幽霊パッション 水本爽涼
第四十二回
教授は揺れ続けるVUメーターと点滅するオレンジ色のランプを指さした。上山には原因が分かっているから、どうも返事し辛(づら)い。ここにいる幽霊平林のせいだ、などとは云えなかった。だいいち、この機械、古めかしいレトロ調で、決して現代の最新技術を駆使して作られたものとは到底、思えなかったのである。少しの、もどかしさが上山の心を苛(さいな)んだ。しかし今は我慢して、適当に教授の話に合わせねば…と、上山は考えていた。
「ワァ~、えらく揺れてますねえ。いったい、なぜなんでしょうねえ」
わざとらしく思えたが、ともかく上山は、そう云って返した。
「振れてるだろ? これが、とにもかくにも事実を証明しておるのさ。何もなければ、針など振れる訳がない!」
最後の語尾を強調して教授は上山に云った。それは確かに、その通りで、何もしていない状態で急に針が振れたりランプが点滅するはずがない訳で、誰もが驚く現象であることは事実だった。
「それは、そうですね…」
上山には隣で幽霊平林が笑っている蒼白い顔が丸見えなのだが、ここは敢(あ)えて、こう云うしかなかった。先程まで教授に威圧され、上山の後ろへ隠れていた幽霊平林が、もう横へしゃしゃり出ていて、笑っている。上山は彼に少々、腹が立った。だが、教授が前にいるから話す訳にもいかず、怒りが次第に、いらだちへと変化していった。
「霊がいることは確かだ。要は、どう解明するかなんだが、その解明方程式は、まだ完成しておらんのだよ。…ちょっと、トイレへ行ってくるから、君、機械になにか変化がないか見とってくれんか」
「はい、いいですよ。お安いご用です」
教授は上山が了解すると、矢のように走りだした。
幽霊パッション 水本爽涼
第四十一回
「んっ? これは! もしかして…」
そう呟(つぶや)くと、教授は俄(にわ)かに室内のあちらこちらをキョロキョロと見回しながら、何かを探しているような目つきになった。もちろん、教授に幽霊平林の姿は見えるはずもない。だが、教授の凝視する眼差(まなざ)しは、その見えない何ものかを探しだすかのように、一点を見据える。そして首だけが、まるでカラクリ人形のように周囲に回るのだから、これはもう不気味以外の何物でもなかった。幽霊平林ですら教授の動作に威圧され、黙って上山の後方へ退避した。
「教授、その機械は?」
思いきって上山は口を開いた。
「んっ? これかっ? これは私が開発した霊動探知機だ。と、云っても、機械が専門でない心霊学の私が作れるべくもない。実は、これは、私の友で機械工学の権威者である佃(つくだ)教授に開発してもらった機械でな」
「なるほど、…そうだったんですか。それで今の反応は?」
「よくは分からんが、どうも何かの霊がこの研究所に入ってきたようなのだ」
幽霊平林は、僕はここにいますよ…と云わんばかりに、自分を指さしてアピールした。
「ははは…、そんな馬鹿な。教授の思い過ごしでしょう」
「なにぃ! 私を怒らせる気かっ!」
「いいえ、滅相もない。決して、そのような…」
滑川(なめかわ)教授が俄(にわ)かに血相を変えて怒りだしたのを見て、上山は慌(あわ)てて取り繕(つくろ)った。
「…ならば、いい。いや、この機械は今まで一度も反応したことがなかったんだ。それでこの私も、もう一度、佃(つくだ)君に作り直してもらおうか…と、思っておったんだよ。それが今、この状態だ」
幽霊パッション 水本爽涼
第四十回
上山がドアを開けると、そこには紛(まぎ)れもない滑川(なめかわ)教授が何やら得体の知れない機械を前に、じっと腕組みをして考え込んでいた。ドアの開く音もお構いなしに、である。
「教授! おはようございます。田丸工業の上山でございます…」
教授は、ようやく機械から目を離し、上山を見た。
「おお、来おったか! 何を見たいのかは、よう分からんが、まあ、しばらく見ていきなさい。ただし、茶も何も出んぞ! ははは…」
「はあ、そのようなものは結構でございます」
「そうか? ならば、そこの椅子に座って、ゆっくりしていきなさい」
