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水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

サスペンス・ユーモア短編集-6- 正義の味方

2016年06月20日 00時00分00秒 | #小説

 多山は今年で35になる町役場の中堅職員だ。税務課に配属され、幸か不幸かその人当たりのよさを買われ、税金未納の徴収を一手に引き受けている。全職員が嫌がる仕事の3本の指に入るその1つの仕事だ。多山は払えない貧しい家庭には自腹を切って当てていた。これは無論、多山にとっては経済的に大損失で身を切る辛(つら)い決断だった。決してゆとりがある給料はもらっていない多山だったから、それも当然といえば当然だった。
「どうしても、無理ですか?」
「…」
 やつれた外見の中年女に多山は小声で訊(たず)ねたが返答はなかった。この家へ足を運んでいるのは、今日で5度目だった。家の中の荒れようからして、これは無理だな・・・とは思えていた多山だったのだが、一応、訊ねたのだ。
「いいでしょう! …ここに、これだけあります!」
 多山は背広のポケットから財布を取り出すと、中から札を数枚抜き取った。すでに、払ってもらえないな…と、ほぼ推断していた多山はその額よりやや多めの札(さつ)を財布に入れて家を出たのだ。そのときの気分は自分が正義の味方になったいい気分と、今月は月半分か…という生活費半減の憂いだった。
 多山が札を女に手渡すと、女は、よよ・・と泣き崩(くず)れた。ここで言っておくが、なにも多山は慈善でそうしたのではなかった。彼は5度足を運ぶ間、極秘裏に未納のこうした家々の生活状況を探っていたのだ。恰(あたか)もそれは、刑事の張り込みか探偵のような情報収集によるもので、勤務の公休はほぼ全(すべ)て、実態調査のために使われていた。そして、その探った結果が今日の多山の行動に繋(つな)がっていた。女の夫と子は事故死していた。生きがいを失った女は廃人同様になっていたのである。そんな身の上の女だったが、多山にも生活があった。神仏でない以上、食べねば飢え死(じ)ぬことくらいは多山も分かっていた。正義の味方も弱かったのである。これは恐ろしいこの世のサスペンスである。正義の味方は、残念ながらドラマのように格好よくも強くもなかったのだ。

                        完


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サスペンス・ユーモア短編集-5- ホシ

2016年06月19日 00時00分00秒 | #小説

 警察署長室の一コマである。20年ばかり前に定年退職した元署長の手植(てうえ)真一が部下だった刈田稲男を署長室に訪ねていた。その当時は若かった刈田も、すでに来年は定年だった。気を遣(つか)って席を外(はず)したのか、二人以外、誰もいない。
「どうだ、実ってるか?」
「ああ、これは手植さん! まあ、どうぞ。いやあ、なんとか・・ってとこですよ…」
 署長席に座る刈田は折りたたみ椅子を手植に勧(すす)めた。
「事件がないってのが豊作なんだがね」
 手植は椅子へドッカと腰を下ろしながら、そう返した。
「けっこう、細かいのが片づきません」
「昔にくらべりゃ人間も悪くなったからなぁ~。いろいろと厄介(やっかい)なのが起こって片づかんだろうな」
「これだけ文明が進んで、果たしてよかったのかどうか…」
「いや、そら進むに越したことはなかろうがな。ただし、必要なのか? が問題だがね」
「いらない進歩、けっこうありますね」
「それにともない、いらない人間も出てくる。我々のような年寄りもいらない! と言われればそれまでだがね」
「いやいや、手植さんは、まだまだ…」
 刈田は元先輩の手植にヨイショした。
「ははは…そう言ってもらうと私もまだまだやらんとなっ! 問題は若い世代だよ」
 手植は、俺はいったい何をやるんだ? と思いながらも強がって返した。
「ですよね…」
 いつもは部下に叱咤(しった)する小うるさい刈田も、今日は借りものの猫で、手植にゴロニャ~~状態である。
「まあ、国にも責任はある。ホシは相当、手ごわい」
「見えないホシは国ってとこですか、ははは…」
「ははは…余りでかい声では言えんがな。国の借金を差っ引くと、あまり国はよくなってないんじゃないか…」
「かも知れません…。未だ私もお上(かみ)から食わしてもらってる身ですから、でかい声では言えないんですがね」
「言えん言えん。君はまだ言えん!」
 二人の笑い声が署長室に木霊(こだま)した。

