残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《剣聖①》第二十六回
瞼を閉ざしていると、眼に映るものが無いだけ聴覚が鋭敏になる。左馬介は、既に四半時は座り続けていた。眠くはないが、心は雨音で幾らか集中を欠いている。未だこの程度の自分なのだ…と、思えた。そうこうしている内に、辺りは少し明るさを増していた。左馬介は瞼を開けるとスッ! と立ち、薪入れ小屋を素早く出ると一目散に自分の小部屋へと急いだ。手燭台に灯りを入れていない分だけ手間は省けた。
小部屋へ戻って暫くすると、魚板を叩く音が響いた。皆を起こす合図である。叩き手は、誰が決めたのか定かでないが、新入りの案内係を仰せつかっている大男の神代である。この男の背丈からすれば、腕をそう伸ばさずとも叩けるから疲れることはない。音も大きくなるよう造作なく強く叩ける訳だ。
魚板が鳴れば、辺りには急に喧噪が漂う。云う迄もなく、門弟達が各々の動きを始める為である。堂所横に設けられた水洗い場は、歯を磨いたり顔を洗ったりする者達で、ごった返す。左馬介も、その要領は既に心得ていたから、手拭いを袴の腰紐へと通しながら、洗い場へと急いだ。
洗い場には井上と神代がいたが、後の者達は未だ来ていなかった。