股旅(またたび)の姿が消えた瞬間、小次郎は思った。
━ そうだ! 僕は考え違いをしていた…大望を果たすより、まずは、小さく平和な家族だった。[立国]とは家族だ ━ と。
上手(うま)くしたもので、対談形式の収録は途中退席した学者、酢味(すあじ)のせいで撮り直しとなっていた。その対談の収録日、小次郎は自重し、股旅(またたび)風に前の収録の際、猫語で語った立国論を取り消すと、いつもの内容を人間語で短く言うに留めた。学者の中に酢味の姿はなく、幾つかの学者の質問もボツにされた収録内容と同じだったから、割合スンナリと終了した。
収録が終わり、夕方前に里山達を乗せた車が家へ着いた。春先である。少し日没が遅くなり、まだ辺りは暮色(ぼしょく)のオレンジに染まり、明るかった。
「お疲れさまでした。ごゆっくりお休み下さい。え~と…三日後の朝10時前、お迎えに参ります。車はいつものところへ戻しておきます」
狛犬はスケジュールを書いた手帳を見ながら運転席の窓からそう言うと、車で去った、車が去るのを見届け、里山はキャリーボックスから小次郎を出しながら感慨深げに言った。
「私もいい勉強をさせてもらったよ、小次郎。股旅先生が言ったとおり、[立国]って、そう大きいことじゃなかったんだな…」
『そうですね…』
「今日は、このままみぃ~ちゃんのところへ帰りなさい。仕事はないから明後日(あさって)の夜、来(く)りゃいいさ。しばらく会ってないんだろ?」
『みぃの所へ? いいんですか?』
里山は黙(だま)って頷(うなず)いた。ニャニャァ~![それじゃ!] と猫語でニャゴり、小次郎は喜び勇んで駆けだした。
『只今(ただいま)…』
小次郎は久しぶりに仕事から解放され、里山の家から小鳩(おばと)婦人が建ててくれた新居へと戻(もど)った。すぐ現れたのはみぃちゃんと、すっかり大きくなった我が子だった。
『あら、あなたぁ~…お帰りなさい!』
みぃ~ちゃんに[あなたぁ~]と呼ばれた小次郎は、悪い気がしなかった。股旅が言った[立国]の、いい匂いがした。華々しい業界の疲れが嘘(うそ)のようにスゥ~っと小次郎から消えていた。
第⑤部 <立国編> 完
里山家横の公園にいた捨て猫
完