                        完


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サスペンス・ユーモア短編集-4- 石の上にも三年

2016年06月18日 00時00分00秒 | #小説

 定年が間もない捜査二課の係長、谷底(たにそこ)は今年で奉職40年のベテラン刑事だ。生憎(あいにく) 、出世には縁遠かったが、それでも二年前、ようやく警部補に昇任し、満足している・・といった程度の男だった。当然といえば当然だが、それまで巡査部長の身で若い係長の坂木に顎(あご)で使われていた鬱憤(うっぷん)からか、最近は部下の新任刑事、百合尾(ゆりお)を、逆に係長として顎で使って鬱憤を晴らしていた。その谷底がここ数年、はっきりいえば昇任試験に合格した直後から難事件に遭遇していた。かなり大規模な贈収賄事件の捜査である。相手はしたたかな実業家、石田だった。当然、税務署のマルサとの競合もあり、トラブルにならないよう情報面の連携は密(みつ)にしていた。
「かれこれ、三年になりますが、やつは、なかなか尻尾(しっぽ)を出しませんね、係長」
「ああ、そうだな…」
 谷底は係長と呼ばれた響きに酔いしれながら、石の上にも三年か・・・というウットリ気分で小さく返した。谷底と部下の坂木は公園の石畳の上に備え付けられたベンチに座って石田邸を見下ろしていた。張り込みには格好の場で、ほとんど毎日といっていいほどここで張り込む二人だった。
「係長、知ってますか?」
「なにを?」
「どうも、捜査本部が解散らしいですよ」
「まあ、だろうな…。さあ! 今日はここまでにするか…」
 谷底は長引いた捜査をふと思い、諦(あきら)め口調で呟(つぶや)いた。が、内心ではもう一度、係長と呼んでくれ! とウットリしていたのだった。そんな谷底の気持を知ってか知らずか、石田が動いた。石田を乗せた高級車がガレージを出たのである。
「オッ!!」
 二人は俄(にわ)かに色めきたった。
「どうします?! 係長!」
「馬鹿野郎! 訊く奴があるか。行くぞっ!」
 口で怒った谷底だったが、心はウットリ和(なご)んでいた。二人は走って覆面バトカーに飛び乗った。ペンチから立ち上がった二人のズボンの尻(しり)には、苔(こけ)がビッシリと張りついていた。

                        完


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サスペンス・ユーモア短編集-3- 消えた竹輪(ちくわ)

2016年06月17日 00時00分00秒 | #小説

 庶民的な話である。
 山辺は竹輪(ちくわ)をツマミにしてチューハイを一杯やるのが好きな典型的な親父(おやじ)タイプの男だった。ツマミの竹輪に山辺は一種独特のこだわりをもっていた。少し焼き、開いた穴にマヨネーズをグニュ! っと絞り入れ、それをウスターソースに軽く付けて味わうというものだ。その山辺が休日のある日、いつものように楽しみにしていた竹輪を冷蔵庫から出そうと、イソイソとキッチンへ現れた。ところが、この日にかぎり、冷蔵庫の中にはなぜかいつもの竹輪が入っていない。山辺の記憶では数袋は買い置きしていたはずだったから、これは消えた・・としか思えなかった。家族の者が食べたとしても、数袋を全部食べてしまうとは考えられなかった。消えた竹輪事件である。山辺はさっそく、捜査を開始した。まずは目撃者の割り出しである。この日は日曜だったから、皆は…と、山辺は家族のアリバイ[現場不在証明]を調べることにした。
「なに言ってるのよ! 私は深由(みゆ)と買物に行ってたでしょうが…」
 山辺が訊(たず)ねると、妻の香住(かすみ)はあなた知ってるでしょ! とでも言いたげな口調で返してきた。
「ああ、そうだったか…」
 とすれば、残るは山辺の父で去年、卒寿を迎えた彦一だった。アレは怪(あや)しい…と刑事癖が出たのか、山辺は自分の父親を内心のタメ口で疑った。
「馬鹿は休み休み言いなさい! 私がそんなミミちいことをする訳がなかろうが! お前というやつは…」
 山辺が訊ねると、彦一は情けなそうな顔で息子を見ながら強めに言った。山辺は、消える訳がないのだから妙だ…と首を傾(かし)げた。とすれば…と考えを巡らせたが、山辺の見当はつかなくなっていた。捜査は暗礁(あんしょう)に乗り上げたのである。仕方なく、その日は油揚(あぶらあ)げを軽く焼いて醤油で味わうというツマミで済ますことにした。ところが、コレがまた、けっこうイケたのである。山辺はコレもアリか…と親父風に思った。
 次の日の警察である。
「課長、コレ忘れてましたよっ!」
 署に着くなり、山辺は係長の堀田に愚痴られた。堀田の手には数袋の竹輪が握られていた。
「おっ! おお…有難う」
 バツ悪く、山辺は小声でそう返し、背広の内ポケットへ竹輪の袋を押し込んだ。犯人は山辺のド忘れだった。

