先日店にお越しいただいた台湾時代の友人Iさんと今年のお盆休みに台湾へ遊びに行くことがほぼ決定した。
今のところの予定では8月14~18日。
16年ぶりの台湾。
台北も随分変わったことでしょう。今からワクワクしています。
辛亥路と復興南路の交差点近くにあった「辛亥小吃館」はまだあるのか?
そこの酢豚は絶品でした。
女性店主がネコみたいな顔立ちだったので我々の間では「キャットレディ」と呼んでいた大衆レストラン。
「晩飯、キャットレディ行く?」ってな具合。
で、店主のパスポート、なんと今年の3月で切れてしまいます。
10年用を申請したのに一度も使ってない(><)
もったいなかったね。
台湾にいた頃はパスポートのページ(査証欄)を増やす「増補」をしても出入国のスタンプやVISAのスタンプが一杯になったのに...
10年以上国際線の飛行機に乗ってないってことか。
(国内線は何度か乗ってます)
飛行機乗るの大好き。
生まれて初めて飛行機に乗ったのが、大阪空港(伊丹)から高知まで単身赴任していた親戚の叔父さんを訪ねた時のこと。小学校3~4年生だったかな。
プロペラ機でした。
恐らくボンバルディア機でしょう。
数十人乗りの小型飛行機。
ムチャクチャ怖かった。揺れたし。
子供の頃はよく乗り物酔いしていました。
タクシー乗ったらすぐリバースしたし(笑)
今はもちろん平気です。
18歳の時に初めて国際線に乗った。
キャセイ・パシフィック(IATA航空会社コードはCX)のジャンボで、あまりのデカさにビックリした。
搭乗前のチケットカウンターで国際線に乗るのは初めてだと告げると気を利かせて一番前の座席を取ってくれた。
一番前と言ってもエコノミー(Yクラス)の一番前よ(笑)
これが数時間後に起こる悲劇の原因になるとは知る由もない...
キョロキョロしながら機内に入ると、スチュワーデスさん(今はキャビンアテンダントと言うのね)は金髪の外国の人。
イギリス系の航空会社だから当然と言えば当然。
日本人のスチュワーデスさんもいる事はいるが、Yクラスの後方の担当のようで、前方には来ない。
ソワソワしていると、隣に座ったのが東南アジア系の女性でした。
英語で何か声を掛けられましたが、頭の中真っ白。
(たぶんHELLO!とかその程度だったと思いますが、それすら耳に入らない)
大阪空港(伊丹)から台北(中正国際空港)まで2時間半ほどのフライトですが、国際線なので機内食が出ます。
ここでトラブルが発生。
一番前の席なので、どこに機内食のトレイを置くのかが解らない。
斜め後ろの席を見ると前の席の後部にテーブルが収納されているので、フックを90度回してテーブルをパタンと出すことが出来るが...
はて?一番前の席はちょっと離れた先にカベがあるだけ。
まさかひざの上に置くの!?
後ろから機内食を載せたワゴンが近づいてくる。
隣の女性は雑誌を読んでいて動く気配がない。
ど、どうするの!?
一人テンパッてると、金髪のスチュワーデスが
「Beef or chicken ?」と声を掛けてきた。
この英語は理解できたので
「ビ、ビーフ」と恐々答えると、すかさずトレイを差し出される。
両手でトレイを受け取ってモジモジしていると、それに気づいた隣の女性が
「ここをこうするのよ」的な言葉と共にヒジ掛けのフタをパカッと開けて、中から折りたたみ式のテーブルを出して組み立ててくれた。
なるほど、こういう仕組みだったのね。
多分その時の店主の顔はまっ赤っかだったと思う。
「サ、サンキュウ」とカタカナ英語全開でお礼を言って機内食を食べたが、味が解るはずも無く、無言で食べた。
食後もその女性から何度か声を掛けられたと記憶しているが、綺麗サッパリ覚えていない。
ちょっとでも英語(英会話)が出来たらもう少し違った結果になってたでしょう。
今でも時々その時の機内の風景(?)を思い出す。
アタフタしている黄色人種の若者、優しく微笑んでテーブルを出してくれた肌の浅黒い東南アジアの女性、それを冷めた目で見下ろす金髪に青い目の白人女性。
日本にいれば気付かない...これが世界情勢か。
18歳にして日本の義務教育の英語レベルでは全く通用しないと痛感した腕時計修理専門店トゥールビヨン店主。
今はどうかって? 「Yes ! I do !」...です..よ...(焦)
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