ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

丹波市青垣町「佐治の福よせ雛」②ツバメヤ~昭和堂~センバヤ♪

2023-03-24 15:52:00 | お出かけ・兵庫県 丹波市

昨日の雨は夕方に上がったものの、きょうはどんよりとした空です

が・・・気温は20℃近くまで上がり、桜の開花はどんどん!進んでいます~

 

それでは・・・「佐治福よせ雛」のつづきを・・・

喜楽館まで戻って

反対方向へ・・・「ツバメヤ」

酒屋さんです。
 
大きなお猪口を持っています~
 
次はお隣の「昭和堂」
 
外から撮っていると「どうぞ~」と!
 
衣料から化粧品に雑貨も販売!
 
開けていただき!店内へ・・・
 
ここで「足立姓」が多いと聞き「足立氏ものがたり」調べてみました。

兵庫県丹波市青垣町は「足立姓」がすこぶる多いところで、某新聞社の調べによれば人口の約4割が足立さんだという。そのルーツを探ると武蔵国足立郡から起こり、丹波国に西遷してきた関東武士の後裔であった。『丹波氷上郡佐治庄地頭足立氏系図』によれば、藤原北家流勧修寺高藤の後裔・遠兼が武蔵国足立郡に居住し、その子遠元が「足立」を名乗ったことになっている。いわゆる藤原姓である。

鎌倉三代将軍実朝の時代の承元三年(1209)、遠元の孫・左衛門尉遠政が丹波国佐治庄地頭職に任じられ、武蔵国から佐治庄小倉へ移住してきた。これが、丹波足立氏の始まりとされる。もっとも、遠政の丹波移住に関しては「承久の乱」の功によるとするもの、執権北条氏に与して功があったとするものなど諸説があり、丹波足立氏のはじめについては不明な点が少なくない。

山垣城跡の大堀切

丹波国に腰を据えた遠政は、本拠を山垣に移して屋形を構え、山垣城を築くと、佐治庄内の要所に子どもたちを配して但馬および近隣の諸豪族に備えた。元弘の乱に際して、丹波武士の多くが足利高氏(尊氏)に馳せ参じるなか、足立氏は荻野・本庄氏らと「今更人の下風に立つべきにあらず」と「若狭から京へ攻め上らんと企てた」と『太平記』に記されている。

山垣城の山麓に祀られる遠政の墓所の石扉には「五本骨扇」と「酢漿草」の紋が刻まれ、今も丹波の足立家では「扇」紋が用いられている。足立氏が「扇」紋を用いるようになったのは、遠元の父遠兼の時からという。扇は古代において神の依代とされ、神霊が宿ると信じられた。中世の武士は戦場で扇を翻せば、神威によって身が守られ、戦に勝利すると信じた。武家にとって「扇」紋は縁起のよい意匠であった。

さて、世の中が騒がしくなった戦国時代、足立氏は山垣城に拠って勢力を保っていた。氷上郡南部に割拠する赤井・荻野一族が勢力を拡大してくると、足立氏は芦田氏と結んで対立。弘治元年(1555)、香良付近で合戦となり、激戦の末に敗北を喫した足立氏らは赤井氏に従うようになった。

天正三年(1575)の秋、織田信長の命を受けた明智光秀が黒井城を攻撃、以後、丹波攻めの戦いが断続的に進められた。天正七年(1579)、第二次の黒井城攻めが行われると、但馬から羽柴秀長が丹波に進攻、足立氏は山垣城で抗戦したがあえなく落城、没落した。その後、世の中が治まると足立一族は佐治庄に還住して帰農、家名を現代に伝えたのである。

山垣城 万歳山から伸びた尾根先に築かれた梯郭式の山城。山麓にある遠政のものという五輪塔の傍らから山上の曲輪群まで城道が続いている。城址に立つと曲輪の切岸、城域を区画する堀切など、当時の姿がよく残っている。(丹波新聞記事よりお借りしました)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のメンバーに「足立遠元」がいます。

青垣町山垣に山垣城を築き、天正 7 年(1579年)織田信長の丹波攻略の兵火による落城まで、12 代、370 年にわたって勢力を保持しました。

足立遠元は、足立遠政の祖父にあたります。

青垣町の人口の約4割が足立姓!と、ツバメヤの御主人も熱く語っておられました、、、

百人一首!

こちらは将棋!

話題に上がれば作ります!と

お店のご主人の手作りだそうで・・・作っている間にまた!つぎの雛飾りが!!!浮かんでくると!!!

とても親切に色々教えていただき 「水分れ公園」の桜のトンネルも素晴らしいので桜の時にも是非お越しください!

と温かい対応が心に残ります~

セツブンソウを探している時に出会った方もとても親切でした~ステキな町です

 

つぎは・・・「元薬局」

「センバヤ」

こちらも、中へどうぞ!と・・・

待合室でしょうか?

怪我人です~

足と手に包帯が!

入院患者さん?

