水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑える短編集 -78- 玄武坂慕情

2022年06月02日 00時00分00秒 | #小説

 江戸は中頃の話だ。山城屋に奉公する手代の誠之助と女中のお里が深い仲になって、はや半年が経とうとしていたと思いなよ。この時代、そんな身勝手が許されるはずもなく、お店(たな)に漏れでもすれば、これはもう偉(えら)いことになる・・とは二人にも分かっていたから、逢瀬(おうせ)を重ねるにも人目を憚(はばか)る他はなかった。山城屋から少しばかり離れた玄武坂の袂(たもと)にある柳の木が二人の逢瀬の仲持ち役となった。柳の木に恋文(こいぶみ)を括(くく)りつけ、出逢いの遣(や)り取りをしたって訳よ。ものを言わない柳としても、まあ、悪い気はしないさ。いい塩梅(あんばい)に二人が出逢えると、嬉(うれ)しくなってくるわな。ついに柳は生き霊(りょう)となって二人の逢瀬を見届けるまでになった。そんなこととは露ほども知らない二人、お茶屋に湿気(しけ)込んで、あんなことや、こんなことをして、まあそういうことになり、お里は身重(みおも)になった。そうなりゃ当然、月日の流れでお里の腹も大きくなる訳よ。柳もここは、おいらの出番! とばかり、江戸っ子気質(かたぎ)で、ひと肌脱ぐことにしたって寸法よ。そうはいっても柳は柳だ。玄武坂の袂で、ゆらゆらと風に戦(そよ)いでる意外、表立った動きが出来るはずもない。そこで柳は考えた。この袂をよく通るお粂(くめ)婆さんにとり憑(つ)いて、ひと肌、脱いでもらうことにした。ところが婆さん、なにを血迷ったのか、すっかり誠之助に絆(ほだ)されちまったから、さあいけない。こりゃ駄目だとばかり、柳はこれもよく通る仙八爺さんにとり憑いた。するとじいさん、またまたなにを血迷ったのか、お粂婆さんに仄(ほの)かな想いを寄せちまった。そうして、いつしか、誠之助とお里のことなどそっちのけで、二人はいい仲になったのよ。さすがにあんなことやこんなことはなかったようだが、二人は侘(わび)しい暮らしながらも共に暮らしはじめた。瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)とはこのこった! …と、柳はいい考えを思いついた。というのは、お里をしばらく二人に預かってもらい、生まれた子供も育ててもらう・・という手立てだ。身勝手な話だが、この手立て以外、誠之助とお里を助ける術(すべ)はない…と、柳は玄武坂の袂で、ゆらゆらと風に戦ぎながら考えた。そうこうして、いつしか話は首尾よく纏(まと)まっていったのよ。話は進むが、全(すべ)てが、めでたし、めでたしで終わるかに思えたが、そうはいかなかったのさ。当の柳がお粂婆さんに絆されちまったのよ。そうして、それからというもの、玄武坂の袂でお粂婆さんに慕情を抱きつつ、ずぅ~~っと風に揺れ続けた・・というこった。聞いた話だから、真偽(しんぎ)のほどは、あっしには分からねえ。

                    完


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 思わず笑える短編集 -77... | トップ | 思わず笑える短編集 -79... »
最新の画像もっと見る

#小説」カテゴリの最新記事