心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

映画「おとうと」

2010-02-03 | 日記
小倉南区に住む姪っ子の出産祝い。産院は昔と違って至れり尽くせりです。
まず、個室であり、パジャマなど必要な物は貸与、食事はホテル並。
費用負担も立て替えなくて済むらしい。
基本的に子どもは社会が育てなくてはならないと思うけれど、
どこかすんなりと受け止められない部分もあります。
当事者じゃないからかもしれません。
しかし、小さな命を目の前にするとしっかり育って欲しいと願います。




産院から少し離れた場所に学童のスタッフの1人が足の脛に腫瘍が出来て入院しています。
お見舞いに行くと彼女は元気に明るくしていました。
医療現場でも珍しい腫瘍らしく、膝から下の肉をごっそり削り取り、
お腹の皮膚で移植したとサラリと言ってのけるが、医師からは悪性と告げられ、
内面は計り知れないものがあろうと思います。
そんな彼女が「受け入れなきゃ仕方ないよ」と懸命に笑顔で対応します。
心のうちが伝わって思わず「一人で落ち込まないで」と声をかけましたが、
私は当事者じゃないので分かりませんが、気休めにもならないだろうと思います。
実際その立場にならなければ気持ちを共有する事は難しく、
負けないで頑張って欲しいと病院を後にしました。
その足で、
昨年の暮れ、お姉さんを亡くした友人と映画「おとうと」を観に行きました。
彼女はお姉さんの生涯を思い涙・涙でしたが、私自身は・・・ヒミツ。
山田洋二監督の作品をとおして感じるのは、
心の中の機微や愛を中心に置かれていると思います。
1人の人間が生きていく過程を、理解してくれる人が周りにいるかいないかによって、
生きる意味が随分と違ってきます。
人が本能的に求めているもの、愛情・必要な人だと思われること、誉められること
どんな環境の中にあっても、そこに愛されていると感じることが出来れば、
間違った行動には走らないと思います。
生まれたての赤ちゃん、悪性の腫瘍を懸命に受け入れようとするスタッフの姿、
映画の中で死んでいくおとうとと姉の肉親としての愛
神様が与えて下さった私へのメッセージです。
まだまだ心のありようが足りません。作日の1日に感謝です。
コメント (2)
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