看護師さん

頭の包帯が痛々しい~

マスクも!

壁に

入口の上に

やはり「足立姓」多そうです、、、

とっても楽しい雛かざりを観て周り大満足でわくわく気分

堪能しましたが・・・駐車場横の「中兵庫信用金庫 青垣支店」と「関西大学佐治スタジオ」を見落としていました~

また来年に!と思いましたが、行けるかな?行けたらいいですね~


丹波市青垣町「佐治福よせ雛」①衣川會舘~本町の家♪

2023-03-23 11:28:24 | お出かけ・兵庫県 丹波市

きょうは下り坂そろそろ・・・雨になりそう~!でしたが、書いているうちに降ってきました~

 

昨日は気温も25℃まで上がり、初夏を思わせる汗ばむ陽気になりました、、、

買い物に出かけて立ち寄った「有岡城跡」。ちらほら咲き始めていた枝垂れ桜が3分咲きほどに!

プチお花見愉しんできました~

 

それでは・・・丹波市柏原の雛めぐりのあとは、青垣町佐治へ・・・

宿場町の雰囲気が残る佐治で開催中(3月26日まで)の「第13回・佐治福よせ雛」行って来ました!

「佐治喜楽館」の駐車場から

休館日です~ 丹波市は祝日の振り替えはないようで・・・二軒目の休館日にあたりました!

「佐治のまち」

佐治のある青垣町は、兵庫県丹波地方西北端に位置する山間の町です。険しい峠を越えてたどり着く佐治のまちには古くから峠下の宿が立地していました。物資の集うところとなり市場町として栄え、但馬国域の生野や矢名瀬(現山東町)、天田郡域(現京都府域) などの近郊から播州、京都や大坂の商人を交え、物々交換から本格的な市場へと成長していきました。 現在でも、妻入りの町屋が残っており、栄華の跡を感じることが出来ます。(NPO法人 佐治倶楽部HPより)

青垣町は、セツブンソウやバイカモを探して走り回った地域です。宿場町の名残を感じる町とは知りませんでした、、、

案内に「押入れの中で長い間ねむっていたお雛様。


さまざまな理由で、手放さなければならなくなったお雛様。

そうしたお雛様たちが、宿場町の面影を残す佐治のまちで、第二の人生を楽しく過ごしている様子を、ぜひ見にきてください。」

丹波・佐治福よせ雛

それでは・・・喜楽館から左方向へ・・・本降りになってきましたがさあ~出発

 

 

「衣川會舘」交流スペースです。

入って・・・

大勢の方がランチタイムでテーブル席は満席!美味しそうなコーヒーの香り~

座敷は空いておりますが、皆さんお食事中!コーヒーだけなので帰りに立ち寄ることに・・・

撮影はしっかり撮って!

衣川會館では、桜の名所倉町野(同市青垣町西芦田)の花見を表現。宴会料理を囲み、酒盛りをしているように人形を並べたほか、アマゴや団子などのミニチュア屋台をこしらえ、串に刺した1尾3センチほどのアマゴや団子を手作りし、にぎやかな桜祭りを表現。

宴会~

美味しそう~なお料理が!

出店もあります~

鹿に乗っています

釣りを~

ハングライダーも!

そして・・・右側

福よせ雛マップを持って~

座敷の雛飾り

一通り拝見してつぎへ・・・

「黒井屋」

名物のカニ料理!ガラス越しに

私が映り込むので撮りにくい~

 

「アオクラ」

視力検査!

「本町の家」

(ハングライダーの家)

文具や本も!

 

「依田資生堂」お化粧中

 

「衣川會舘」まで戻って

肌寒くなってきたので、薪ストーブが暖かかった~

吹き抜けの天井

豆から挽いたマイルドな珈琲~美味しい~

奥から

広い座敷です

喜楽館前まで戻って次のお店へ・・・

とても楽しく観て周りましたが、次のところでもユニークな雛飾りを拝見~

長くなりますのでつづきます~


丹波・かいばら雛めぐり「丹波新聞社~かいばら一番館~JR柏原駅」

2023-03-22 11:10:29 | お出かけ・兵庫県 丹波市

きょうは最高気温26℃の予報 お散歩日和ですが歩くと汗ばみそうな陽気です~

 

昨日はのち午後にはの予報でしたが、柏原と北にある青垣町佐治の雛めぐりへ・・・

昨年は(①~③で載せています)見落とさないように廻ってきましたが、今年は2回目!なので、規模の大きいところだけを周ってきました~

丹波かいばら雛めぐり 2023

丹波市柏原へは我が家から中国自動車道~舞鶴自動車道を利用して1時間20分余りで到着!

「丹波新聞社」近くの駐車場へ停めて

「丹波新聞社」から周ります~

ずらり~~と並んだ雛飾り~

一枚で納まらないので左右に分けて撮ります!