                         完


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サスペンス・ユーモア短編集-2- 追われて追う 

2016年06月16日 00時00分00秒 | #小説

 中年にさしかかったサラリーマンの秋村は、なぜか最近、忙(いそが)しさに追われていた。ただその原因がつきとめられない。秋村は焦(あせ)っていた。考えられるとすれば、数週間前に路上でバッタリと出食わした一人の老人だった。その老人は秋村と同じ方向へ歩いていて、必死に動こうとしていた。だが、体が不自由なのか少しづつしか歩めないようだった。それでも懸命に前へ進もうとしていた。秋村はその老人を見て速度を落とした。哀(あわ)れに思えたのだ。自分もいずれはこうなるのか…という気持も少なからずその中に含まれていた。
「おじいさん! お急ぎでしたら、僕がおんぶしましょうか?」
 老人は突然、声をかけられ驚いたが、背広姿の秋村を見て安心したのか、笑顔になった。
「えっ?! そうですかな。そらぁ~助かります。そこの駅までで結構ですから…」
 秋村もその駅に向かっていたから、すぐ話は纏(まと)まり、老人を脊負った。この段階で秋村はまだ忙しさを、さほど感じてはいなかった。
「体が動きませんとな、どうも焦(あせ)って困りものですわい」
「ははは…そんなものですか。僕には分かりませんが」
「犯人は老いですが、見えませんからな」
「えっ? ははは…そうですね」
 秋村は老人を背負い、駅構内へ入った。
「ああ、ここで結構ですわい。御親切な見ず知らずの方、どうも有難うございましたな」
 秋村は老人の言葉のあと老人を下ろし、お辞儀して分かれた。その後はいつものように、同じホームの通勤電車に乗った。秋村は電車に揺られながら、ほんの僅(わず)かながら、いい気分がした。考えられるとすれば、秋村が忙しさに追われるようになったのは、それ以降である。秋村はどこの誰かも分からないその老人を探(さが)すことにした。その老人が現れるとすれば、駅しかない。老人が秋村が乗り降りする駅から乗ったというのは、この駅周辺になんらかの行動の根拠があったからだ・・と考えたのだ。老人が犯人という訳ではないが、脊負って以降、忙しくなった気分は秋村としては返したかった。フツゥ~の場合、いいことをすれば、いいことが起こるとしたものだが、真逆なのである。
 刑事の張り込みのように秋村はいささか憤懣(ふんまん)を覚(おぼ)えながら毎朝、その老人の出没を駅周辺で見張るようになった。お蔭で秋村は朝が早く起きられるようになった。見張りのため、家を出る時間が30分ばかり早まったためだ。それがいいことだといえば、いいことだと言えなくもなかった。秋村は今朝も忙しさに追われるようになった原因の老人を追っている。

                        完


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サスペンス・ユーモア短編集-1- 大根だっ!

2016年06月15日 00時00分00秒 | #小説

 秋が来ていた。今年もこの季節が巡ったか…と元刑事の蒔山(まきやま)透治は思った。去年はあれだけ減らして播(ま)いた種だったが、それでも食べ切れずに何本かを無駄にしてしまった。今思えば口惜しいかぎりの蒔山だった。余った数本を日干しの千切り大根にしようと思った訳で、工夫しようという努力が足りず、ほどよい硬さの段階で取り込めなかったのである。退職後の楽しみに・・と始めてまだ二年目だったから仕方ないのだが、まあ千切り大根にでもしてみよう・・と思い立った予定で、上手くいくか不透明だったこともある。紫蘇(しそ)を育てたのはいいが、春の梅の収穫期と合わず梅干しを断念し、結局、紫蘇ジュ-スを二度も作る破目に陥(おちい)ってしまった夏の事例に似通っていた。現役の刑事時代なら辞職願を課長に出しているところだったが、幸い今の蒔山は退職後の余生だった。
 さて、大根の種を播く畝(うね)作りの始まりである。畝作りは、まず土づくりから始まる。酸性度を中和し、肥料を加え、さらに土を耕して細かくするという第一段階だ。蒔山はこれ! と定めた畑の一角をスコップで彫り始めた。硬い土を力を入れて、まず区画を決める感じで掘るのである。掘れば土が柔らかくなり、植えない硬い地面と違い、畝作りの区画が浮き出る・・という寸法だ。星の潜伏エリアを固める捜査にも似ていた。それが済むと、まず第一弾の灰と肥料配合となる。蒔山の場合、灰は市販されている燻炭(くんたん)と自家製の藁灰(わらばい)を使う。酸性度を灰のアルカリ性で中和し、苗に適した土にするためだ。次に肥料だが、野菜に合う土は窒素、リン酸、カリといった必要な栄養素が適度に含まれねばならない。細かな配合割合は関係ないが、三要素が含まれていることは欠かせない条件だ。痴情の縺れ、怨恨、事故といったいろいろな角度から捜査を進めることと関係なくもないか…と考えたが、結局、蒔山は関係ないな…という結論に土を掘り返しながら到達した。
「フフフ…大根だっ!」
 鍬(くわ)で掘る手を止め、蒔山は突然、叫ぶように口を開いた。今年は一本も無駄にしないぞっ! という犯人を取り逃がさないと決意した心の叫びだった。