教授は、そう云うと、ふたたび目前の機械を見ながら腕組みをした。上山には、その機械がどういうものなのかは、まったく分からない。解明するには、教授が口を開かない以上、ただじっと教授の一挙手一投足を見守るしかなかった。その教授は奇妙な機械に対峙し、睨(にら)み合った相手を威圧するかのように、不動の腕組み姿勢のまま座っているだけなのだ。もちろん、時折り椅子から立ち上がることはあるが、ただ機械を上から見るだけで、また座ると不動の姿勢になるのだった。これでは、堪(たま)ったものではない。そう上山が思い、腕を見るともう十時を過ぎていた。小一時間は無為に時間を費やしたようであった。この約一時間の時の流れの中で上山が掴(つか)んだものといえば、散髪をしていない教授の不精頭と、口の周りに、これも不精に生えた白髪(しらが)混じりの髭(ひげ)だけであった。フゥ~っと思わず溜息をついた時、幽霊平林が現れた。むろん、上山に見えるだけであって、教授には何も見えない。
その時、教授が腕組みを解いて、慌(あわ)てた様子で機械の方へ前屈(かが)みになった。そして、より一層、シゲシゲと機械を見始めた。そういや、機械に付いているVUメーターの針が激しく揺れ、オレンジのランプが点滅し始めた。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十九回
仕事帰りの上山が、行きつけのバーで飲んで帰途についたのは、もう日が変わった頃だった。上山の家がある住宅街は結構、高級な邸宅が多く、芸能人の家も多かった。上山は、明日の教授宅の訪問を考え、目覚ましをセットすると早めに寝た。
次の日は快晴で、上山は久しぶりにぐっすり眠った…と、心地よく目覚めた。目覚ましは八時にセットしたのだが、目覚めたのは、その二十分ばかり前である。やはり熟睡してるとはいえ、心の奥底には教授宅のことが克明に刻まれていたのだ。
教授との約束は十時だから、二時間はある。これはもう、ゆったりと起きて、洗顔、歯磨き、朝食、着替えなどの行程を終えるには充分な時間であった。上山はそれらの行程を終えると、九時を少し過ぎた頃、家を出た。教授の研究所への道中は、以前、安眠枕の折りに生前の平林と足繁く通ったことがあったから、しっかりと上山の記憶に残っていた。カーナビに頼ることなく、上山は無事、研究所近くの空き地へ車を停車させた。新しいビルや駐車場、それにコンビニとかが出来た関係で景観は上山の記憶より多少変わっていたが、当の研究所は以前とちっとも変わらず、そのままであった。周囲の真新しさと反比例するというか、コントラストをきわ立たせて研究所は存在した。そして、教授が電話で云ったとおり通用口の施錠はされず開いていた。上山は、カツ! カツ! と鋲の打った皮靴を響かせて、教授がいると思われる地下二階の研究所へと足を進めた。
階段を下りると、太陽光から遠ざかるためか、光線が遮(さえぎ)られて、薄暗くなった。まるでモグラだなあ…と思っていた頃の過去の記憶が、ふと上山の脳裡を過(よぎ)った。研究室の入口は以前のままで、少しも変わっていなかった。周囲に置かれた雑物が多少の年月の経過を思わせたが、それ以外はまったく、あの時と同じだ…と上山を思わせた。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十八回
「本当か? …まあ、君を疑ってる訳じゃないんだが、どうも不安でなあ…」
『そんなことは心配されず、今は滑川(なめかわ)教授に出会った時のことをお考え下さい』
「ああ…、ありがと。そうさせてもらうよ」
それで会話は途切れ、幽霊平林は湿っぽく去った。
次の朝、会社へ出勤した上山は、携帯で電話をした。
「あっ! 昨日はどうも…。さっそくでなんなんですが、明日の朝、十時頃では、いかがでございましょう?」
上山は猫撫で声で話した。
「おお、君か。私はいつでも構わんよ。君の好きな時に来なさい。入口は開いとる」
この日の滑川教授の機嫌は、かなりよかった。
「はい! どうも、ありがとうございます。では、さっそく参上させて戴きます、失礼いたします」
上山は電話を切って、ホッ! とした。そこへ幽霊平林が現れた。会社へ現れるのは久しぶりである。上山は課員達の手前、デスクでは電話できず、トイレの化粧室にいた。
『明日の十時ですか…。そういや、明日は会社、休みでしたよね』
「なんだ、君か! …それにしても驚かなくなったな。慣れとは恐ろしいものだ」
『いやあ、課長が驚かれなくなったのは、僕にとっては好都合です。なにせ、僕の興奮度合いも小さくなりますからねえ』
「頭の青火が立たなくなるってことか? …まあ、私もそれは助かるがな。おっと、いけない! ここはトイレだった。誰ぞに聞かれちゃ拙(まず)いな…。それじゃ、また」
