「なぜあなたに側面がないのか、俺にはよく分かりません? まあ、それはおっつけ聞かせていただきます。あっ! 明日は無駄な動きになりますから、車で動かれない方がいいですよ」
『それが出来ればいいんですが…。今も言いましたように、私は過去のあなたなんです。いわば、あなたの過去で生きる氷上の映像です』
戸倉の過去の分身は動きを止めず、いつの間にかキッチンのテーブル椅子に移動してワインを傾けていた。もちろん戸倉もピッタリと男に付いて動いていた。男は寛(くつろ)ぎ、戸倉は疲れていた。昨日の俺は楽なんだな…と戸倉は、今の自分が馬鹿馬鹿しくなった。
「あなたはアチラではどういう暮しをなさってるんですか?」
『一日遅れですが、今のあなたのワンランク上の生活です』
「ワンランク上?」
『はい。ちょっと分かりにくかったですかね。つまり掻(か)い摘(つま)んで申しますと、あなたがB級グルメを堪能(たんのう)されているとき、私はA級か超A級グルメに舌鼓(したつづみ)を打っていると・・まあ、そんなところでしょうか』
「ああ、なるほど。そう言ってもらえれば、俺にも分かります」
道理で俺より上品なはずだ…と、戸倉は納得した。
『あっ! このワイン、美味ですね』
「安物ですよ」
『そうですか? 高級ワインより返って美味なのは、なぜなんだろう…?』
異次元の戸倉はグラスに残ったワインを味わいながら首を捻(ひね)った。
戸倉には少し嫌味に聞こえたが、穏やかながらも自分の声だったから、余り腹は立たなかった。
『あっ! もう、こんな時間か。そろそろ消える時間だ…』
腕時計を見ながら、戸倉の分身は呟(つぶや)いた。
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