いろいろなこと[諸事(しょじ)]に精通(せいつう)し、その行き着く先を極(きわ)める・・というのは並大抵(なみたいてい)のことではない。いいところまでいくと、まるで賽(さい)の河原で子供が積んだ石を鬼が無慈悲に崩(くず)すみたいな感じがこの世の現実なのである。それは狡猾(こうかつ)な欲望という形に姿を変え、アノ手コノ手と吹きまくる。それでも人は風に向かって努力する訳だ。まあ、柳に風と吹き流せばいい訳だが、人は脆(もろ)く、ついつい欲に溺(おぼ)れてしまう。私など、溺れっぱなしで生きている。お地蔵様にお救いいただきたいくらいのものだ。^^
冗談はさておき、極めた人は達人と呼ばれるが、極める・・という概念(がいねん)自体、漠然(ばくぜん)としていて捉(とら)えどころがないから、コレッ! という数値や形で表せないのが難点だ。それでも人は極める到達点を目ざして日々、究(きわ)めている訳である。^^
ここは、とある柔道場である。早朝から賑(にぎ)やかな稽古の声が辺(あた)りに谺(こだま)している。
「先生っ! 朽木括(くちきくく)りの荒技(あらわざ)、完成されましたかっ!!」
「いや、未(いま)だに極めるのが叶(かな)わんでのぉ~!」
「そうでしたか…。ご健闘をお祈りいたします」
「おお! ありがとう!」
師範は師範代へ、どうも、無理だな…とは思えたが、それでも自信ありげに返した。
まあ、極める・・というのは、そんなもののようだ。^^
完