何ごとも進歩するに越したことはないが、進歩すればいいというものでもない。荒廃した戦後の頃と現代の進歩した時代を比較すれば、その意味がよく分かる。
小春日和(こはるびより)の一日、ご近所同士の二人の老人が庭の見渡せる縁側(えんがわ)の廊下に座り、話し合っている。黄色やオレンジに色づいた庭木が実に美しく、いい風情(ふぜい)を醸(かも)し出している。
「いい時代になりましたなぁ~」
「そうですか? 私ゃ、さほどとも思えんのですがな
っ」
「と、言われますと?」
「考えてもみてくだされ。確かに進歩はしました。進歩して何でもある豊かな時代にはなりました。なりはしましたが無(な)くなったものも多いっ! 決して元へは戻(もど)らないものがです」
「… それは、そうですなっ!」
「進歩も、よく考えないと・・ですか?」
「はあ、まあ…」
「そういや、長閑(のどか)な時代ではなくなりましたな。車がひっきりなしに飛び交(か)ってます」
「昔は自転車がせいぜいでしたからなぁ~」
「さよですっ! 長閑でしたっ!」
二人は散々、進歩した時代を扱(こ)き下(お)ろしたあと高級車に乗り込み、愉快な気分で進歩した時代の高級レストランへと出かけていった。^^
完
世の中は何が正解で何が不正解なのか分からないところがある。算数や数学などは、その答えが確実に出るのだが、世の中の動向・・といった目には見えない感覚的な内容はこうだっ! という正解が見出せないのである。例(たとえ)ば政治とか金融政策といった具体的な内容だ。他にも、男女間の恋愛の成功、不成功とか株の相場の損得・・などと挙げれば切りがない。
男の客が、とある帽子屋で似合いの帽子を買おうと物色している。
「こちらなど、よくお似合いですよ」
余りの時間の長さに、見かねた若い店員が声をかけた。
「そうかな? これなんか、どうだろうね?」
若い店員は、それは似合わないだろっ! と一瞬、不正解に思ったが、そうとも言えず、愛想笑いで誤魔化(ごまか)したが、次の瞬間、ここは儲(もう)けか…と悪く思い直した。
「ああ! それもよろしゅうございますね、よくお似合いでっ!」
「ははは…そうかい? どうも、これが正解かなっ! これにするよっ!」
「…はいっ!」
店員は男が口にした正解という言葉に一瞬、ドキリ! とした。自分が不正解と思った言葉を、心を見透かされたかのように間逆で正解と言われたからだった。そのとき、男の妻と思しき客が店へ入ってきた。
「あら、いやだっ! そんなダサいの買うのっ?!」
「ええっ! イケてるだろっ、お前?」
「なに言ってんのっ! 全然、イケてないっ。戻(もど)ってる、戻ってるっ!」
店員は、奥さん上手(うま)いこと言うな…と、愉快な気分で不正解を確信した。
このように、感覚的な正解、不正解は実に曖昧(あいまい)なのである。^^
完