
ちなみに平成15年3月16日に開催された「近畿民俗学会例会」に前野雅彦氏が発表された報告に「南大河原の寒施行」があるらしい。
論文あるいは報告書を拝見していないが、報告タイトルが「南大河原の寒施行」である。
前野雅彦氏は南山城村教育委員会編さん室(※平成14年~17年)ならびに学芸員として京都府の城陽歴史民俗資料館(平成10年~15年)に勤めておられただけに当時の現況を調査されたことと思う。
勤めていたころの記事をブログ「やぶにらみ民俗学」で伝えていた。
かつてされていた南大河原のカンセンギョを話してくださったDさんに甘えて北大河原のカンセンギョの状況も教えを乞う。
具体的なことは存知していないが、知り合いの男性を知っているから訪ねてみるがいいとMさんを紹介してくださった。
時間帯は午後5時ころ。
辺りはすっかり暗くなりつつある時間帯にようやく見つかったM家にMさんが在室しておられた。
取材の主旨を伝えたら、今年はもうすでに終わっているという。
今月の1月14日は土曜日。
その日にしたという。
Mさんの話しによれば、北大河原では稲荷講でなく、講中でもないから稲荷会と称しているそうだ。
当日は午後1時、おなごし(稲荷会の婦人たち)が御供作りをする。
御供はケンサキと呼ぶ三角錐形のアズキメシオニギリと細かく切ったアブラゲに切った魚のイワシになるそうだ。
だいたいが、午後4時くらい。
施行する御供が揃ったところで出発する。
まずは寿稲荷社へ参ってお祓いする。
施行は2カ所。
方角がまったく違うから二手に分かれて施行する山入り。
作ったアズキメシオニギリは44個。
1カ所につきどれほどの個数をお供えするのか聞いていないが、戻ってくる時間は1時間後。
午後5時には施行から戻ってきたら公民館でもある本郷コミュニテイーセンターに参集する。
施行を終えた直会でもある会場はイキガミさん(稲荷会員のことをそう呼ぶ)が飲食を共にする場。
いわば、稲荷会員を慰労する施行飲食会になるらしい。
ちなみに稲荷会は1年に2度は清掃してから伏見の稲荷大社にお参りするそうだ。
いずれにしても北大河原のカンセンギョ(寒施行)は来年の1月。
1月10過ぎであればカンセンギョの日程も決まるころ。
そのころに日程確認の電話をさせていただくことも了解をとって、出発地の寿稲荷がある地を確認する。
グランド近くにあると教えてもらった寿稲荷社の鳥居は朱塗り。
平成35年4月吉日に大河原稲荷会が寄進、奉納の上、建之したようだ。
Mさんの話しによれば、「寿稲荷社」の社名は拝み屋さんのイナリさんに名付けてもらったという。
(H29. 1.20 SB932SH撮影)