単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

日向ぼっこ

2024-06-08 | 暮らし・ジョギング

 

この白い小さな花って何だっけ・・・、何年か前に調べたんだようなあ。

この辺りだと内川のこの一画だけですが、そのうち調べておきましょう。

 


 

おやまあ、そこで日向ぼっことは珍しい・・・でも、これ以上は近づけないぞ。

どっちも雄のようだから兄弟なのか、気の合う友達どうしでしょうか。

仲いいねえ。日向ぼっこしながら、何を話してんだい? 妙に笑っちまうぜ。

 


 

こっちはカメの日向ぼっこかよ。

捨てられて問題化しているミドリガメではなさそうだけど、何となく外来種っぽいね。

のんびり日向ぼっこしている姿を見ていると、外来種を理由に駆逐されるのも不憫だね。

 


 

アキレス腱への負担を考えて、一日おいてのジョギング。

医者に診てもらったところで特効薬はなさそうだし、治るまで走るなってことでしょう。

これまでになく入念にストレッチをすることにした、早朝、午前、午後、就寝時の4回。

これで気長に様子を見ましょう。

 


 

気温が何度かは分かりませんが、今日の日差しには今季初めて「夏」を感じました。

今年は空梅雨なんでしょうか、赤川の水も干上がってしまっています。

 


 

ボクが走り終えた頃に、社会人のサッカーチームがちらほら集まりだした。

いい歳しているね・・・でも、ボクよりずーっと若いよ。

見ていて思いました、やっぱ、ラグビーの練習はラグビーの仲間とやんなきゃね。

 


 

栗駒山に何となく似ている月山。

今度、栗駒山を案内してくれる?ってカマさんに訊いたら、「いいよ」とは言ってくれた。

今年こそ実現したいけど、みんなで行くことを優先すれば何も頂上に拘らなくてもいいかあ。

行けるところまで行って、須川の湯で汗を流す・・・あそこの湯はヤスの大好物だし。

 


 

あらまあ、まだいるぜ。

ずいぶん日向ぼっこを楽しんでいますね・・・ボクも夏は好きだよ。


情けねえ

2024-06-06 | 暮らし・ジョギング

 

赤川堤を走るのは、北上でのゲームを挟んで一週間ぶり。

負傷したあと三日間は、何にもしなかったと言うか出来なかった。

とは言え、試合に行く前「大丈夫?」と釘を刺された奥サンの前で痛い素振りもできないし。

 


 

養生のためとは言え三日間何もしないでいると、それはそれで体調がおかしくなる。

負傷箇所の今の限界を探りながら、ゆっくりゆっくり走った。

体力比で比較すると、ゆっくり散歩している年配の方のカロリー消費量と同じかもね。

 


 

アキレス腱を完治させるため、いっそのこと月単位で走ることを止めようかとも考えました。

走り終えたボクの前を、片方の足に器具を装着した男性が介添えの女性と一緒に歩いています。

一歩一歩、歩を進める姿を見ていたら、自分のピント外れな思考回路が情けなくなった。

「今できることをやる」でいいんだよ。


縫工筋

2024-06-02 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

岩手県西和賀町を流れる和賀川に建設された湯田ダムによって生まれた「ゆだ錦秋湖」

山峡に沿って通る国道107号は土砂崩れによる通行止めがこれまでも何度もありました。

湖面に架かる橋は、災害復旧工事に伴う迂回路となっている仮設の橋です。

 


 

現在、恒久対策としてトンネル建設の真っ最中のようです。

当然トンネルの完成後は撤去されますが、仮橋とは思えない美しい姿に思わず感動!

 


 

岩手不惑と秋田不惑の定期戦が行われる北上市の総合運動公園。

調子こいて、ボクも来ちゃいました。

ホントに調子こいていましたね。

 


 

どこのグランドか探すため広い会場を端から端まで歩いて・・・あれだな。

なんとなく、雰囲気がそんなんですよ。

 


 

素晴らしい芝だなあ!・・・いや、深すぎません?

