昭和の頃に流れた音楽も、今ではすっかり様変わりしてしまった。世相の流れ・・と考えれば、これも仕方ないのだろうが、どこか寂しさを覚えるのは私だけだろうか。早い話、年老いた現象でそう思えるのだろうから致し方ない。単なる愚痴です。^^
浜尾はアコギ(アコースティック・ギター)の有名奏者で作曲家でもあった。音楽の才に恵まれてはいたが、彼が自らの才を自覚したのは十代半ば過ぎだった。何もせず山々を眺めていると、自然とメロディーが浮かんだ。十代の頃は、まだ譜面が書けなかったが、それでも二十(はたち)を過ぎ、少なからず興味もあってか、努力して採譜出来るようになった。そして、運にも恵まれてか才能が認められ、音楽の道で生計を立てられるようになったのだが、浜尾の音楽家としての道が花開いたのは、三十路に入ってからだった。ひょんなことで浜尾の曲が大ヒットし、社会で名を知られるようになったのである。ひょんなことで大ヒットしなければ、どうなっていたか?は分からない。^^
それから数十年、世相も変わり、今や彼のメロディーは懐メロと呼ばれるポンコツ扱いとなり、BSでかろうじて流されるまでに衰退していた。浜尾は、しみじみと世相の流れを肌に感じた。そして思った。まあ、いいさ…と。
世相が流れ変わろうと、一人一人のアイデンティティー[独自性]は変わらないんですよね、浜尾さん。^^
完