上山は、幽霊平林を振り払うようにトイレを出た。そんなことはお構いなしの幽霊平林である。上山の横にスゥ~っと続いた。それでも一応は遠慮して、上山が課のオフィスのドアを開けた時は、静かに消え失せた。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十七回
「いったい、誰からそんな情報を入手したというのかのう?」
「はあ…、まあ風の噂(うわさ)を耳にした、とでも申しますか…」
「風の噂なあ…。どうも腑に落ちんわい。まあ、百歩譲ってこの研究を、どうしたいというんだ!」
「どうするも、こうするも…、一度、先生の研究所を見学させて戴き、研究のご様子などをお見せ下されば、それで結構でございます、はい!」
「なにっ! 見るだげよいというのか。君の会社は、いったい何を考えとるんだ! …まあ、君に怒っても仕方ないことだが…。それに、見学するだけならなあ…、別に構わんが。…ただし、君だけにしてくれんか。他の者は、というより、二名以上は駄目だぞ!」
「はい、分かりました。ありがとうございます。改めて、日時につきましては、お電話を差し上げますので…」
教授の後ろで一生懸命、霊気を送る幽霊平林は、やったとばかりにイエ~イ! と云ってVサインをした。むろん、教授は、その声も仕草も見聞きしてはいない。
上山が電話を切るやいなや、幽霊平林は研究室から上山の自宅へとVサイン姿のまま瞬間移動した。
『課長! 上手くいったじゃないですか。あとは課長の腕次第ですね』
蒼白く笑う幽霊平林の頭部にガス燃焼の炎のような青火がポワ~ンと丸く浮かんだ。
「なんだか頭に浮いとるぞ、君」
『はい、どうも一定限度の興奮を超えると出るようです』
「出るって君、それは他人にも見えるんだろ? 君にすりゃ、気づかれるから危険じゃないか?」
『ははは…、心配しないで下さい。青火だけで、僕の姿は全然、見えませんから…』
「そういう問題じゃないだろ? 私の近くで青火が突然、浮かべば、他の者が私を避けるようになるだろうが」
『はあ…それは、まあそうですが、課長の前では、興奮しないようにしますから、ご安心を』
幽霊平林は、ふたたび陰気に笑った。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十六回
「なにっ! 安眠枕だとっ! …そんなもん考えたこともないぞ! んっ? …そういや、枕に電磁誘導コイルを仕込んだのを持ってきおったことがあったわい…。その枕か?」
「はい! 正(まさ)しく、その枕の製造元の田丸工業でございます」
「奇妙な実験をさせおったからのう…あの会社。おい! その会社の者か!」
滑川(なめかわ)教授の機嫌は、いっこうよくなる気配がなかった。
「そ、その通りでございます、はい」
低姿勢一辺倒で、上山は話し続けた。
「で、その田丸工業が、私に何の用だ! 確か…あの折りは結局、ボツになったではないか!」
「は、はい。あの節は…。いえ! そうではございません。ボツになったのではなく、時節到来まで待とうとお蔵入りになったのでございます」
「お蔵入り?! お蔵入りとは、結果的にボツと同じではないか!」
「はあ、それはまあ、そうでございますが…」
上山は教授に責め立てられ、防戦一方であった。
「まあ、いい…。それで、私に、いったいどんな用があるというんだ。また、二束三文の商品開発に手を貸せというんなら断っておく!」
「いいえ、今回はそのようなことではございません」
「ほう、ならば、いったい、どういう用件なんだ!」
「はい、実は今、先生がご研究されていることについて、我が社と致しましては、かなり興味を持っておりまして…」
「この私の研究を、君達が知っておると云うのかね。世間には一切、口外していない研究を?」
「いやあ、そう云われますと、なんなんですが…」
幽霊パッション 水本爽涼
第三十五回
『それじゃ、僕は、これで…』
幽霊平林はスゥ~っと消え去った。上山には消えぎわが鮮やかに見えた。恰(あたか)も、芸能界のスターが格好よく登場し、また格好よく消え去るように思えたのである。
上山が滑川(なめかわ)教授に電話をしたのは、その次の日であった。教授は埃(ほこり)が数ミリばかりも積もった研究室の中で齷齪(あくせく)していた。そして、なにやら怪しげな機械を前にして自分が書き記(しる)したノートを見、また機械を見るといった動作を交互に繰り返していた。