左側

右側

次へ急ぎます~

「木の根橋」へ・・・

すぐ前の「織田神社」に

戸が閉まっています

開けてもいいのでしょうがガラス越しに観覧、、、

昨年は開いていたので

昨年の画像です

 

さあ~次へ・・・

すぐ先の「かいばら一番館」へ・・・

ここが一番規模が大きくて多種類の雛飾りがあります~

中へ・・・素晴らしい~~

入って右の階段に

糸鋸細工のお雛さま~

卯年に因んだつるし雛

 

「大正14年」

「昭和14年」の

いろんな雛かざりを愉しみ愛でて・・・ほんと!癒されて~次へ・・・

お向かいのウインドー

ガラスが反射して判りにくいですが・・・

かやぶきの家があります。

「貝原藩邸」

立ち寄らずに・・・

「たんば黎明館」

休館中!

えーーーっ!でしたが・・・

「木の根橋」まで戻って・・・

木の根が橋に!

 

「柏原八幡宮」

参拝の予定でしたが雲行きが怪しくなって・・・お参りは断念~

「JR柏原駅」

駅舎内のレストランで昼食 出ると!予報通り!雨が降ってきました~

次の青垣町佐治へ・・・つづきます~


丹波市市島町「三ツ塚史跡公園」

2022-06-21 08:30:30 | お出かけ・兵庫県 丹波市

きょうは いよいよ!梅雨本番になりました、、、

 

掲載の日が前後しますが

6月15日「円通寺」で、あじさい鑑賞と「永徳二年(1382)正月、将軍足利義満が後円融天皇の勅命により創建した曹洞宗の名刹」

で、しっとりとした空間を過ごしたあと・・・

市島町の「三ツ塚史跡公園」の花しょうぶ鑑賞へ・・・

出かける一週間ほど前の情報が、見ごろ~だったのでどうかなと思いながら立ち寄りました。

 

公園前の駐車場横に「ぼうけんひろば」平日の午後は誰も遊んでいません、、、

「国指定」の

「三ツ塚史跡公園」へ・・・

三ッ塚廃寺(白鳳時代)の鴟尾(しび)を復元展示。古代遺跡である久良部古墳群、天神窯跡群(廃寺跡)、梶原遺跡群等からの出土品を中心に、地域の歴史、風俗、生活を物語る遺物を展示しています。平成9年には天神窯跡から三ッ塚廃寺(白鳳時代)の鴟尾が発掘されました。


白鳳時代のロマンと 約 1,600株の花しょうぶ。
往事の「三ッ塚廃寺」後が公園として整備され、2,000 ㎡の敷地に 江戸系、肥後系、伊勢系の様々な花しょうぶが植えられています。

(観光協会HPより)

こんな光景~

残っている見ごろの花しょうぶを

歩き疲れていたのもあって・・・周りの見学せずに帰途に着きました。

それでも、何でも見てみたい!知りたい!おばあちゃんの気持ちが納得~

どんなところかな?の好奇心が収まりました~


「永谷山 円通寺」②境内めぐり♪

2022-06-18 10:09:31 | お出かけ・兵庫県 丹波市

きょうは どんより空で蒸してます~

 

それでは昨日のつづきを・・・

「永谷山 円通寺」山門

左右に、仏土を守る四天王の持国天と増長天像が見守ります。

仁王ではなく、二天であるといわれます。

右に

「持国天(じこくてん)」

左に

「増長天」

 

境内に・・・

入ると、橋の左右に「放生池」

池の前に

「円通寺 大杉」樹高25m 上まで入りません

方生池の橋を渡って上がって行きます~

「本堂」

 

「鐘楼」は修復中

「塀の五本線」

天皇家との所縁を表します。                    そして「円に二引きの紋」は足利家の家紋です。

「明治忠魂碑」

道場があります

 

円通寺は、南北朝時代永徳二年(1382年)の正月に、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を報じて創建。

今日まで六百余年の歳月を経た、禅宗のお寺です。(案内より)

「本堂」

鳥が入るのでネットがかけてあります。ネットを上げて中へ入り・・・

お参りを・・・

御本尊は「如意輪観音菩薩像」 後小松天皇が南北朝合体を祈願して御自らお彫りになったものを下賜されたと伝えられます。

左には「子育地蔵尊」(写真はありません)

 

本堂前に

 

 

 

本堂裏へ・・・

大きなタブノキは下へ下りて本堂を見上げると、円通寺をお守りするように見えます。

道場前の花壇に

名前は知りませんが大きな花を付けています。

 

下へ・・・

先に上がってきた門から戻ります

稲荷社?

とても上がれるような状態ではなさそう~

山門入り口前に・・・

見ごろはもう少しかかりそうです

山門への石段と青もみじ

イトザクラも見てみたい~

「清水地蔵尊」

栗の木が!

丹波栗が有名です。あちらこちらで花をいっぱい付けた栗の木見てきました

由緒のある、禅宗の古刹を情感ある佇まいのなかで、心の中まで洗われる想いで廻ってきました~