                        完


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怪奇ユーモア百選 100] 神うつし

2016年06月14日 00時00分00秒 | #小説

 秋らしくなった日曜の昼過ぎ、毛畑(けばた)は盆栽を弄(いじ)っていた。二年ほど前、増やそうと挿(さ)し木にして活着した植木鉢の夏越しが上手(うま)くいき、やれやれ…と思っていた矢先、鉢の根腐れで枝に出ていた葉が枯れ始めたのだ。これは…と、根腐れ防止剤、活力剤などで手を施(ほどこ)したが今一、精気が出ず、重体となっていた。樹木医とか植木の専門家なども当然、いるが、緊急の場合、人間のように病院で治療する・・という手法は通用しない。ふたたび、これは…と毛畑は神うつしすることにした。
 神うつしとは、御祭礼の神事の一つで、神輿(しんよ)の神様同士の親交を意味する・・と毛畑は考えていた。
 小雨の中、毛畑はふた鉢を植え木棚の上に置いた。その後、神うつしするかのような細かな霊気に満ちた雨が降り続いた。そして…結果は神のみぞ知る・・ということでチャンチャン! と、軽い気持で毛畑は今後を見守ることにした。
「さてと…」
 毛畑は別の小説を執筆し始めた。こういう場合は重く考えず、軽く考えた方が上手くいくとしたものだ…とは、毛畑が長い経験から得た人生訓である。まあ、普通に考えればそんな重大なコトでもないのだろうが、毛畑にすれば重大なコトだったのである。その後がどうなったか・・私は知らない。たぶん、この短編の最終話100]がブログに掲載される頃には結論を見ているだろう…とは思っている。

                 完


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怪奇ユーモア百選 99] 焦(あせ)る…

2016年06月13日 00時00分00秒 | #小説

 俺は生まれもっての慌(あわ)て性(しょう)だから仕方ないな…と肉挽(にくびき)は半(なか)ば諦(あきら)め思考に陥(おちい)っていた。やることなすこと、すべてに焦(あせ)るのだ。これだけは天分(てんぶん)のものだから仕方ない…と肉挽は失敗したあと、いつも思っていた。いつやらも先輩の解凍(かいとう)に相談したとき、『お前は不器用なんじゃない。ゆっくりと一つ一つ片づければ、必ず上手(うま)くいく。それを心がけろ』と、アドバイスされたことがあった。肉挽は当然、次の日から実行した。それが、不思議なことに思考とは裏腹に身体が勝手に動いて焦った。怖いことに、気持は落ちつこうとしているのに体はうろたえていた。やはり、駄目(だめ)か…と、それ以降、諦め思考は益々、強まっていった。
 そんなある日、職場に可愛(かわい)い民知(みんち)愛という新OLが配属された。それからいうもの、どういう訳か肉挽は愛の顔を見ると焦らなくなった。顔を見ているだけで、焦っていた手がゆったりと動くのが肉挽は怖かった。居ても立ってもいられず、肉挽はついに愛に語りかけていた。
「俺と君は相性がいいようだね。お蔭で随分、上手くいくようになったよ」
「はあ?」
 愛は不思議な生き物を見たような訝(いぶか)しげな眼差(まなざ)しで肉挽の顔を窺(うかが)った。
「ははは…いや、なんでもない」
 肉挽は思わず否定してその場を去った。それからというもの、愛の顔を見るのが肉挽にとって、ある種の神の救いとなっている。恋愛感情が愛に対して湧かないのが不思議といえば不思議だった。肉はミンチが絶妙の味になる・・ということだろうか。そこのところは私には分からない。