「…これで間違いない。私の計算によれば、これで霊界とこの世が繋(つな)がる筈(はず)だ!」
確信めいた声で教授は呟(つぶや)いた。その時、けたたましい電話音がした。今では、ほぼ過去の遺物となったダイヤル式の黒電話機の音である。
「この大事なときに! いったい誰だっ!」
教授の機嫌は俄(にわ)かに悪くなった。それでも呼び出し音がやかましくリーン、リリリーンと何度も鳴れば、さすがの教授も無視することは出来ない。いや、出来ないというよりも、その音が五月蝿(うるさ)くて邪魔なのだ。仕方なく教授は受話器を取りに嫌々、動いた。
「はい…どちら?」
「あのう…、先生に以前、お世話になりました田丸工業の上山と申します。その節は大変、お世話になりました」
「田丸工業? 上山だってぇ~? そんな人に会ったことがあったかなあ…」
「嫌ですよ、先生。それ! いつぞやの…安眠枕の田丸工業ですよ。ご存知でしょ?」
愛想よい言葉遣いで上山は話していた。教授の後方には、いつ現れたのか、幽霊平林が腕を組んで受話器を持つ教授の様子を窺(うかが)っていた。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十四回
「相手による、とは、どういうことなの?」
『相手の心霊力が強いと、立ち入る隙(すき)がないのです。それに返って、そんな相手に仕掛けると、こちらが危ういんです』
「危ういとは?」
『ええ、ですから、危ういんです。どう云えばいいのか…、つまり、ふたたび現れることが出来ないほどのダメージを受けるということです』
「ほう…、そうなのか。霊界も、いろいろ複雑なんだねえ」
『はい、かなり複雑なんですよ』
「ふ~ん…」
二人、いや、本当は一人と一霊なのだが、この場合は、あえて二人と云える両者が黙り、しばらくその沈黙は続いた。上山は残って冷えた銚子の燗冷め酒を猪口へ注いで飲み干した。
幽霊平林も上山が黙ってしまえば暖簾に腕押しで、存在価値がなくなる。元々、幽霊なのだから存在は無なのだが、上山の前では人として一応、存在するものだから話していた訳で、存在価値もあったのである。
『それじゃ、そういうことで…。教授とのコンタクトが首尾よくいきましたら、また現れることにしましょう』
「あの…、ひとつ訊(き)きたかったんだが、そんなにいつでも現れるのは可能なのかい?」
『はい! それはもう…。人間の世界の感覚で霊界を捉えてもらっては困ります。それはもう、まったくの別世界なのですから…』
「それは、いつか云ってたよね」
『ええ、三次元ではない空間にいる訳です。コチラから見れば、消えてるってことになります。これも、いつか云いましたよね?』
上山は、それ以上、追及できなかった。
幽霊パッション 水本爽涼
第三十三回
「そんなのがあるんだ…、やはり」
『ええ、霊界は立派に存在してますよ。…立派というのも妙な云い方なんですが…』
幽霊平林は霊気を放って蒼白く笑い、上山は人間っぽくオレンジ色で笑った。
「まあ、そんなことはいいが、君の場合はスンナリ研究室へ入れるが、私がねえ。滑川(なめかわ)教授にどう接近するかだ…」
『そうでした…』
「何かの社用でお伺いした、とでも云えば、昔のよしみで入れなくもないんだろうが…」
『というより、その方法しかないんじゃないでしょうか』
「まあ、そうだなあ…。それで教授にどう切り出すかだなあ、君と私のことを…」
『素直に、洗いざらい云った方がいいんじゃないでしょうか。僕が見えるってことも含めて…』
「君は、そう簡単に云うが、この話って尋常じゃないからなあ」
『でも、教授も尋常じゃないんですから、上手くいくような気が僕はするんですよ』
「ああ、そうか…。マイナス×マイナス=プラスって訳か」
『はい…』
「よしっ! なら、そうしようじゃないか。で、いつ実行するかだが…」
『私ははいつだって、現れますよ』
「岬君の仲人話が六月だから、それまでには、なんとかせにゃいかんな」
『あと、ひと月半ほどですね。急ぎますか?』
「ああ、数日中に、まずは滑川(なめかわ)教授に電話してコンタクトを取ろう。プツリ! と切られんように慎重にいかんとな」
『ええ、そうして下さい。僕は瞬間移動でアチラから霊力を送りますから』
「そんなことが出来るのかい? 君」
『ええ、その気にさせると迄はいきませんが、そういう雰囲気を送ることは出来ます。もちろん、相手にもよりますが…』