ふかふかしすぎてスパイクの爪も引っかかるし、正直、走りにくい。

 


 

久しぶりに山内先生にもお会いできたし、秋田にはアネもいた。

少し遅れて姿を見せたダル先輩(みなさんはテッさんと呼んでいた)にもお会いできた。

みなさんのラグビーへの熱い気迫には圧倒されっぱなしだった。

 


 

調べたら縫工筋といって、股関節の外転・外旋・内旋に関わる筋肉だそうです。

まさにその時の写真です、対面の切り返しに合わせ、左から右に体をひねった瞬間です。

こんな個所を痛めたのは初めてです、ガッカリ。

自分の筋肉が自分の動きを許容できない、両のアキレス腱もパンパンに腫れていました。

潮時の判断は個々人様々ですが、ボクは自分の潮時を見逃していたのかもね。


ビッグ・ネーム

2024-05-31 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

練習用ジャージを購入しよう探してみたんですが・・・、もうなくなっているのかなあ。

現行のジャージ・スタイルは承知していましたが、ボクが欲しいのはこれじゃない。

ラグビージャージの特徴と言ってもいい、「襟」の付いた綿100%の長袖がいいのにね。

 


 

6/2の日曜、北上市での岩手不惑さんと秋田不惑さんの試合に、ボクも参加させて頂きます。

「先輩思いの後輩」さんの計らいで、岩手不惑チームの末席に加えて頂きました。

岩手不惑(当時は盛岡不惑)は、ご当人が想像できないほどボクにはビッグ・ネーム。

大沢先生はじめ安保先輩等、当時の岩手県ラグビーをけん引していた方々のお顔が浮かびます。

ボクごときが・・・の思いがありとても悩みましたが、わくわく感が勝りました。

会場は24年前、大沢先生の退官記念に東北学院大OBと初めて親善試合をしたグランドです。

ヤス君、アネに同行して君も来てみないかい?


同じ釜の飯を食った先輩後輩(2/2)賢治先輩と二度会った朝

2024-05-25 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

三週間前のここ開運橋から見た岩手山の印象が今朝も尾を引きます。

やっぱり、窮屈そう。

 


 

いつも朝の珈琲を目当てにコンビニへ向かうところ、今朝は進路を変えてみた。

旭橋の袂から北上川沿い伸びる材木町通りを川を遡るようにぶらぶら歩く。

もう珈琲はいいや。

 


 

材木町通りのコミュニティ道路事業は、ボクの住む町でも話題になりました。

車が走りにくいように線形に変化をもたせる発想が珍しかったんでしょうね。

商店街活性化のため、ボクの町からも関係者が視察に訪れたことがあるはずです。

 


 

通りには「いーはとーぶアベニュー」という名前が付けられているようです。

宮沢賢治さんも一服していますし、愛用していたチェロも置かれています。

「注文の多い料理店」の出版に関わった光原社の喫茶店もあり、とにかくここは賢治さん通り。

 


 

材木町通りを北に抜けるとそこは夕顔瀬橋の袂。

盛岡最後の一年間、大学の行き帰りに毎日(かな?)渡った夕顔瀬橋。

今思うと、ボクの一番身近にあった橋。

 


 

裾野を左右にゆっくり伸ばした岩手山はここまで遡らないと拝めません。

夕川瀬橋から見る岩手山は、ボクがこの橋を渡った頃の姿と変わっていませんね。

 


 

去年、夕川瀬橋に立った時、興味をひかれた川沿いに伸びるこの小道を歩いてみよう。

一度も歩いたことのない道に、何とも言えない風情を感じてしまうもんだから。

 


 

当時なら岩大生が暮らす下宿屋があったような昭和を思い出す雰囲気があります。

今の学生さんには信じられないくらい、ボク等の住環境は質素でしたから。

 


 