                 完


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怪奇ユーモア百選 98] スープ

2016年06月12日 00時00分00秒 | #小説

 季節はずれの蝶が舞う休日の昼、猪鹿(いのじか)は鳥のガラを煮ていた。大鍋(おおなべ)の中には葱(ねぎ)だのニンニクだの…だのと、いろいろな具材が放り込まれている。ラーメンの麺つゆに使う特製ス-プ作りだ。その後、出来上りを試飲してみると、まあ、それなりの味に仕上がっていた。あとはそれをベースにして出汁(だし)を完成させるだけになった。猪鹿は飽くまで趣味で作っているのであり、それで商売をしている訳ではなかったから、妥協しない時間の余裕はあった。その余裕で作る手間暇(てまひま)が猪鹿の楽しみになっていたのである。
「おやっ? 今日のは少し塩味が薄いぞ…なぜだ?」
 出来上ったラーメン出汁を小皿で飲むと、いつもに比べ少し水くさかった。キッチンは残夏の午後ということもあり、猪鹿の身体を汗ぱませた。汗掻きの猪鹿の額(ひたい)からポタリポタリ…と汗が小皿に落ちた。かまわずもうひと口、出汁を飲むと、これがなんとも絶妙の味わいになっているでないか。売りものや人に食べさせるものではないから、これもありか…と猪鹿はニンマリした。よく考えれば汚ない話だ。だが、美味(うま)いから、どうしようもなかった。さらに猪鹿が考えたのは、他にもこの方法で…と考えたことである。気持が悪くなる怖い話である。
「これ、美味いね。君、商売できるよ」
 会社の同僚がやって来たとき、昼どきでもあり猪鹿はラーメンを食べてもらった。もちろん、友人にはあの特製スープは出さず、別のスープを出したつもりだった。
「そうお?」
 おかしいな? とは思った猪鹿だったが、まあ、いいか…と笑って応じた。
 友人が帰ったあと、友人に出した鉢(はち)の残りスープを指で舐(な)めて確かめると、あの特製スープだった。まあ、いいか…と猪鹿は思った。

                 完


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怪奇ユーモア百選 97] 土砂(どしゃ)降り

2016年06月11日 00時00分00秒 | #小説

 そろそろ秋か…と東風(こち)が思う間もなく、秋が訪れた。日射しの短さは日を追うごとに早まり、夕焼けが…とはいかず、降りそうな灰色の雲で空は被(おお)われた。ということはジトジト降る秋霖(しゅうりん)か…と東風は思った。しかし、そうはいかず、次の朝は土砂(どしゃ)降りとなった。思う真逆の連続に、東風は少し切れ始めていた。
「チェッ! 飯でも食いに出よう…」
 これでは外仕事は出来ないと、早めに諦(あきら)めた東風は外食をしようと家を出た。上手(うま)い具合に逆には出ず、いつも行く大衆食堂は開いていた。まあ、そうたびたび逆にはならんさ…と、東風は誰もいない店の前でははは…と笑った。そのとき店から客が出てきて、変な人だ…と東風を見ながら去っていった。土砂降りの雨は益々、強まっていた。傘をたたむと服の肩やズボンの裾(すそ)が気持悪く濡れていた。まあ、いいさ…と、東風は店へ入り、いつもの定食を頼んだ。
「すみませんねぇ~。今日は生憎(あいにく)、もう出ちまって…」
 出ちまう・・とは、この店の主人の口癖(くちぐせ)で、作れないことを意味した。
「ああ、そうなんだ。じゃあ、二ラレバ定食を…」
「レバ二ラですか? 二ラはあるんですが、生憎、レバーが、朝からの土砂降りで…」
「出ちまってるんですか?」
「そう、それです。っていうか、入ってないんで…」
「入ってないか…。じゃあ、出来るもので」
「いや、お客さん。申し訳ないんですが、今日は何も出来ません…」
「えっ!? 嘘(うそ)でしょ! だって現に、さっきお客さん出てったよ!」
「ええ、あのお客さんでお終いなんで…」
 外の土砂降りは一層、強まり、雨音も大きさを増していた。
「よく聞こえなかったんで、も、う、い、ち、ど!!」
「ですから、お、し、ま、い!!」
 すべてがすべて、東風が思う逆だった。東風は怒りが込み上げ、傘もささず店を駆け出していた。
 次の日、東風は風邪をひいて病院の診察室にいた。土砂降りは怖(こわ)いのである。

                完


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