マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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檜垣町・大日堂の正月初御供

2022年11月21日 07時54分14秒 | 天理市へ
元日お披露目の大和郡山市の小林町から離れて天理市の檜垣町へ向かう。

到着した時間は、丁度の午前10時。

先に参拝した三十八社。数年前に拝見していた砂の道は、前日の大晦日にも見ていた。

なんとか間に合ったものの、大日堂にはどなたもどなたもおられず。

と、いうのも承知のとおりである。

大日堂の役をされる人たちは、朝8時に持ち寄った正月餅を供える。

朝8時に伺うのは難しい、と伝えていたからそれでいいのである。

たぶんに、朝10時になるかと、思いますと伝えていた。

まずは大日堂に参拝する。

本堂前に立てた門松。

写真でもわかるように、扉を締めている本堂の前に正月御供餅がある。

元日の朝日の光を浴びて輝いていた正月の御供餅。



供えた時間が遅かったのか、猫や烏。鳥獣などから受ける被害もなく・・・。

今日は、鳥獣にとっても元日だったのだろうか。

何事もなかったかのように、おすまししている。

半紙を敷き、ウラジロの葉の上に二段の白餅に吊るし柿がひとつ。

すぐ傍にもなにやら御供のような・・・

形からしてわかる正月の御供餅。

半紙に包んだおひねりの形。

心あるご近所の人が供えたものだろう。

しばらくの時間に撮っていた正月御供餅。

そのとき、郵便屋さんが運んできた新年の挨拶を伝える初配達の年賀状。



元日の民俗を取材中に出会った郵便屋さん。

これまでいくつかの、シャッターチャンスに恵まれたことがある。

さて、新年の挨拶をしたいお家は、すぐ近くにお住いのMさん。

前年の、といっても、お会いしたのは前日の大晦日。

令和2年12月31日に紹介してもらったMさん。

大日堂の行事などを話していただく。

僧侶無住の檜垣町。大日堂の面倒をみてもらうため京都東本願寺にお願いして今に至っているそうだ。

傷んでいた大日堂を修復した、と話してくれたSさん。

屋根を修復したときに見つかった棟札によれば、江戸末期に建て替え。

仏師の名もあった、という。

盗人に盗られて行方不明になった大日如来。

歩いて戻ってきた、という説話もあるが、盗人が返しに来たようだ。

元々は4日だった大日如来の縁日を、戻ってきた日の8日に移した。

毎月の8日に清掃した7人の有志が、御供上げ。

般若心経一巻を唱え、灯したローソクが消えるまで堂内で過ごしているそうだ。

本堂に安置している仏像は4体。

煌びやかに美しい西陣織りの幕裏に隠れておられる。



本尊大日如来の他、室町期製作の地蔵菩薩立像、不動明王、弘法大師座像。

それぞれ左右に彩るお花も新しく花替えし、仏像前に正月の御供餅を供える。

半紙を広げたそこにウラジロ。



二段重ねの鏡餅に昆布。

吊るし柿は一つ。

葉付きみかんを載せた御供台は、脚付きのヘギ。

本尊の大日如来の前にだけは、雑煮の具盛りも。これらは当番が供えたそうだ。

また、4人が個別に供えた鏡餅もある。

形式も二段重ねの鏡餅に葉付きみかんに吊るし柿をひとつ。

盛ったお盆の様式は、丸型や四角に長方型。

それぞれお家で使用しているお盆であろう。

毎月8日のお勤めは、季節によって始まる時間を替えている。

夏場は午後6時よりはじめるが、日が短い冬場は、1時間早めた午後5時にしている、という。

堂内在廊中の撮影取材。

そのとき、屋外から声が聞こえてきた。



有志の方たちの正月参拝を堂内から撮らせてもらった。

毎月8日の営みとは別に、5月8日は特別な日になる。

盗人に盗られた大日如来。

それがなんと盗人が返しに来た。

その日が5月8日。

戻った日を記念し、それ以降の5月8日は特別な日にされた。

大日如来の縁日は、本来が4月であるが、檜垣町は戻ってきた日を記念に5月8日を縁日にされたワケである。

かつては、村中の人たちが寄り合縁日であったが、徐々に離れた人もおられ、現在は7人の有志のみなさんが寄り添い、檜垣町の文化を継承された。

午後6時、有志たちは1月の初庚申の日にも集まり、清掃後に般若心経を三巻唱えているそうだ。

また、7月23日は、大日堂に安置している室町期製作の地蔵菩薩立像のお祭り。

関西では、どこの地域でもしている地蔵盆がある。

その日は、連れてきた子どもたちとともに、この場でみなが寄り添って、家でつくったお弁当を持ち込み堂外の場で食べていた、という。

今は、弁当を広げることのできないコロナ禍。

終息した、としても以前のようにふるまえるかどうか・・・

檜垣町に、薬師講もあるが、現在は休憩と称し、中断状態。

心経唱える際に打つ小型の伏せ鉦に目が動いた。

ついつい拝見したくなる鉦の銘である

Mさんに立ち会ってもらって見た三本脚の小さな伏せ鉦。



直径が10cmの伏せ鉦。

返して見た裏面に「京大仏 西村左近宗春作」の刻印があった。

作者名は、他の事例などから判断、おそらく元禄~、享保、宝暦年代の製作であろう。

(R3. 1. 1 EOS7D/SB805SH撮影)