えっ! あの「鹿島」か? と二度見しましたが、国内最大手のあの鹿島建設でした。

何故あの鹿島がここに400坪ほどの空き地を・・・? それを説明する看板がありました。

明治二十年代、一関~盛岡間の鉄道敷設工事を請負った当時の鹿島組の宿舎跡地のようです。

ひとつの疑問は解けたけど、その後100年以上持ち続ける理由って何??。

 


 

初めての道を歩けば、何かしら興味深い新しい事実を知るもんですね。

多分、西下台の岩大構内に出るはずなんですが、なかなか近くまで行けませんなあ。

 


 

結局、腰の治療に毎日のように通った高松病院のある舘坂橋の通りまで来てしまった。

この通りの緩い坂を上がった途中で、覚えのある「岩手大学自然観察園」の看板と再会。

当時、看板の前を通るたびに躊躇していましたが、今日は入るしかないでしょう。

 


 

ずいぶん垢抜けたアプローチだなあ・・・我が農学部の植物園とは違う?

教育学部に帰属する園内を通り抜けることに、当時は躊躇がありましたね。

関係ないよそ者が他者の領域に入り込むような、そういう遠慮があったんでしょうね。

 


 

鬱蒼と生い茂る緑の遠くにポツンと置かれた礎石の様なもの・・・何だあ?

 


 

ああ・・・観たことあるなあ、この写真。

寝そべって、ちょっと気取った格好をしているのは、今日二度目の宮沢賢治さん。

  盛岡高等農林学校に来ましたならば まず標本室と農地実習とを

  観せてから植物園で苺でも御馳走しようではありませんか。  宮澤賢治

大正五年 五月  当自然植物園(当時の植物園)で撮影 とあります・・・108年前の五月です。 

 


 

鬱蒼と生い茂った草木のエリアはとても心落ち着きましたが、散策路は短かったなあ。

自然観察園を抜けると「岩手大学芸術棟」と銘打つ建物があらわれた。

ボク等の時代にあった「特美=特設美術課」の学び舎なんでしょうか。

 


 

当時の特美にボクの高校の一学年先輩の女子学生がいました。

特美の学生はそれと分かる独特の雰囲気を持った人が多く、彼女もそうだったかなあ。

今も彼女は雫石にアトリエを構え活躍されているという話を聞きます。

 


 

おそらく、教育学部内をこんなにのんびり歩いたことなんて、なかったと思う。

工学部もそうでしたが他の学部にいく用事なんてまずなかったし、なんか入りづらいんだよね。

これもみな、岩手大学のキャンパスがあまりに広大だからだよ、当時は未整備だったしね。

 


 

早朝のラグビー場に多くの学生が・・・そう、ラグビー部員なわけがない。

後輩には失礼な言い方だったかな、でも、去年の内容じゃあ、そのぐらい頑張ってもいいぜ。

ラクロスとかいう競技の学生でしたが、男女合わせた部員数は随分多かったなあ。

 


 

カマさん、「がんとこ」はここ、学食の隣にあったんだよ。

カマさんは「がんとこ」の意味どころか、床屋があったことすら知らなかった。

ボクは一年の時、ここで坊主頭にして以来ずーっと「がんとこ」、安さが一番だったよ。

 


 

早朝、まだ7時前の爽やかさ空気がとても気持ちがいいです。

多分、日課にされているんでしょうね、朝の散歩を楽しんでいる市民の方が多くいます。

ボクが学生の頃は、整地されていない区画が至る所にあったし・・・隔世の感があります。

 


 

やっぱり農学部内に入ると、他のエリアには感じないちょっと重い感情が生まれてきます。

たぶん、もっと・・・という、後悔の念があるからなんでしょうね。

こんなに素晴らしい環境があったのにね・・・生かすも殺すもオメエー次第だったんだよ!

 


 

入学するときは、きちんと「表」から入って来たんだけどね。

学業もそしてラグビーも、何一つ及第点を取らずして、こっそり抜け出てきた思いがします。

五十年を過ぎようとしても、何も言わず迎え入れてもらえることは、とてもありがたいよ。

落第分を取り戻すつもりで一回でも多く訪れたいって、この頃そう思うようになったんだ。